わが青春の追憶
呉海兵団

宮島遠漕

海兵団での新兵教育もいよいよ終盤に近付いた。八月中旬になると訓練らしい訓練はなく、教班長たちは専ら分隊対抗競技に熱を入れていた。

相撲大会、水泳競技会、銃剣術試合大会など、偉い方々をお招きして盛大に催されたが、選手として出場しない連中は、応援という名目のもとに見物していた。

この分隊対抗競技会が一段落すると、呉海兵団最後の行事といわれる宮島遠漕が行われるのである。厳島神社の参拝を理由に観光と訓練を兼ねた行事だが、訓練の部分だけは、既に兵舎内で何回もやらされてきた。

日本三景の一つだということは小学校で教わったが、宮島が何処にあるのか私には分からない。呉からそんなに遠くはないらしい。それでも海上をカッター競争で渡るのだから、きつい遠足になりそうだ。

当日の服装は第二種軍装。純白の水兵服を着て、第一桟橋からカッターに乗り込んだ。曳き船に曳航されて出発する分隊もあったが、十五分隊の我々は帰りに曳船のご厄介になるとのことだ。

軍港の中ほどまで漕ぎ出すと、十二隻のカッターを横一線に揃えて停止し、先任伍長の合図で予定通りに競争となった。十教班長の号笛に合わせて力いっぱい漕ぎ進む。他の教班も懸命に漕いでいる。海兵団生活の最終を飾るカッター競技である。教班長の気持ちを察し、新兵たちは腕も抜けよと力を入れる。白い軍服が汗で濡れてきた。重くて太いオールを握る手に豆ができ、それが潰れヒリヒリと痛い。漕手座に当たっている尻の皮も破れたのか汗が沁みて痛くなった。腹の皮が捩れそうだ、目的地はまだか、苦しいが頑張ろう。

やがて右手前方に広島の宇品港が見えてきた、遠方に市街地が汗と涙にかすんで見える。宮島は何処であろう。

二時間くらい全身全力で漕ぎ、へとへとになった頃、やっと赤い大きな鳥居が見えてボート競技は終わった。そして嬉しいことに、全教班のカッターが大差なく宮島に到着した。我が十教班が何位であったか記憶にないが、多分上位であったように思う。遅れた教班も今回の競争に罰直がなかったので気分よく上陸し、全員整列して神社に向かった。

厳島神社は「平清盛」が建立した戦さの神様であるとの説明を聞き、戦地で戦っている皇軍の武運長久を心から祈るとともに、もう直ぐ海兵団を巣立ち、実地勤務につく私へのご加護をお祈りした。それから、神社を背景に記念写真を撮った。この写真は家に送ってあったため、現在も残っている数少ない写真である。

海上に聳え立つ大鳥居、水に映える朱の回廊、厳かな大神殿、広く美しい拝殿及び神楽殿など、緑の島に鮮やかな朱の神社、田舎者の私の目に映った景色は実に美しい。一度でよいから家族にも見物させてやりたいが、四等水兵の籠の鳥ではどうにもならない。

宮島参拝の帰りは楽であった。十五分隊十二隻のカッターは曳き船に曳航され、他の分隊が一生懸命に漕いでいるのを、横目に見ながら涼しい風に吹かれて帰ったのである。

今更ながら、機動力の有り難さが身に沁みて分かった。