わが青春の追憶
呉海兵団

怪我も病気も自分のこと

「怪我をする奴はボンヤリしているからだ。病気になるのはたるんどるからだ。海軍では同情しないからそのつもりで常に気を付けろ。痛いのも苦しいのも自分がするのだぞ。よいな、絶対にこのことを忘れるな」

これが、呉海兵団入団に際しての教班長からの最初の教えであった。

大変なところに来たものだといささか驚いたが、よく考えてみると頷ける。怪我をして痛い目に遭うのも、病気で苦しむのも、他人が代わって引き受けてくれるものではない。自分自身が常に注意し張り切っていることが、身を守る最も大切なことだと気が付いた。

そのためかどうかは知らないが、昭和十六年五月、海軍に兵科として入籍して以来、昭和二十年十一月の復員までの四年半、小さな怪我はときどきしたが大きな事故に合うことはなかった。病気も風邪や腹痛の程度で、訓練と作業に追い回されて寝ている余裕はなく、勤務を休んだことはなかった。

ただ一度だけ、怪我をして軍医の治療を受けたことがあった。それは、海兵団に入団して一か月ほど過ぎ、訓練に最も張り切っていたときである。

 

「総員、吊床おろせ」の猛訓練中に、二階から投げ下ろした吊床の勢いで、吊床の先端に付いている鉄の輪が私の頭に当たって皮が破れてしまった。自分では一秒を競う訓練に夢中で気が付かなかったが、出血がひどかったのか教班長がとんできて怪我を知ったのである。

傷口を手拭いで押さえたまま分隊助手に連れられて医務室に走った。三十分程待たされてやっと軍医が現れた。

「なにい、吊床の輪が当たっただと。ボヤボヤしやぁがって」

軍医は荒い手つきで傷口を消毒したり薬をつけていたが、やがて、ハサミで傷口の頭髪を刈り取ると、

「ちょっと痛いが我慢しろよ。おい、そこにいる兵隊、ここへ来てこいつの頭を押さえろ」

分隊助手に私の頭を両手で掴えさせると傷口を針で縫い始めた。痛かったが、これが軍隊だと我慢した。頭の皮は固いらしくなかなかはかどらない、頭に焼け火箸を刺されるようであった。

「ようし終わったぞ、帰ってよい」

その夜は、無理やり縫い合わせた傷が痛んで、しばらく眠れなかった。

翌早朝、また「総員起こし、総員吊床おさめ」の猛訓練が容赦なく繰り返される。海兵団や砲術学校では、少しくらい病気になろうと怪我をしようと、休みなく訓練は続けられるのである。こうして何事にも熱中していれば、大抵の怪我や病気は忘れてしまい、いつの間にか良くなるのであった。

 

今日、病気で勤務を休んだり職場の不満を言う奴は、暇があるからだ、もっと仕事に熱をいれろ、と心の内では思っていても、管理職の立場にある者が言葉に出したらとんでもないことになってしまう。やれ労働基準法違反だ、人権無視だと罵られるのは必然。むしろその原因はおまえのせいだと反発されそうである。海軍では、何事も他人のせいにするのは卑怯な奴だ、常に自分の行動に注意し責任をもて、怪我をしたり病気になるのは恥ずかしいことだ、と徹底的に鍛えられるのであった。