わが青春の追憶
呉海兵団

通船は楽し

和船のことを海軍では通船またはハシケと言い、故郷では漁業に使っている小さな舟のことを伝馬船と言っていた。船種名について深い知識はないが、とにかく艪を漕いで進む舟のことを海軍では一般に通船と言っていた。軍艦ばかりを予想していた海軍に、櫓が必要であったことは全く知らなかった。

青年学校のとき、

「先生、いま姫島の沖に軍艦がたくさん来ている。見に行きたいなあ」

「よし、皆で見に行こう」

暢気なもので、授業を放ったらかして早速先生も生徒も片浜海岸まで自転車を走らせた。

「お、航空母艦だ、巡洋艦も駆逐艦もいるぞ、誰か早く船を頼んでこい」

海岸で網の繕いをしていたおやじさんに、漁船を二隻出してもらい皆乗り込んだ。

航空母艦の近くまで行き、大声で見学を申し入れたところ、出港直前だとのことで乗艦できなかった。艦尾に廻ってみると「そうりゅう」、もう一隻は「ひりゅう」と書かれ、最新鋭の航空母艦「蒼竜」に「飛竜」だと分かった。

駆逐艦隊は既に波をけたてて進みだしており。艦尾から水煙をあげて航行している。巡洋艦や空母も動き出した。大艦隊が出動したのである。その光景は実に美しく、そして力強く頼もしい姿であった。浮かべる城そのものであり、堂々たる風格と威厳があった。その光景の印象が強く、櫓を漕いで進む伝馬船など海軍ではおよそ縁のないものと思っていたのである。

「艪の漕げる者」

初めての艪漕訓練で教班長から問われた。十教班員十七名中、三人しか手が挙がらなかった。

「よし、柴田、向こうのブイまで真っ直ぐに漕いでみろ」

ここ一番、教班長の覚えを得ようと、左足を船べりに踏ん張り腕に力を込めて、グイグイと船を進めた。目標のブイまで届かないうち、

「よし分かった、つぎ宮本漕いで見ろ」

実地検定の結果、確実に漕げたのは二人だけであった。

「皆よく聞け、櫓漕ぎはカッターよりも難しいものだ。船の進む方向を確かめ、周囲の船舶に注意して、進むことも舵をとることも櫓だけでやるのだ」

通船はカッターと違い、漕ぐ者は一人だけである。他の者は座って見ているだけだ、漕げると分かった者に訓練の用はない。辺りの景色を眺めながら疲れた体を休めることができる。通船は私にとって楽しい日課の一つであった。

経験のない者にとって艪漕は大変難しい訓練である。呉軍港は湾内で波静かな海であるとはいえ、曳船や内火艇が絶えず行き交っている。追い波が交叉して通船が揺れ、漕いでいる櫓が波に浮かされて艪杭からカタンと外れる。艫にいる者が櫓をはめて、再び漕ぎ出すとまた外れる。気の毒になるほど漕げない。

「なにをガタガタしているんだ、見ろ曳船がこちらに向かってくる、早く漕がんか」

ヒューン、ヒューンと汽笛が迫ってきた。

「馬鹿もん、柴田代われ」

曳船や内火艇が近づくたびに漕がされたが、とにかく通船は楽な訓練であった。

 

新兵教育を終了した駆逐艦の乗組員でも艪漕ぎに自信のある者は少ない。艦艇が軍港に碇泊している時は、毎朝生鮮食料品を通船で軍需部まで受け取りに行く。この食料品受領の使役は兵科に割り当てられ、役割という係の者から指名された若い兵隊が一日交代でやらされる。私も艪漕ぎを認められていたので軍需部使役をよくやらされたが、これがまた実によい気分であった。

駆逐艦の場合は、役割から通船使役の命令を受けると、起床するのは総員起こしよりも三十分早いが、誰にも気兼ねなく起き、自分だけの吊床を片付けて顔を洗う。朝食は烹炊所に行き、炊き立ての飯に豆腐の味噌汁を自分でつけるのだからたらふく食べられる。

主計兵と通船に乗って艦を出かけるころ、艦内は総員起こしとなる。新兵たちはいま大騒ぎだろうなと想像しながら、早朝の軍港内をゆっくり漕いで行く。これで上官たちの寝具の片付けと洗面の支度、さらに朝別科の体操と甲板掃除の『回れ!、回れ!』を逃れ、朝食後の食器洗いの終わるころ、軍需部から戻ってくるのであった。

通船のお陰で、辛く苦しい新兵生活のなかで、少し楽ができたのであった。