わが青春の追憶
駆逐艦敷波

これが新兵だ

ゴソッと頭の方で何か動いたような気がした。眠い、実に眠い。つい先ほど吊床に入ったばかりなのに、とつり込まれるように再び眠りかけた。だが、ハッと気を取り直して、無理やり目を開けて通路を見た。ホーキが五本ほど置いてある。ソーッと起きて通路の薄暗い電灯の下で時計を見ると、既に五時を過ぎていた。眠っていたのは五分間位のような気がした。ああ、まだ眠い。

「柴田遅いぞ、早くしろ」

低い声が背後から聞こえた。

同年兵の八曽であった。八曽は水雷科だが居住区が同じだったので私を起こしてくれたのだ。一区には新兵が三人いた。三人は相談して、早く起きた者が互いに起こすことにしたのである。

「敷波」乗組員となって二週間が過ぎ、新兵教育は昨日で終了した。今日からは特別扱いはされない。本当の新兵生活が始まったのである。

急いで自分の吊床を括る。といっても下士官を踏まないように、二等水兵の吊床に触れないよう注意しながら、重い吊床をネッチングに格納する。

まだ新兵の三人が起きただけで、総員起こしまで二十分ある。だがのんびりしているわけにはいかない。急いで掃除の道具を揃えようと、オスタップを運んで水を汲み、部屋の隅に置く。ホーキと内舷マッチ(雑巾のこと)は八曽が支度をしてくれた。甲板バケ、ソーフ、ブルーム、ハタキなどを所定の位置に用意する。

総員起こし十五分前になると、半年先輩の三水を起こして吊床括りを手伝って納めてやる。次は一年先輩の三水を、そして二水と、順番に古い兵を起こしては、寝具を納める。

「総員起こし、五分前」

善行章二本の一水と下士官が起き出す。軍服と靴を揃えておいて、寝具を手早く片付ける。

「総員起こし、総員吊床納め」

善行章三本以上の下士官たちがゆっくりと起き出した。昨夜念入りに磨いておいた靴を揃えて差し出す。軍服も刷毛をかけておいたものを畳んだまま、ズボン、上着、軍帽と、一人ひとりに渡すのである。一人の新兵で三、四人を受け持って世話をするのだが、間に合わないときは先輩三水に応援してもらうこともある。

下士官連中が寝惚け眼で欠伸しているところを、

「すみません、お願いいたします」

と言いながら、寝台になっていたテーブルを組み立てたり、毛布を畳んで片付けたり、ネッチングを整頓したり、総員起こしからこれまでを五分以内に手早く片付けないと、次の号令がとんでくる。

「総員上甲板、体操始め」

全員上甲板に出て海軍体操となるのであるが、私たちは先輩三水たちから怒鳴られこづかれ、テーブルや椅子のネジを締めつけたり、舷窓を開けて回り、やっと上甲板に上がることができた。早朝の潮風が心地よい。

「新兵遅いぞ、貴様ら体操やる気があるのか」

人と人とがぶつかり合いながらの体操が終わり、

「宮城に向かって、拝礼」

次は居住区の掃除にかかる。掃除の役目も古い兵から軽い仕事が決まっている。甲板バケやソーフを持ち、裸足にされて『回れ!回れ!』と、床を這いずり回され、動作が遅い、腰を低くして力を入れろと、直心棒で尻を叩かれるのが三水だ。ブルームやホーキのような柄のついている道具を使うのは二水たちで、内舷マッチかハタキで適当に動いているのが善行章のない一水である。善行章の付いている一水のうち、甲板助手(甲板上の整理取り締まりをする役で、左腕に黄色と白色の腕章を着けている。三水たちが恐れている役)の掛け声で、『回れ!回れ!』と甲板掃除が行われるのであった。

居住区の床はリノリューム張りのため、大掃除のとき以外は水洗いはしない。油の滲みたソーフで床を強く擦るのだが、全身の力を腕に乗せ、何回も『回れ、回れ!』をやらされる。疲れて腕の力を抜くと、容赦なくバシッと殴られる。

居住区の掃除が済むと今度は上甲板だ。普段は油ソーフで『回れ!回れ!』とやらされているが、週一回の大掃除には石鹸水を流して甲板バケを持たされ、それこそ何十回となく「回れ、ソレッ回れ!」とやられた後、絞ったソーフで石鹸水を拭き取り、さらにリノリューム油を何滴か落としたのを、今度は油ソーフで床に擦り込むのである。だから掃除といえば、我々新兵は甲板の上を這い回ることであった。

「別れ、休め、顔洗え」

やっと朝の掃除が終わった。急いで掃除用具を納めると、居住区に走って戻る。昨夜苦労して磨いておいた洗面器を、もう一度チリ紙で拭きながら古参下士官に差し出す。同時に個人の洗面袋(歯磨粉、歯ブラシ、タオル、石鹸などが入っている私物の袋)を、間違えないように手渡すのだが、内心ビクビクしていたのである。

それにはこんな訳があった。駆逐艦における『洗面器と新兵』の悲劇について記しておこう。兵員用の洗面器は何処の家庭にもある浴場用のものと同じ大きさで、真鋳で出来ており常に光っていないと神様たちはゴキ悪い。それでいて、この洗面器はいろいろなものに使われる。洗面、入浴の他、洗濯のときは水柄杓になったり、褌や帽子の濯ぎ桶となるのはまだしも、汚い話だが、航海中に船酔いしたときのゲロもこの洗面器に受けるのであった。

まだある。海軍では銀バイといって主計科倉庫から食糧を盗んだり、若い主計兵を脅して缶詰とか清涼品を取り上げることが実に上手だ。夜間巡検後の腹の空いた頃、下士官連中は銀バイした野菜、米、鱒の缶詰などを自分で調理することがあるのだが、我々水兵には鍋も釜もコンロも無い。そこで飯を炊くにもお菜を煮るにも洗面器が使われることになる。しかも燃料には運用科倉庫から銀バイした太いローソクを四、五本も燃やすのだから、洗面器の底は真っ黒くなり、内側にはお菜や飯が焦げ付いてしまう。

一昨日のことであった。洗面器を念入りに磨き上げたところを、下士官たちの調理道具に使われ、私たちには一粒の分け前もなく、洗面器だけが真っ黒くなって戻ってきた。しかも三個全部である。 先輩三水から、

「文句を言うな、直ぐ磨け」

との命令である。早速、砂で擦ったり、真鋳磨きで磨いたり、仕上げに歯磨き粉で拭き取ってどうにか終えたと思ったら、

「これで磨いたと言えるか、まだ油煙で曇っているではないか、もう一度やり直せ」

と検査が通らない。おかげで二時間程寝るのが遅くなってしまった。

翌朝、洗面を終えて部屋に戻ってきた下士官が、

「おい、俺はいま歯磨粉で顔を洗ってきたぞ」

洗面器に歯磨粉が着いていたのであろう、少しぐらい水に浮かんでいても汚いものでもなし、たいしたこともなかろうと思っていたら、突然、栗木一水が立ち上がり、

「山田ちょっと来い、貴様の教育が悪いから藤原兵曹に迷惑をかけたのだ、シバよく見てろ」

山田三水は、顔の形が変わるほどビンタを殴られた。私が原因で先輩がやられるのを見るのはたまらなく、身が縮む思いであった。

こんなことを思い出し、今日はもう新兵教育中ではないのだ、何か失敗があれば今度は私がやられると思うと、洗面器を渡す手元が自然と震えた。

洗面は、左舷中央の上甲板で行われる。洗面台も無ければ勿論水道などあるわけではない。各班から一名ずつ三水が出て、後部にある水槽から真水を手押しポンプで汲み上げ、オスタップに入れて洗面の場所まで運ぶのである。そして古い下士官から順に洗面器に水を配る。一班から出ている宮本三水と交代しようと、

「宮本さん、有り難うございました」

先輩三水と代わるにも、お礼を言わなくてはならない。

我々新兵の洗面は当然最後になるのだが、水の少ない時などは洗面器に三分の一ぐらいしかもらえない。それでも歯を磨き、石鹸で顔を洗い、手拭いも洗濯するのだ。それを急いで済ませ、洗面所になっている甲板を洗い流してソーフで拭い、オスタップを納めると、かけ足で居住区に戻り朝食の支度にかかるのである。

テーブルに食卓カバーを敷き、食器棚から食器と箸を取り出してテーブルに並べると、ヤカンを手に烹炊所(ほうすいじょ)へ走って行く。烹炊所の入口には既に十五人ほどの食卓番である三水が列をつくっていた。遅くなって心配していたところ、

「シバ、何をしていたんだ遅いぞ、俺が順番を取っておいたからここへ来い」

山田三水が五人目のところに居た。

「山田さん、有り難うございました」

心からお礼が言えた。山田三水が去ると、

「なんだ貴様、後から来て前に並ぶとは太い奴だ、後ろに行け」

六人目の先輩三水から怒鳴られ、三つばかり頭をこづかれたが、ここが我慢のしどころとじっと頑張り五人目を譲らなかった。

「総員、手を洗え」

この号令で我々兵員のエサが貰える。それっと入口に押し掛ける。烹炊所の二等主計兵は心得たもので、入口に立つと直心棒を横に遮って、

「おい、ここまでだ」

三人だけ狭い烹炊所の中に入り、自分の班の食缶棚から飯の缶、汁の缶、お菜や漬物などを入れるテンパの三個の食缶を取り出し、両手に持って急いで出て行く。お茶は先に他の者が持って帰っている。

「次、三人入れ」

二回目で私も中に入ることができた。両手に食缶を持ったが、テンパを持つため一度食缶 を床に下ろした。

「何をぼやぼやしとる、早く行かんか」

直心棒で背中を突かれ、危うく前につんのめりそうになった。

烹炊所から一区の兵員室までには階段がないので助かったが、他の兵員室に行くには階段を下りるのだ。狭い垂直なラッタルを両手に食缶を持ったまま、ダダ……と駆け降りる。足を滑らせて落ちたときは食事は無くなり、勿論タダでは済まされない。

烹炊所から急いで班に戻ると、山田さんは遅いぞと言わんばかりに食缶を私の手から引き取り、

「飯は俺がつけるから、お前はお菜をつけろ、丁寧に、注意してな」

一年先輩の宮本三水も黙って湯飲みにお茶を注いでくださる。

「なんだぁ、また野菜の煮付けか、たまにはお頭つきか肉でも食わせろよ」

班長以下皆は食べ始めたが、私にはまだ食事の前にすることがある。下士官や古参兵たちの事業服を着替えられるよう、支度をしておくのだ。

「食事、事業服に着替え」

皆が食べ終わる頃やっと飯にありつけた。新兵が椅子に腰掛けられるのは、一日に三度の食事をする時だけだ。

 

食事の後片付けがまた大変であった。テーブル上の食器を集め、残飯と食器を二つの食缶に入れ、食器カバーを拭き、手早く巻いて食器棚の上に置く。続いて下士官たちが事業服に着替えたあとの軍服に刷毛をかけて畳み、各自のチストに納めるのだ。次に軍帽を帽子缶に入れて艦内帽を出して渡す。これを手際よくやらないと神様たちはゴキ悪い。

下士官たちの世話が済めば、とにかく早いとこ食缶を持って部屋を出ることである。左舷の流し場(といっても流し台など無い)に行き、残飯をスカッパーから海に捨て、手押しポンプで海水を汲み上げて食器や食缶を洗うのである。

食事の片付けはどこの班でも三水の仕事だ。その三水のうちにも先輩後輩の段階があって、一日でも海軍の飯を多く食った者には、無条件で服従しなくてはいけないのだ。階級は同じでも実務日数の多い者が偉いというわけである。

「上官の命令は、ことの如何を問わず、直ちに服従すべし」といった絶対的な厳しい決まりがあった。

私たち十六志より四か月先輩の十六年一月の徴兵(年齢では私よりも三~四才上になる)と、一か年先輩の十五年六月の志願兵との三段階の三水がいたのである。それで、私たち同年兵は一部の班に配置されただけなので、何処に居ても頭は上がらない。三水たちが集まって狭い場所で食器を洗う時など、自然と先輩の肩書きが幅をきかせる。私が海水ポンプに手を掛けようとすると、

「やい、俺が先に汲む」

ポンプの近い場所に食缶を置いて洗おうとすると、

「なんだ貴様、ここは俺の場所だ、どけ」

こんな調子なので新兵は食器洗いもつい遅くなってしまう。そこに、「気を付け」のラッパが鳴る。八時の軍艦旗掲揚の合図である。全員その場に直立、艦尾の軍艦旗に向かって挙手の敬礼。

「かかれ」

で再び食器を洗う、といった調子である。

一週間に一度は食器を磨き砂で念入りに磨き、食卓カバーも石鹸で洗って乾かすのである。

 

食缶を烹炊所に収め、食器を班の食器棚に入れる。一休みしたいところだ。早朝から動きっぱなしで喉が乾く。お茶を一杯とヤカンに手を掛けたが一滴もない。

「課業始め、五分前」

兵員室で雑談をしていた下士官兵たちは、前甲板に上り分隊毎に集合し、先任下士官の指示で整列する。今日からは私も第一分隊員として列に加えられるのだ。

「柴田、お前はここだ」

右翼から二番目の前列についた。

「第一分隊」

砲術科先任下士は、本日の副直将校である掌水雷長に報告し、そのまま時間がくるのを待つ。やがて艦橋からラッパが鳴り響き、

「課業始め、水兵員整列」

当直将校である砲術長は、おもむろに小さな台に上り、副直将校の、

「よろしい」

に答礼して、

「予定訓練、かかれ」

サッと一斉に分かれて、各部署に向かって駆け出す。

予定訓練の内容は、前夜の巡検後に当直将校が決めて既に知らされている。艦内での訓練は激しく厳しいが、新兵にとっては休んでいる時よりも気持ちのうえでは楽であった。

午前の訓練中に、十五分間の休憩が一回あるのみで訓練が続けられる。

「課業やめ、五分前」

各配置に着いて激しい動作を続けていた兵員たちは一斉に訓練を止め、左舷中央の甲板に集まって手を洗うのだ。そこには水の入った小さな桶と、小さく切った洗濯石鹸が置いてある。先に洗う下士官や古参の兵の手はさほど汚れていないので、井戸端会議をやりながら、ゆっくりと丁寧に洗っている。この者たちが終わるのを待って、私たちの油で汚れた手を急いで洗う。石鹸水でドロドロになっている汚水で洗った手を拭くものだから、手拭いはすぐに汚れて黒くなってしまう。だが、これを洗う清水など一滴もないのだ。

昼食の準備と後片付けの戦争を済ませば、午後一時まで休憩となっているものの、三水たちは休んではいられない。まず下士官と古い兵たちの履いている靴を、

「お願いいたします」

と、脱いでいただき、手早く磨いて、

「有り難うございました」

と、揃えて差し出すのである。

次は舷窓磨きだ。軍艦の舷窓は真鋳で出来ている。潮風に濡れて直ぐに曇ってしまい、毎日磨いていないと青錆びが付く。私の責任となっている舷窓が三か所ある。常に光っていないと大変なことになってしまう。現代のようにステンレスやアルミで出来ているものはない。軍艦に乗っている新兵たちは、金属磨きに随分と苦労させられた。

午後の課業はたいてい兵器の整備作業となる。つまり大砲や魚雷を分解して手入れをするのだが、若い兵たちのやることといったら、単純な箇所をペーパーで磨いたり油で拭ったりすることである。精密な機器の手入れは特技章を持っている者が行い、さらに私たちの作業の監督も兼ねていて検査が厳しい。

 

ときには、艦の外周りの甲板や外舷作業もある。外周りの仕事のうち大変なのは外舷塗装であった。ここでその様子を説明しておこう。

駆逐艦では、水兵員が全員で作業する時は、前部員と後部員とに分かれて行われる。外舷塗装における前部員の受け持ち場所は、艦橋から前の部分であった。前にも説明したとおり、「敷波」の外舷は、艦橋から艦首にかけて高さ五メートルもあって、しかも外面は内側に反っているので、上から板を縛り付けた綱を降ろしても、宙吊りになって外舷の鉄板に手が届かない。そこで板に太い竹を二本三角形に縛りつけ、兵員一人が竹の先端に乗って、足場になる板を、反っている外舷に押し付けるのである。

足場の板は幅三十センチ、長さ三メートルほど、この板の両端と竹の先端の三か所を外舷索で結び、上甲板から外舷に降ろすのである。この板に三水が二人と二水が二人、竹の先端に一水が一人計五人が乗って塗装をするのであった。

外舷塗装のやり方は、上甲板に居る古参一水に、塗具(ネズミ色のペイント)の入っている小さな缶を降ろしてもらう。私たち新兵は一握りの布切れを手にし、缶の中に手を突っ込み、塗具をたっぷりつけて縦方向へ鉄板に擦り付けていく。手を伸ばして私の行動範囲を塗り終えると二水と交代する。これは刷毛で横に奇麗にならし、艦の進行に水切りの良いように仕上げる。だが、何しろ狭い板の上での作業であり、思うように動けない。左手で命綱を掴み、右手は塗具でベタベタ、下を見ると大波がしぶきを上げている。

ときどき竹の先端にいる一水(トッピンと言っていた)から指示が飛んでくる。

「やいシバ、右下が薄いぞ丁寧に塗らんか。八曽、ふらふらするなしっかり塗れ、塗具をポタポタ海に落とすな、手早くやれ」

一通り塗り上がると、トッピンが上甲板に居る一水に合図して、我々が乗ったまま板を下げるため綱を伸ばすのだ。

「いいか、下げるぞ」

合図と同時にドスンと落とされる。用心していても重心を失って海中へ落ちることもある。水泳に自信のない者にとっては嫌な作業であったと思う。

上甲板にある装具や器具など塗りやすい個所は、下士官たちが鼻歌まじりで塗っている。後部員は外舷が低いのでカッターに乗って塗っているが、波に揺られて足元が不安定なため難儀をしているようだ。

こうして軍艦の塗装作業は水兵たちが全員でやり、終われば新造艦のように美しい姿に変わるのだが、私たち新兵は手も顔もエンカ服もペイントでベトベトに汚れてしまう。

 

午後の課業が終わると夕食になる。海軍は夕食時間が早く、午後五時までには済ませてしまう。そして軍港に碇泊しているときは入湯上陸が許され、三水以外の兵は四分の一、下士官は二分の一が上陸できる。しかし、この時は佐伯湾の沖合いに碇泊中であったため当然上陸はない。

「食事、第一種軍装に着替え」

下士官たちの軍服をチストから出して揃えて渡し、脱いだ事業服を丁寧に畳んでチストに納める。それから急いで食事を済ませ、後片付けを手早くする。

「酒保開け」

それっと、第一卓の酒保帳を掴むと、後部医務室の隣にある酒保めがけて突進する。既に十人ほどの三水が並んでいた。順番が遅く班に戻ってから叱られるのではないかと気にしながら待った。

「第一卓お願いいたします。面石三個、洗石二個、タオル二本、白糸一つ、歯磨粉二袋です」

班員からの注文を思い出しながら、窓口に酒保帳を差し出すと、酒保係の下士官が記帳して、助手の一水から品物を受け取るのだ。ときには豆菓子とか小さな羊羮などの配給もある。勿論一人一個である。甘い菓子は新兵でなくとも尊い宝物であった。

酒保で購入した物品の代金経理は、どの班も三水の役目だ。買ってきた品物を注文主に渡してやり雑記帳に記入しておく。そして代金は一か月まとめて給料日に集金して酒保に納めるのだ。

「おいシバ、俺は今月タオルを二本も買った覚えはないぞ」

「俺も洗石を三個も買わんぞ、一個多いぞ」

と言われれば仕方がない、私がその分を負担せざるを得ないのである。

 

艦が作業地に碇泊している時でも日曜日であれば、

「武技遊技許す、酒保開け」

となる。

武技といっても剣道や柔道をやるわけではないが、遊技だけ宜しいと命令するわけにはいかないのであろう。また遊技といっても別に何もやることはない、ただ兵員室で蓄音機が使用できるというだけであった。それでも娯楽など全くない軍艦内において、流行歌のメロディーが流れ、女性の歌声が聞こえると、鉄と男ばかりの世界にも和やかな雰囲気が漂い、浮き世に戻ったような楽しい気持ちになるのである。けれども、新兵は上陸札を担保として先任伍長室から蓄音機を借りてくるだけで、古い兵たちが好きな曲を勝手に選び、レコードに合わせて歌っている。私たちは居住区の隅に屈んで、上官の靴を磨いたり軍服の手入れをしながら、黙って聞くのが精一杯の娯楽であった。

 

午後七時近くになると、そろそろ次の支度にかからなくてはならない。テーブルを折畳んで寝台の準備をする。掃除道具も用意しておく。

「総員、吊床おろせ」

下士官連中の寝台に藁布団と毛布を敷いて、いつでも寝られるようにしておく。さらに古い兵たちの吊床を吊ってやり、自分の吊床はフックに掛けるだけで綱を解いている余裕はない。急いで上甲板に上がってソーフを手に、『回れ、回れ!』と甲板掃除で汗をかき、続いて居住区の掃除を一通り済ませたところで、神様級の下士官の寝台の傍らで待機する。

「巡検用意」

古参下士官がゆっくり脱いだ軍服に、手早く刷毛をかけて四角に畳んで枕元に置く。靴を寝台の下に揃えると急いで自分の吊床の綱を解き、服を着たまま吊床に飛び込む。

「巡検」

淋しい静かな音色の巡検ラッパが、長く尾を引くように鳴り終ると、当直将校が各室を巡視して、異状のないのを確かめるのである。このときには全員寝ていなければならないのだ。こうして新兵にとっては長い一日が終わろうとしている。

駆逐艦「敷波」の乗組員となってまだ十五日しか経っていないので、艦内生活の総てを知ったわけではないが、とにかく起きてから寝るまで、自分の時間は全くない。それも狭い艦内の垂直な階段を走り回っての毎日である。雑巾なら一日で擦り切れてしまうだろう。

海軍は厳しく辛い世界だと聞いていた。覚悟はしていたものの、明日からの毎日に耐えられるだろうか、どうしよう……と、どうにもならないこととは分かっていても、涙がでる、泣けてくる。海兵団生活はよかったなあと、泉教班長が懐かしい。

これで今日一日が終わったのではない、本当の新兵の辛い勤めは、巡検が終わってからであった。