わが青春の追憶
呉海兵団

シャバの匂い

「第二教の山田、第五教の鈴木、十教の宮本、すぐ面会所に行け」

日曜日の大掃除がすむと家族との面会が許される。呉市に近い者たちには何回も面会に来ていた。その度に羨ましい気持ちはあっても、私には無縁のことと諦めていた。遠い田舎から百姓仕事を休み、電車や汽車に乗って沢山のお金を使い、案内を知らない呉市まで会いに来てもらおうとは思ってもみなかった。呉鎮守府の管轄内で、いちばん遠方にあたる愛知県の東部になる渥美半島の田原は、日本の中心部にあるとはいえ、呉市はあまりにも遠過ぎるのだ。

家から田原駅まで一里(約四キロ)余りの道を歩き、渥美線の電車に乗って豊橋まで行き、そして東海道本線、山陽本線、呉線と、二十時間も汽車に乗るほど呉は遠い。僅か一時間の面会に、往復三日間も暇をかけるのである。現代のように新幹線を利用すれば四~五時間で着き、日帰りできる時代ではない。当時の列車にも特急や急行もあったが、一般人は専ら料金の安い普通列車の三等車しか考えられなかった。

そんな訳で私は面会を諦めていたが、それでも誰かが嬉しそうに面会所へ出かけて行けば、残っている者にとっても何故か楽しいものである。何処かシャバの匂いがする。故郷では今ごろ田植えの支度や麦刈りで忙しいだろうな、と家族の様子を想い出すのもこの時で、早速手紙を書く気になってくるのだ。

 

「次の日曜日には、市内見学があるそうだ」

どこから聞いてきたのかこんな噂が流れた。噂は直ぐ兵舎内に拡がり、呉市街の何処を通り何処と何処へ行くそうだなどと、市内の地理に詳しい連中はいろいろと想像していたが、私には全く分からない。入団した時、呉駅から海兵団まで駆け足で通 っただけである。それでもシャバの話は聞いていて楽しいものである。

やがて日曜日がきた。噂は本当であった。

朝食後、兵舎内外の大掃除が終わると、

「今日これから市内見学を行うことになった。今から言う注意事項を守って、絶対に間違いのないように気を付けろ。まず逃亡だ。お前達は海軍が嫌になったからといって、逃げようなどとは間違っても考えるな。もし逃亡できたとしても家には帰れないぞ。一時間も経たないうちに憲兵がお前の家の周囲を取り囲むから、家族は当然のこと親戚縁者まで大変なことになる。それで逃げた奴は逃亡罪だけでなく、軍服を民間服に着替えるため盗みもやるだろう。勿論軍法会議にかけられて重い罪になり、一生臭い飯を食うことになる。このことは肝に銘じて忘れるな。それから市中は分隊ごとに行進を行う。帝国海軍の軍人らしく見苦しい態度をとるな。各教班長の指示に従った行動をとれ」

第二種軍装着用。初めて真っ白い夏服を着て、ズックカバンに弁当と水筒を入れて肩に掛け、四列縦隊で元気よく歩調をとって団門に向かった。

入団以来始めて通る第一衛兵所。白い軍服に白い脚半、腰に帯剣といかめしい姿の衛兵の前を通り過ぎると、右手が下士官兵集会所、左手に商店街や住宅が見えてきた。市内電車がレールを軋ませながら走って行く。背広姿や作業服に自転車、学生服の集団や着物姿の女性が歩いている。老人が店番をしており、子供達が歓声をあげて駆け回っていた。シャバに出たという実感が胸に迫ってきた。

中通りを進んで行くと、あちこちにある菓子屋の陳列や食堂の看板がやたらと目につく。腹いっぱい食いたいのを我慢し、横目で見ながら通り過ぎると映画館が見えてきた。『上海の月』が上映されているようだ。山田五十鈴の顔写真が懐かしい。この映画館に入れるのはいつのことであろう。

市街地を通り抜けて郊外に出た。河の堤防に桜並木が続いている二荒公園で休憩することになった。桜の満開時期にはさぞ素晴らしいだろうと想像しながら、十教班の新兵たちは子供のように心を弾ませて、木の下に腰を降ろしたのである。

青空の下、シャバの空気を胸いっぱいに吸いながら食べる弁当の味は格別だ。久し振りに人心地を取り戻したような気分である。

近くの学校の教室から歌声が聞こえる。運動場では生徒たちが体操をしている。住宅地の路地裏では子供らが五、六人跳び回っていた。自転車に乗って忙しそうに通る人、リヤカーや大八車に荷を積んで運ぶ人、皆それぞれ思いのまま動いている。ただ、何でもない当たり前の光景だが、これほど懐かしく暖かく感じたことはなかった。

今まで我が儘いっぱいに育ってきた私にとって、この平凡で自由に動いていることが如何に大切であり、またどんなに幸せであったか、軍隊生活をして始めて知ったのである。

この後、河原石まで行軍を続け、潜水学校に立ち寄り、第六潜水艇における佐久間艇長の遭難武勇伝を聞いた後、シャバの景色とも別れて海兵団に帰ったのである。

アッという間ではあったが、久し振りに籠の鳥が大空に放たれたように、新兵たちは活力を得たようであった。