わが青春の追憶
駆逐艦敷波

新三等水兵

「課業始め、五分前」

朝食後、居住区でひと休みしていた下士官兵たちは急いで前甲板に集まり、分隊ごとに先任下士官の指揮で整列した。しかし、どういうものか機関科分隊は集まらない、別に集合するらしい。

新兵の我々は、教員である宮田兵曹の指導で旧兵たちとは別に並び、時間が来るまで待機した。

やがて艦橋から課業始めのラッパが高らかに鳴り響く、続いて当直下士の号笛とともに、

「課業始め、水兵員整列」

各分隊の先任下士は、本日の副直将校である掌水雷長に集合したことを報告する。報告の仕方は陸軍のように敬礼をして、答礼があってから「第○分隊、総員○名、事故○名、現在員○名、番号、事故の○名は……」とやって、また敬礼、答礼などと面倒なことは一切しない。敬礼をしながら簡単に、

「第一分隊」

「第二分隊」

「第三分隊」

「新三等水兵」

集合の報告を受けた副直将校は、これまた敬礼とともに当直将校である砲術長に、

「よろしい」

当直将校は、一言、

「予定訓練、かかれ」

課業始めのラッパが鳴り終ってから、訓練かかれまでの間三十秒とはかからない。さっと散って、それぞれの部署に着き、直ちに訓練が開始されるのである。

胸に黄色いリボンを付けている新三等水兵は、前甲板に残って、宮田教員から艦隊の編成や「敷波」の装備についての説明があり、続いて艦内の各部署について案内された。

「ここが艦橋だ。航海については勿論のこと、戦闘のとき命令を出すのも全てここからだ。つまり本艦の頭脳に当たる所だ。お前たちが艦橋で当直員となってやることは、まず航海当番だ」

そして、艦隊が行動するときの状況について、詳しい説明があった。

軍艦が編隊で航海するにはいろいろな決まりがある。艦隊行動における速力とか針路などは、旗艦または指令艦からの合図に従って進む。

両舷前進微速 四ノット。同半速 八ノット。同原速 十二ノット。同強速 十八ノット。両舷とは、スクリューが二つあるので、左右の回転を変えて進むことができるためである。さらに戦闘速力は、第一戦速が二十一ノットで、第二戦速から第五戦速まで段階がつけられ、第五戦速(前進いっぱい)では三十七ノットのスピードが出せる。

自艦の速力を後続艦に知らせるには、速力マークといってマストの両側に紐で吊した籠の形をしたものと、赤と黒の円板を掲げ、二つの籠の位置によって原速とか強速とかを知らせるのである。また原速のうちにも赤二とか黒三というように速度を調整して、艦隊の行動を一定に保っていくのであった。

夜間航海するときには、艦の衝突を避けるため艦橋の右舷に青色の、左舷に赤色の航海灯を点灯する。それは他の艦から見て進行方向を識別するためで、例えば赤色の灯が見えればその艦は左に、青色のときは右に進んでおり、青と赤の両方が見えれば、こちらに向かって進んで来るということである。

この航海灯に異常のないことを確かめ、ときどき大声で艦橋の当直将校に報告するのが航海当番の役目であった。

「右舷灯、よーろし」

「左舷灯、よーろし」

このようなことを、航海当番である新兵がやらされるのである。

宮田兵曹の説明は続く。

「これが羅針盤だ。今は作動していないが航海中は艦の中心部にある重さ八貫目もある大きなコマが、一分間に四千回転の速度で回り、一定の方向を示してこの羅針盤に伝えてくるのだ。広い海の真っただ中での航海は、この羅針盤だけが頼りだ。これをジャイロコンパスとも言うものだから覚えておけ」

舵を取ったり速度を変えるには、下段の操舵室につながっている伝声管という太いパイプに口を当てて号令を伝達するのである。号令には必ず復唱が返ってくる。それでは軍艦が航海する場面を再現してみよう。

 

艦長  「両舷前進微速、面舵」

操舵長 「リョーゲン、ゼンシンビソーク、オモーカージ。オモカジ、フタジュードー」

艦長  「両舷前進半速、戻せ」

舵舵長 「リョーゲン、ゼンシンハンソーク、モドーセー。カジチューオー」

艦長  「両舷前進原速、黒三」

舵舵長 「リョーゲン、ゼンシンゲンソーク、クロサン」

といったぐあいで、どこかユーモラスであり調子もよい。航海中の号令や復唱は一つ一つにメロデーがある。それは風や波の音で聞き取り難い時でも、メロデーによって判断できるからだ。

面舵は右へ、取は左へ向きを変えることを言い、ヨーソロとは宜しく候の略語で、真っ直ぐ進めという意味である。

宮田教員の案内で、私たちは艦首の錨甲板に集まった。

「本艦の錨は重さ五トン、鎖の長さは左右十一節ずつである。いま右舷を使って投錨してあるが、左右交代で錨を使用するのだ。ここで鎖を止めてあるものを、チェン、スクリュウ、スリップ、ストッパーと言って、この止め金をハンマーで叩くだけで錨を落とすことができるのである」

鎖の一節の長さは二十五メートル、そして一節ごとに切り離すことができる。その継ぎ目の部分には白ペンキで印が付けてあり、一目で何節海底に入れてあるかが分かるようになっているのだ。

艦が潮流に流されないように止まっているのは、錨の重さで海底に固定されるものではなく、一つ一つの鎖の隙間に土砂が食い込んで止めるのだとのことである。だから、水深に合わせて鎖を海底に這わせるのだそうだ。例えば水深二十メートルの場合は、六節か七節(百五十から百七十五メートル)も、鎖を使用するのである。

「よいか、出港用意のときには、お前たち新兵は揚がってくる錨鎖を一つずつ丁寧にソーフで拭うのだぞ」

この後、案内されたのは砲塔や魚雷発射管、汽缶室、機械室、電気補機室などであったが、これら駆逐艦の主兵器については、別に説明しよう。

次に、海軍特有のシステムである上陸札の使い方について記しておこう。幅四センチ、長さ十センチほどの小さな木の札に、

表 左舷 三水 柴田芳三 二部

裏 駆逐艦敷波(焼印)

と書かれた簡単なものであるが、これが実にうまく利用されるのであった。

上陸する時には、勿論この小さな木の札を当直将校に渡さないと上陸できない。それで帰艦したときには、舷門の机の上に並べてある上陸札を各自受け取ってくるので、未帰艦者は誰であるか、つまり時限までに帰ってこない者は誰であるかが簡単に分かるのである。もし帰艦時限に遅れでもしたものなら、軍法会議にかけられ後発航期罪に問われて大変なことになるからと、厳重な注意があった。

上陸には、乗組員の半数が上陸できる半舷上陸と、夕食から翌朝の食事どきまで上陸する入湯上陸とがあって、半舷上陸は土曜日と日曜祭日のみで、入湯上陸は毎日あるのだが、どちらの上陸も軍港に碇泊しているときだけに許されるものである。

半舷上陸は左舷直と右舷直とに分けられ、入湯上陸は右舷直を更に二分して一部員と三部員に分け、左舷直も二部員と四部員に、つまり入湯上陸は四日に一回ということであった。そのため艦隊が軍港に入港すると妻子の居る者は呉に呼び寄せるので、誰が言い出したのか食事の後の「おい、艦隊入港だ」は、(妻に用事あり)つま楊枝を持って来いという意味である。

しかしながら、我々は三等水兵を一年経験しないと入湯上陸は許されないため、一週間に一度の半舷上陸だけで、しかも日帰りであった。

このように、上陸といってもいろいろ区別されているが、上陸札を見れば今日上陸する権利の無い者が誤魔化したり、帰艦時間を勝手に変えたりすることはできない仕組みになっている。

次の利用方法は、上陸札が借用証書になるということである。艦内の各部所にはそれぞれ倉庫があって、必要な資材とか道具などは、この倉庫に行って倉庫番から借り受ける。倉庫番はたいてい進級にあまり関係ないといった古参の一等水兵で、上陸札と引き替えでなければ貸してくれない。これでは次の上陸までに返済しないと上陸できなくなるので、借りた物を失わないよう大切にせざるをえないのである。

この道具を借りに行くのも、新兵にとって重要な役目となっている。

「おい、外舷索を持ってこい」

と言われれば、運用科倉庫に走り、

「ハンマーだ」

と言えば、金工倉庫へ、

「のこぎり」

は木工倉庫といったように、その都度前に借りた物を返して上陸札を受け取り、次の品物を借りに走るのである。さらに、上官がまだ使用中のときには、同年兵の上陸札を担保なしで借りることもあった。

新兵教員の宮田兵曹と助手の和田一水から、艦内のしきたりや、いろいろな道具の使い方についての説明を聞き、後部兵員室に入ったところで、

「休め」

となった。

「休めのときは休むことだ。いいかよく覚えておけ、『休め』で休まない奴は、『かかれ』で、かからない奴だ」

宮田兵曹は話しながら、なにげなく軍服の上着を脱いでテーブルの上に置いた。

「新兵はどんなことでも気の付いたことは直ちにやれ。たとえそれが間違っていても下手であっても、積極的な行動であれば上官は必ず認めてくれる。新兵として大切なことは、自信を得てからやることよりも、出来ないことでも率先してやってみることだ、よいな」

続いて、助手の和田一水が、

「宮田兵曹の言っていることが分かったのかどうだ、返事をしろ」

「はい、分かりました」

「貴様らぁ、返事をしても分かっちゃいないぞ、よく気を付けて見ろ」

「……」

「なんだ、まだ分からんのか。貴様たちの目は明き盲か。ここを見ろ、宮田兵曹の上着が放ってあるじゃあないか。課業中だから刷毛を掛けなくてもよいが、直にたたむぐらいの気を利かせろ。上官の行動は常に注意していろとはこういうことを言うのだ。これから絶対に忘れるな」

「それでは、貴様たちが常にどれだけ注意しているか質問する。昨日貴様らが本艦に乗艦したときの舷門の階段は何段あったか、答えれる奴はいるか」

これは驚いた、そこまで気をつけていた者はいない。

「誰も知らんのか、後でよく調べておけ。では、ここに居られる宮田兵曹の名前が言えるか」

これもまだ聞いたことはなかった。

「聞いていないから知らないとは言わせないぞ。いやしくも宮田兵曹は貴様たちの教員だぞ。お世話になる教員の官職氏名などは真っ先に質問して覚えておくものだ」

こんな調子で私たちは絞られることになった。

新兵は、教えられたことを忠実に覚えていくものだと思っていたところ、駆逐艦では知らないことを質問して習得するものであった。そのため、二週間の教育期間が過ぎると、教わらなかったとしても「知りません」などと言ったものなら、

「貴様ぁ、教育期間中なにをしてきたんか。こんなことは真っ先に質問して覚えるものだ。今から俺が二度と忘れんように教えてやる」

と、ビンタを十回ほど殴られることになる。だが、知らないことでも、

「忘れました」

と答えれば、

「忘れたものなら仕方がない」

ビンタの二、三回で済むのである。

新兵教育中の毎日の日課は、午前中は先輩たちと一緒になって各部所に入り、兵器についての訓練を徹底的にやらされるのであったが、そのことは後で詳しく説明しよう。

新兵教育は主として午後行われる。教育の内容は砲術とか水雷術などの専門的なものではなく、一般内務の仕事にかぎられる。例えば当直下士、当番の任務だとか、艦内生活での号令、号笛、カッターや内火艇の扱い方、洗濯、掃除、食卓番などについて教えられる。そのうち特に上官に接する心構え、気配り、態度などを叩き込まれるのであった。

 

では、艦内生活における号令の主なものをあげてみよう。(夜間、上甲板に整列して、大声を張り上げて発声練習をやらされた)

「総員起こし、総員吊床おさめ」

「別れ、休め、顔洗え」

「総員、手を洗え」

「食事、事業服に着替え」

「課業始め、五分前」

「課業始め、水兵員整列」

「課業止め、五分前」

「課業止め、休め」

これが午前中の主な号令で、午後も課業については同様な号令が繰り返され、夕食からは、

「食事、第一種軍装に着替え」

「別科始め」

「別科止め、休め」

「武技遊戯許す、酒保開け」

「総員、吊床降ろせ」

「巡検」

「巡検終わり、たばこ盆だせ」

このような号令は、当直下士官と当番が副直将校の指示を得て、号笛を吹きながら大声で艦内を駆け回るのである。当直下士官は若い下士官か善行章をもっている一等水兵が割り当てられるが、当番は三等水兵が多く指名される。

号笛のことをパイプといって、慣れないといい音色が出ない。パイプの吹奏は号令によってメロディーが異なり、総員という号令は、

「ホヒー、ホヒーホー」と吹いて

「総員起こし、総員吊床おさめ」

と呼ぶのである。

一般の号令を雑令といって、

「ホヒー、ホー」、

「課業始め、水兵員整列」

となるのである。

緊急の場合は短く、

「ピホー」、

「配置に付け」

その他舷門送迎とか、カッターや内火艇をダビットに揚げるときも、パイプの合図によって行われるのであった。

艦内における時刻は、舷門にある時計が基準とされ、三十分毎に鐘を鳴らして知らせるのだが、これも当番の役目であった。午前零時三十分を始めとして一点鐘、午前一時は二点鐘、一時三十分は三点鐘というように午前四時の八点鐘までを周期として繰り返されるのである。

始めの頃は当直下士や当番の叫んでいる号令が、何を言っているのかさっぱり分からなかったが、慣れてくると号令の節回しで判断できるようになってくる。

「ソーイーン、テァラエー」(総員手を洗え)

「カギョーハジメ、ゴフンマーェー」(課業始め五分前)

「カンカン、カンカン、カン」(二時三十分)

といった具合であった。