わが青春の追憶
呉海兵団

劣等旗披露

大日本帝国海軍における下士官兵の兵種とその科目は、次のように区分されていた。 ( )内は等級マークの図柄。

・兵科  (錨) 砲術、水雷、陸戦、航海、運用、電信。

・機関科 (スパナ) 主機械、汽缶、電気、補機。

・工作科 (ハンマー) 金工、木工。

・主計科 (筆) 庶務経理、烹炊。

・航空科 (飛行機) 操縦、航空兵器。

・航空整備科 (横飛行機) 航空整備。

・看護科 (ピンセット) 看護。

・軍楽科 (楽器) 軍楽演奏。

私たち十五分隊の新兵は、兵科として採用されたので、主として次の科目について教育を受けるのである。

砲術  (水上砲、対空砲、陸戦、防毒)

水雷術 (魚雷、爆雷、水中測的、掃海)

航海術 (手旗、操舵、航海一般)

運用術 (結索、応急)

 

海兵団での新兵教育は、艦船勤務に必要な基本を主体としているが、兵科以外のことであっても一通りの教育を受けるのだ。教育の方法は講義、実物演習、模型訓練などが行われ、一科目が終了する毎に試験が行われる。しかも新兵教育は奥行きは浅いが幅広くというわけで試験の回数が実に多い。

新兵教育における成績の評価は、学科試験の点数と実務の点数を合計して、十五分隊の二百人に順位が付けられる。この成績が将来の進級は勿論のこと、勤務配置や練習生などに大きな影響がある。「しっかり勉強しろ、怠けていると進級できないぞ」と、教班長からいつもハッパをかけられていた。昔も今もテストで苦労することには変わりはないのである。

 

この、将来を左右する試験の様子を説明しておこう。

だだっ広い兵舎の床に新兵たちは手箱を持ち間隔をとって座り、手箱の上に鉛筆を置いて待機する。最初に配られるのは、解答用紙一枚。といってもザラ紙の白紙である。

「試験について説明するから皆よく聞け。今から問題用紙を渡すが、『試験始め』の号令があるまで問題を見てはいけない。用紙は裏返しておけ。問題は十問ある。それで一問題のうち幾つかに分けてあるものもあるが、符号のとおり記入しろ。試験中は話をしてはいけない。聞くことがあったら教班長に聞け。手箱を開けてはならない。勿論カンニングはいけない。以上の注意事項を守らない奴は零点とする」

用紙が配られた。

「試験、始め」

一斉に問題用紙を取り上げ、解答に全神経を集中する。十二人の教班長たちは新兵の周囲を廻って不正はないかと監視している。問題はそんなに難しいものとは思わないが、海軍用語に慣れない者にとっては内容を理解するのに時間がかかる。

解答が終わっても指示があるまで動いてはいけない。

「試験、終わり」

筆記の途中であっても、直ちに解答用紙を右手に持ち、高く上げなければならない。そして教班長が集めにきて試験は終わるのである。

このような試験を一週間に五、六回もやらされたうえ、その採点結果がまた頭痛の種となる。

行われた試験の結果は、毎回、各教班の平均成績をグラフに表して、兵舎内の廊下に掲示されるのだ。それで一週間の成績が最高となった教班には、先任伍長から優勝旗が授与されるのである。しかし、最低だった教班には劣等旗授与式という、シャバでは見られない誠に気の毒な儀式がいとも盛大に行われるのであった。

「劣等賞、第○教班、お前たちは日頃よく眠り、よく怠け、他の教班が一生懸命に勉強している時もよく遊んでいた。その怠け方により劣等旗を与える」

越中褌一つの裸にされ、台上に整列させられた劣等旗授与教班は、代表して教班係が『劣等旗』と書かれた小さな旗を、先任伍長からうやうやしく戴いてくるのである。これでこの式典が終わったわけではない。各教班長たちに披露の挨拶をしなくてはいけないのだ。

「第○教班長、第○教班は日頃よく眠り、よく怠け、勉強するときも遊んでいましたので劣等旗を戴きました」

「おお、よくやったな、来週もしっかり怠けろよ」

「貴様ら、それでも志願兵か、海兵団の新兵教育も卒業できんぞ」

十七名の裸の行列は、劣等旗をうやうやしく捧げた教班係を先頭に、各教班長のところへ披露に回るのであった。当然、劣等教班の教班長は怒って姿を見せない。おそらく次の食事は駄目であろう。見ている新兵たちも他人のことと笑ってはいられない。次はわが身に振り掛るのではないかと、不安な面持ちで、なるべく見ないようにしているのだ。

シャバでは考えられないことを、軍隊では日ごろからこのようにして体で教育されていくのであった。家族には見られたくない場面が多く、新兵たちのあいだでも誰がやられたという話は避けていたのだ。しかし、今思い出してみると、けっして嫌な感じや恨みは残っていない。むしろ、私のような気の小さい臆病者には良い体験であったと思っている。