わが青春の追憶
呉海兵団

艦務訓練

呉の港は自然の造形とはいえ実によい条件を備えており、軍港としては最適な所である。灰が峰、焼山、休山など、高い山並みに三方を囲まれ、全面には江田島と能美島が控えている。一見しただけでは何処から艦船が出入りしているのか分からない地形である。

軍港には戦艦や航空母艦を始め、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などの大艦隊が絶えず出入りしており、沖合いに投錨している艦、ブイに繋留している艦、岸壁に横付けしたりドックに入っている艦など様々である。

これらの艦艇は、毎日増えたり減ったりしているが、艦隊の様子など新兵の私たちには全く分からない。艦の名称とか装備については説明してくれるが、この艦が何処から来て、これから何処に行くのかは知らされない。それどころか、そのとき海軍工廠で造船中の大型艦(後日、戦艦大和とわかった)があったが、あれは軍の秘密であるから、近づいてもいけないと注意されるほどであった。

呉軍港に碇泊している多くの艦船の中に、もう何年も動いたことがないと思われる艦が二隻いた。日清、日露の海戦において大活躍をしたといわれる「矢作」と「八雲」の旧式戦艦である。この明治時代の花形軍艦は海防艦となって第一線から退いてはいるが、新兵たちの訓練実習艦として碇泊しているのであった。

艦務訓練は分隊毎に行われ、三日間宿泊して艦内生活の実務を身につける。つまり、大砲とか魚雷などの兵器について訓練されるものではなく、水兵としての基本的な『決まり』を覚えるためのものである。

 

第十五分隊は、旧式とはいえ戦艦三笠と同型の美しい姿をしている「八雲」に乗り組んで、三日間訓練することになった。水兵として身につけなければならないことは、まず真水を大切にすることだ。朝の洗面も、艦内に洗面所が有るわけではなし、水道など勿論無い。左舷中央の上甲板の一画が洗面所に指定され、当番が真水タンクからオスタップに汲み上げたものを、洗面器に八分目ほど分けてくれる。この水で歯を磨き、口をすすぎ、顔を洗うのは当然のことで、上手に使えば靴下に帽子にタオルまで洗濯できる。そして全員の洗面が終われば、新兵たちの『回れ、回れ』で甲板を洗い流して拭いておけば、もとの上甲板に戻るのである。

飲料水は三度の食事のとき湯呑みに一杯だけで、食事以外にはどんなに喉が渇いても一滴の水も貰えない。水なしで激しい労働に耐えるのが、一人前の船乗りであると教えられた。

次に、歩く所、走る所、立ち止まってはいけない所など、艦船内での決まりについて厳しく教わった。ラッタル(階段のこと)は昇り降りとも駆け足。狭い通路で立ち止まってはいけない。上官に出会ったら道を譲らなくてはならない。士官室の上の甲板では静かに歩くこと。ペンキの塗ってある場所に靴で踏み込んではならない。靴の底に鋲を打ってはいけない。リノリュームの押え金を踏んではならない。さらに、ハンドレール(外舷の手摺)に持たれ掛かってはいけない。これは航海中にハンドレールのチェーンが切れて人が海に落ちれば、救助するために艦を止めなければならず、艦隊行動に大きな支障をきたすからだ。

残飯やゴミなどを捨てるには左舷後部にあるスカッパーを使い、食器洗いや甲板掃除の水は、左舷中央にある手押しの海水ポンプを使って汲み上げる。それは右舷に便所があって汚水を流しているので、反対舷の海水のきれいなところを汲むためである。

それから、何といっても掃除が大変であった。海の上に浮かんでいる艦なので余所からゴミが飛んでくる筈はないし、土の付いているものは何も無いのだが、艦内ではとにかく掃除ばかりさせられる。

まず起床と同時に甲板洗いが始まる。ズボンの裾を膝までまくり上げて裸足になり、両手で甲板バケを持ち、腰を落として甲板をこするのである。「回れ!」で一斉に向きを変え、手早く甲板バケで擦りながら這うように進むのだ。この『回れ!、回れ!』で汗びっしょりになり、続いて内舷の雑巾掛け、履き掃除、舷窓磨きと間断無くやらされる。

さらに午前と午後の課業後も掃き掃除をし、就寝前の巡検用意で再び上甲板と居住甲板を『回れ!回れ!』と、一日中掃除ばかりやらされていたように思った。しかし、何回掃除をしてもその都度ゴミが出るのだから不思議だ。

甲板で気のついたことだが、「八雲」の上甲板は木甲板となっており、堅い材質の板が張ってある。よく見ると、甲板掃除による刷毛との摩擦で、甲板が二センチほど摩耗している。多くの先輩たちの血と汗による結果を偲び、この続きを私たちがやるのかと思うと、背筋がゾーッとした。

 

我々の「八雲」での訓練中に燃料補給はなかったが、隣に碇泊していた「矢作」が補給作業をやっていたので、その様子を説明しよう。

明治時代に建造された旧式軍艦の燃料は重油ではなく石炭である。そして、石炭搭載が実に大変な重労働であった。低い石炭船の船倉から、外舷の高い軍艦に、すべて人力で積み込むのである。十メートルもある外舷に板で階段を造り、その一段ごとに兵員が腰を掛け、下の石炭船から丸い大きな竹籠にいっぱい石炭を入れては、次から次と手送りで上に揚げるのだ。当然、頭上から石炭の粉末が降ってくるので全身真っ黒になってしまう。下の段に居る者ほど気の毒だ。たぶん新兵であろう。よく見ると顔の皮膚が荒れないように手拭いで頬かむりをし、白粉で化粧をしている。さらに眼鏡を掛け、口にはマスクを当てているが、なにしろ重労働のため汗に粉が混じり、白と黒とがクシャクシャになっている。日清、日露の戦役において大勝利を得た先輩たちの苦労が身に染みて分かった。