わが青春の追憶
呉海兵団

原村演習

帝国海軍といえば誰しも連合艦隊や海軍航空隊を連想されるであろうが、陸軍の分野である陸戦にもそうとう力を入れていた。陸上の戦闘は陸軍に任せておけばよいと思うのだが、とにかく激しい訓練が繰り返された。

練兵場での各個教練から始まり、野外における陣地攻防戦、市街戦、強行軍の追撃退却戦、川原石射撃場での実弾射撃など、陸軍の歩兵に負けないくらい激しい陸戦訓練を行ってきた。その最後の仕上げに、三日間野営の陸戦演習をやらされるのであった。これを原村演習といい、この演習が終れば海兵団における新兵教育は概ね終了すると言われていた。

原村演習は、呉海兵団の新兵分隊全員が連合しての大演習であり、原村という山野において敵と味方に別れて戦うのである。

陸戦隊の装備は、事業服に軍帽(帽子に日覆いを付けた組と、付けない組に分れる)、脚絆着用。それに水筒、薬嚢、雨着、弾帯(帯剣付き)を装備して小銃を持つと、身に付けているものだけで三十キロを超える重さだ。

呉駅から軍用列車に詰め込まれて広島に向かい、山陽本線の八本松という山間の小さい駅で降され、統括監の訓示とともに原村演習が開始された。

最初の日は、流が岡という起伏した広い原野において、陣地攻防戦が展開された。なにしろ、いつもの十五分隊だけでやっていた訓練とは違い、新兵分隊合同の演習であり、教班長たちは他の分隊との競争意識があるうえ、分隊長や分隊士からの勤務評定でもあるのか、特別気合いの入った激しい動作を要求された。おかげで我々新兵は、丘や森の中から谷間にかけて這いずり、駆けづり、早駆けと、真夏の炎天下を全速力で振り回され、汗と埃と泥でくしゃくしゃになったところで、本日はこれまでと、宿舎に指定されていた苗代小学校に向かったのである。

設営の準備をするといっても、寝るのは教室の板の間に毛布を敷くだけ、食事の用意は運動場の隅に煉瓦を積んで飯盒を炊くのみである。

指定された教室に入り、コハゼの付いた脚絆を解き靴下を脱いで足の裏を見ると、豆腐のように白く柔らかに膨れていた。素足で板の上を歩くと冷たくて心地よい。今日の激しい陸戦演習を思う時、豊橋の歩兵第十八連隊に征かなくてよかったな、と疲れた足を揉みながら思ったのであった。

「皆よく聞け、今夜中に敵襲があるかもしれない。いつでも武装して出動できるように準備しておけ、他の分隊よりも遅かったら承知しないぞ、よいな」

さあ大変、疲れてぐっすり寝込んでしまいそうだ。もし緊急呼集に遅れたらとんでもないことになりそうだ。

就寝の枕元には、事業服、帽子、帯剣>、雑嚢と装備するものを順序よく並べ、暗闇でもまごつかないようにした。そして、消灯になるとソーッとズボンをはき脚絆を付ける(海軍の脚半はたくさんのコハゼで止めるのだから面倒だ)。これで安心と思っていたら隣でもゴソゴソとやっている。誰でも同じことを考えているものである。

深夜、何時頃だったろうか。

「敵集、敵集!」

「緊急呼集、運動場に整列、早くしろ!」

疲れ果ててぐったり眠っていたところ、突然大声が飛んできた。続いてバシッ、バシッと何かを殴る音がする、辺り一面真っ暗闇だ。覚悟はしていたものの起きるのは辛い。だが、遅れたら大変と手探りで装備を整える。早い者は運動場へ走って行く。小銃を忘れるな、早く整列しなければ。

「番号」

全員が整列したところで服装点検だ。ボタンは外れていないか、コハゼはよいか、忘れ物はないかと調べられる。どこかでバシッと音がした、誰かやられたらしい。

「右向けぇ右。駆け足進め」

小銃を肩に真夜中の田舎道を走りだした。蛙の泣き声を聞きながら夜露に濡れた道草を踏んで四キロ程走って帰り、汗びっしょりになったところで夜襲訓練は終了したのである。

次の日は、山腹において大隊遭遇戦を主体とした演習で、陣地構築、敵情偵察、白兵戦など激しい訓練が連続して行われ、やはり駆けずり這いずり回された一日であった。

「今夜は敵襲はないと思うが、明日は追撃退却戦だ。きついぞ、脱落しないように十分休養をとっておけ」

追撃退却戦とは、海軍陸戦隊特有の戦法だとのことである。敵軍が陣地を構える暇を与えず、ガムシャラに突進して撃滅するため、追撃組は駆け足どころではない、全速力で追いかけて敵に近付き射撃する。退却組はこの連中に捕まらないよう、さらに早く逃げなければならないので、どちらにとっても大変な苦しい演習である。

原村演習三日目の朝を迎えた。いよいよ陸戦訓練最後の難関にかかろうとしている。幸運にも、我が十五分隊は追撃組と決まったので助かった。

「追撃、進め」

四列縦隊で早駆け行進が開始された。今からおよそ五里(約二十キロ)あまりの山道を突っ走るのである。退却軍の姿が見える位置まで接近すると散開して射撃体勢をとる。

「撃ち方始め」

小銃の空砲を撃ちながら、後の銃の手入れが気にかかる。だが、この隙に乱れた呼吸を整えることができる。

「撃ち方待て、追撃進め」

小銃を肩に、またもや早駆けで前進する。季節は八月の上旬である。炎天下に風もない。道路の砂利の焼けた照り返しに眩暈がしそうだ。乾いた土が足下から舞い上がり、汗のにじみ出た服に着く。呼吸をするのも鼻と口だけでは足りないほどだ。苦しい、体中が焼け付くように暑い。やがて汗も出なくなると、乾いて固まった服がゴワゴワしてきた。

走っては撃ち、また突っ走る。喉が渇き水が欲しい。射撃体勢に散開するとき田んぼの水溜まりを探して、教班長に見られないように腹這いになり、泥水であろうが夢中で飲んだ。

年配の分隊長や分隊士も元気に走っている。さすがに教班長たちは強い。疲れた様子も見せずに走っている。鉄砲も弾薬も持っていないからとは心の内。

田畑を抜けて雑木林にかかった。走れど走れど退却軍の姿は見えない。お互いに全速力で走り続けているのだろう。

灰ヶ峰の山麓にかかる頃になると、敵にも味方にも落後者が現われだした。退却兵が一人、また一人と、道端の草むらや木陰に倒れている。顔色に血の気は無く、体力も気力も失った可哀想な者たちだ。もうこうなれば自分自身の体力と気力だけの勝負である。

落後した者たちは、後方のトラックが集めてくるとのことだ。後日知ったことだが、今回の演習でトラックに拾われた者のうち、既に呼吸の止まっていた者がいたそうである。上官の命令を死ぬまで忠実に守った者として伝えられた。

やがて峠を越えて下り坂にかかった。曲がり道の林の間から遠方に呉の市街地が見え出した。この頃になると自分の意志で駆けているのではなく、足が勝手に動いているようだ。汗が目に沁みていたがもう痛くない。呼吸だけが激しさを増し、体は炎のように熱く、小銃が肩に食い込んで皮膚が破れたようだ。下り坂を駆け降りるのは平地を走るよりも苦しいものであった。

やっと市街地に辿り着いた。汗と埃の異様な姿で走る新兵たちを、通行人は「気の毒に」「ご苦労さま」という目で迎えてくれる。海兵団は近い、少し元気がでた、頑張れ。本通りから下士官兵集会所の前を走り抜け、団門をくぐった。

「諸君たちの今の姿は、実に立派な海軍軍人としての風格である。汗にまみれ泥にまみれて困難を乗り越えた経験は尊いものだ。諸君たちが帝国海軍軍人として、祖国を外敵から護るために戦う日は近い。今日の訓練の苦しみを忘れずに活躍してほしい。皆よく頑張った。終わり」

海兵団に到着し、原村演習の終結を告げる統括監からの講評であった。

兵舎に戻ってもすぐに休めるわけではない。まず小銃の手入れ(空砲を撃った銃身のガスをとるのに苦労する)を、念入りにやらされ、次に汚れた衣類の洗濯を終え、やっと入浴が許され、食事になるのであった。ああ疲れた。