わが青春の追憶
呉海兵団

各個教練

初めうちはカッコ悪かった服装も、教班長の言葉どおり体の方が服に合ってきたのか、日が経につれ何となく見られるようになってきた。

まず、帽子の被り方が板についてきた。前も後ろもハッキリしない水兵帽は新兵の頭に馴染まないのか、まるで航空母艦が座礁したように不細工な格好だったが、帽子の芯になっている針金を切って縮めたり曲げたり、前を高くして後ろを下げるなど、いろいろと苦心したのである。

さらに、セーラー服の襟飾りの結び方、ベルトのないズボンを体に合うように縫い付けるなど、どこから聞いてくるのか新兵たちは、互いにスマートな水兵づくりに苦労したのである。

しかし、水兵らしくなってきたのは、なんといっても心と身体をそれらしく鍛えられてきたことが大きな原因であろう。その代表的な訓練に各個教練がある。

海軍式各個教練には独特のやり方があって、青年学校で陸軍出身の教官から教わったものとは原則的に違っていた。海軍では何事も形式にとらわれず、実用向きに工夫され、しかも早い動作で確実を要求されるのであった。

「課業始め五分前」

駆け足で兵舎前に集合、整列。つづいて練兵場まで速足行進、新兵分隊全員集合。指揮者である当直教班長はその場で敬礼しながら、

「第十五分隊」

と集合したことを当直将校に報告。答礼があろうとなかろうと報告すれば時間がくるのを待つ。

「課業始め、水兵員整列」

信号兵の吹くラッパの合図に続いて、当直将校は、

「訓練、かかれ」

直ちに訓練開始の行動にうつる。移動するときはほとんど駆け足。途中、士官に出会っても引率指揮者が敬礼するだけである。団門を通過するときも歩調をとるだけで、敬礼も頭右もいらないのだ。

各個教練は、だいたい団外練兵場において行われる。

『気をつけ』『右へ、ならえ』『敬礼』『前に、進め』などから始まり、やがて敵情偵察、陣地攻防戦、迫撃追撃戦と陸戦訓練が進んでいく。

 

ある程度訓練が進むと、次に小銃と機関銃の実弾射撃が始まった。銃を肩に、河原石の山麓にある射撃場まで行軍して行われるのである。

小銃弾五発ずつが配られ、細心の注意をしながら装填し、教班長の指導によって300メートル先の標的に向けて発射する。しかし、これが思うように命中しない。

『心で撃つな手で撃つな、秋の木の葉の散る如く』

これが小銃の引き金を引く心得だと、一発撃つごとに頭をゴツンと殴られる。小銃は一発ずつしか撃てないのでよいが、機関銃の射撃では「三発撃て」「五発撃て」と言われても、慣れないうちは指が固まって、ダダ・・・と装填してある弾丸を全部撃ってしまうことになる。

「貴様、海軍中の弾丸を一人で撃つつもりか!」

と、またもゲンコツが頭に飛んでくる。

訓練中、ときどき分隊全員を集めて分隊長から訓示を受けることがある。海軍では野外で話を聞くときは、通常『おりしけ』(右の膝を曲げて腰をおろし、左膝を立てた構え)で地面に座らされる。この『おりしけ』も型どおりやっていたのでは遅い。空中で足を組み地上に落ちろ、と何回もやらされ尻が痛くなったころ訓示となり、

「十分間休憩する、別れ」

ホッとして歩き出すと、

「集まれ」

また集合、整列する。

「なんだ今の別れ方は。別れるのも訓練のうちだ。『別れ』の号令でサッと別れないのは、『集まれ』で早く集まらないのと同じである。敬礼はいらないから蜘蛛の子を散らした如く一斉に別れろ、いいな」

「別れ」

駆け足で走ったがまだ遅い。

「集まれ」

とうとう休憩時間がなくなってしまった。

 

「海軍陸戦隊は市街戦を得意とする。市街戦は各個の行動が迅速でなくてはならない。敵が陣地を構える暇を与えず攻撃するのだ。上海陸戦隊の活躍は貴様たちも知っておろう。よいな、そのつもりでボヤボヤするな」

こんな調子で、すべての動作を速く速く、しかも確実にと叩き込まれていくのであった。

それから敬礼が変わっている。狭い艦内でのことを考えてか、場所をとらないように腕を斜め前に出して挙手の敬礼をする。通路や階段では敬礼よりも上官に道を譲ることが大切であった。報告するときも敬礼と同時に報告し、返事があろうとなかろうと終われば直ちに次の行動に移る。

集団の場合に行う「頭ら右」の敬礼も、分隊点検のような大きな儀式以外には滅多にやらない。殆ど「注目」でことが足るのであった。

さらに驚いたことには、艦内や室内で祝事などにやる「万歳」は両手を上げないのだ。声だけで「万歳」と三唱するのも、狭い軍艦内を考えてのことであろう。