わが青春の追憶
呉海兵団

皆さん、ご機嫌よう

『十六志前期』つまり昭和十六年五月一日、海軍志願兵として軍籍をおいた私たちの兵籍期である。この同年兵は、ときには連帯責任の罰を受けたり、ときには助け合い、また死に物狂いの競争相手でもあるが、心から相談できる真の友である。

いよいよ終業の日が近い。教班長から配置希望の用紙が手渡され、本日中に提出せよとのことであった。

「俺は、海軍の花形である戦艦に乗るんだ」

「いや、軍艦の花形は巡洋艦だぞ」

「航空母艦もいいな」

「駆逐艦もいいけど、小さいのでガブルだろうなあ」

用紙を手にして、さまざまな希望の声が聞こえてくる。さすがに志願兵だ、陸上勤務とか海防艦を望んでいる者はいないようだ。

私の希望は決まっていた。前にも述べたように飛行予科練習生にいきたかったが、受験資格の年齢を超えていたので水兵になった。だから、時期をみて丙種飛行予科練習生の試験を受けてみるつもりであった。それまでは家族的な小型艦『駆逐艦』をと思って第一希望駆逐艦、第二希望なし、と記入して提出しておいた。

私が駆逐艦を希望したのには、もう一つの理由があった。故郷の隣村の白谷出身で当時兵曹長になっておられた先輩の藤城要さんが呉海兵団におられた。古兵分隊の分隊士として兵舎も近かったので、ときどき訪ねてくださり、なにかとお世話になっていた。藤城さんは口癖のように、

「お前は長男で、しかも一人だけの男ではないか。お前が死んだら家を継ぐ者が無くなるぞ。飛行機は諦めろ。大砲がいい、砲術学校に行け。そして駆逐艦に乗れ、俺はそうしてきたのだ。いいな、大砲にしろ」

藤城さんの親切な言葉を有り難く思い、駆逐艦に決めていたのであった。

昭和十六年八月十三日、呉海兵団新兵教育修業の棹尾を飾る大観兵式が行われた。呉鎮守府司令長官 日比野正治中将をお迎えし、海兵団長 畠山耕一郎少将、海兵団副長 太田実大佐、教育主任 山田洋中佐など、日頃顔を見ることもできない雲の上のお偉方たちに、三か月半における新兵教育の成果を見て頂くのである。

炎天下の練兵場に二時間も前から整列させられ、足が疲れた頃やっと式が開始された。服装点検、分隊行進など、目の玉をも動かすことのできない緊張の連続であった。

翌八月十四日、明日はいよいよ海兵団ともお別れである。衣嚢の整理をし、何かとお世話になった手箱を空け、持ち物をまとめて転勤の準備をしていた。

「お前たちの勤務先が決まったから知らせる。希望通りにならなかった者もあるが我慢してくれ」

一人ずつ勤務先の書いてある命令書が手渡された。

『駆逐艦 敷波 乗組を命ず』

おやっ、駆逐艦「敷波」とは。一年前に志願した小学校の同級生である伊藤隆君が乗っている艦ではないか。偶然の驚きとともに希望が叶えられたことが嬉しかった。

早速、十教班長にお礼を申し上げようと事務室に入ると、泉教班長は待っていたように、

「柴田、お前はよく頑張ったが惜しいことをしたぞ。学科の成績がもう一点良ければ、二百人の分隊中で二番になるところだった。残念だが四番だ。しかし、良くやってくれた。俺も鼻が高い。海兵団での成績は知らせないことになっているから秘密だぞ」

「教班長、有り難うございました」

心から頭を下げてお礼を申し上げた。

努力が認められたのである。知能の優れた者とも思えない私が、また一介の百姓の小せがれが、四番になっていようとは思ってもいなかった。何事も誠心誠意尽くすことが、明日からの私に与えられた試練であると、覚悟を新たにしたのであった。

昭和十六年八月十五日。朝のうち小雨、総員起こし(吊床訓練なし)、洗面後、夏服の第二種軍装に着替え、衣嚢と毛布を一包みに括り、港まで担いで行った。桟橋には、それぞれ行き先別 に示された荷船が待っていた。「敷波」は九州の佐伯湾に碇泊しているとのことであった。

再び兵舎に戻り、簡単に兵舎内外の掃除をすませて食事の用意をする。最後の朝食は赤飯に尾頭付きであった。

「皆よく頑張ってくれた。これから実地勤務に就いてもらうが、海兵団より、もっともっと辛いことが多いと思う。苦しいことにも負けず立派な海軍軍人になってくれ。病気や怪我をしないよう体に気をつけてな。落ち着いたら手紙をくれよ」

泉義夫教班長から、しみじみと別れの言葉があった。三か月半の苦しみが吹っ飛び、

「第十教班長、大変お世話になりました、有り難うございました」

思いは誰も同じであった。一斉に立ち上がって、泉教班長の暖かい気持ちに心からお礼を申し上げたのである。

海軍三等水兵、錨一つの等級マークが軍服の右腕に付いた。やっと水兵らしい格好になったところで、懐かしい第四兵舎とも別れ、新三等水兵全員が練兵場に集合したのである。

教育主任の将校から海兵団教育修了の訓示があり、軍楽隊の演奏する軍艦マーチに送られて正門に向かった。

分隊長、分隊士、各教班長、助手、本部付の兵隊、厳しい姿の衛兵まで皆が手を振って送ってくれる。苦しかった海兵団、辛かった練兵場も、今は懐かしい想い出となり、団外練兵場の土手の松林にも深い愛着を感じた。泉教班長はどこに居られるのか、行進しながら目で探したが見当たらない。

第十五分隊長、分隊士、教班長、お世話になった皆さん、ご機嫌よう、さようなら。胸のうちで別れを告げ、団門を出た。

これで、呉海兵団における新兵教育は修了したが、本当の新兵の苦しみは、これから駆逐艦「敷波」でしっかりと味わうことになる。