わが青春の追憶
駆逐艦敷波

出港、艦隊訓練

ここにいる艦隊が佐伯湾に碇泊して何日になるかは知らないが、私たち新兵がそれぞれの艦に配備されて新兵教育が終了するのを待っていたかのように、艦隊訓練が始まろうとしていた。

「今度の訓練は大規模らしいぞ。砲戦魚雷戦だけでなく、洋上補給演習もやるようだ」

「いよいよ戦地に引っ張られるか」

「今日も艦助(艦長のこと)と、テッポー(砲術長のこと)は、司令のところへ打ち合わせに行ったようだ」

「戦地へ行く前に、もう一度でいいから呉に上陸したいものだ」

「艦隊訓練が終われば、その時は呉だな」

と、こんな会話が聞こえてくる。

軍隊とは変わったところで、今後の行動について兵員に知らせるようなことはまずない。誰かが何処かで得た情報が、噂となって私たちに伝わるのである。だから必ずその通りになるとは限らない。だが誰も文句や愚痴を言う奴はいない。

巡検後、同級生の伊藤隆君に会ってもらった。隆君も一年先輩とはいえ三水である。他の者に見つからないよう周囲に気遣って、自分の戦闘配置である二番魚雷発射管の中で会ったのである。

故郷での出来事、同級生の就職状況、村からの出征兵士や戦死者など、隆君との話は尽きない。続いて、私は航海中のことや艦隊訓練における新兵の勤めなどを聞いた。

「航海中の新兵はきついよ。訓練は昼も夜もなく続けられ、掃除や上官に接するのは碇泊中と変わりはない。それから外海に出ると艦は凄くガブルから慣れないと辛いよ。食卓番は食事の支度と片付けに苦労するし、自分はまず食べられん。芳三君は船に強いか」

私は子供の頃から乗り物に酔ったことはないと、たかをくくっていたのだが、実際に太平洋に出て荒れ狂う大波を猛スピードで突っ走られられたときは完全に参ってしまった。食べたものは全部出してしまい、胃液から血までもあげてしまいそうになった。頭が痛い、体が動かない、横になって寝ていたい。それでも新兵は訓練と作業に、追いまくられるのである。

他にも、伊藤君から航海中のことをいろいろと教えてもらい、大体の要領を得ることができたのである。

 

噂は果たして現実のものとなった。

「巡検終わり、たばこ盆だせ。明日出港する、出港予定は○五○○とする」

午前五時出港とだけで、何の目的で、何処へ行くのかは知らされない。

新兵はどんなに早く起きる時でも寝るのは十一時過ぎで、さらに前部員は出港三十分前に揚錨作業にかからなければならない。だから、新兵は総員起こし一時間前に起きることになる。

翌午前四時、眠いのに無理やり目を覚まし、班員の寝具を片付けて前甲板に上がった。潮風が肌を通して涼しく心地よい。

錨甲板では、掌水雷長の指揮で錨作業が開始された。

「海水ポンプかかれ、錨を揚げ」

消火用ホースが二本艦首に延ばされ勢いよく放水が始まった。海底から巻き揚げられてくるチェーンに海水をぶっかけて泥を落とすのである。この役は二水たちの受け持ちである。我々三水は錨鎖を挟んで鉄甲板に並び、揚がってくる鎖の一つ一つをソーフで丁寧に拭うのである。ときどきソーフをオスタップに汲んである海水で洗い、足と両手で力を込めて固く絞ってはまた拭いていく。

運用科員が、小さなハンマーで鎖を一個ずつチンチンと叩いて、傷のないことを確かめていく。

こうして近錨(水深の一倍半)まで鎖を詰めると、艦橋から合図のあるまでそのまま待機する。

やがて艦橋で、信号兵が吹く出港用意のラッパが勇ましく鳴り響く。

「出港用意、錨を揚げ」

鎖の移動が激しくなった。それにつれてソーフを持つ手を早くする。

「立ち錨」

掌水雷長は艦橋に報告、つづいて

「起き錨」

すかさず航海長の号令が艦橋から聞こえた。

「右後進微速、左前進半速、面舵」

汽缶の音がゴーッと響き、静かに艦が動きだした。

「両舷前進半速、戻せ」

錨が水面から上り、ホースで泥を洗い落としてから定位置まで巻き上げ、用具を納め解散となった。

周囲を見ると他の艦も一斉に動きだした。戦艦、巡洋艦、駆逐艦、水雷艇などの大艦隊が行動を開始したのである。実に壮観だ。祖国を護る浮かべる城『くろがね』の大部隊を眼前に見るのは初めてであった。新兵の身であっても海軍軍人としての誇りを全身に感じ、大艦隊の堂々たる姿に見とれていた。

「やいシバ、なにをボヤッとしているんだ、砲塔でブザーが鳴っているではないか、早く行かんか」

出港のときには、大砲の照準演習が行われるのだ。一番砲塔の伝令に着いて三十分ほど訓練があり休憩となった。

 

朝食の片付けを終えた頃から、艦の動揺がだんだんと大きくなってきた。豊後水道を通り抜けて太平洋に出たのであろう。見上げるようなうねりが迫ってくる。

「命綱張れ」

運用科員が用意してくれた太いロープを、艦橋の下から後部兵員室の入口までの上甲板に張り、兵員たちは波にさらわれないようこの綱を伝って、前部と後部を行き来するのであった。

汽缶の音が一段と高くなった。スピードを上げたのであろう。艦の動揺が上下だけでなく、ローリング、ピッチングと激しくなった。山のような大波が艦首に突き当たり、ドドーッと艦全体が振動しだした。その度に外舷の鉄板やビームがミシッ、ミシッと軋む。なんだか心配になると気分も悪くなってきた。やたらと欠伸が出だし、腹の中から込み上げてくる。

やがて上甲板に怒濤が打ちつけだした。天井がドドーンと響く。

突然、緊急ブザーがけたたましく鳴った。

「訓練、配置につけ」

上甲板からは大波が打ちつけているので、砲塔内に入ることはできない。下甲板から体がやっと抜けられる穴をよじ登って伝令の配置につき、急いで受話器をとった。

「一番配置よし」

「合戦準備昼戦に備え、砲撃戦雷撃戦用意」

「右砲戦、右九十度、起動部隊」

砲塔がゴーッと右に旋回する。同時に艦首が大波に乗ってググーンと高く押し上げられ、次の瞬間ドッシーンと海中深く落ちていき、艦全体がピリピリッと激しく振動する。さらに艦首から押し寄せて砲塔の横腹に打ちつけた大波は、怒濤となって上甲板を走り艦橋にぶち当たる。轟音と振動が去れば再び空中高く跳ね上がる。

速力を増したのであろうか、動揺が更に激しくなり、立っているのも困難になってきた。頭痛がしだした。腹の中も気持ちが悪くなり込み上げてきた。それでも私にとっては初めての艦隊訓練だと張り切っていたつもりである。砲尾にいる兵員たちも緊張した顔で配置についている。

いつもの操砲訓練ではない。演習弾(火薬の入っていない弾丸)ではあるが、今から実際に発砲されようとしている。物凄い轟音と衝撃を予想して、内心ビクビクしていた。

「・・・丨・ (撃ち方始め)」

グワーン、轟音と振動とともに初弾が発射された。砲尾要員は素早く装填する。二弾発射、後は十二秒斉射間隔で発砲が続いた。艦の速度が更に上り動揺がますます激しくなった。本艦自慢の酸素魚雷も発射されたのではないか。

駆逐艦の戦闘は敵との戦いだけではなく、押し寄せる怒濤との闘いが、乗組員としては実に大変な苦しみであった。

シャバにいた頃、よくニュース映画で軍艦が進撃する場面を見た。軍艦行進曲に乗って駆逐艦が波をけたて、しぶきを上げて航行する画面を何度も見たが、勇壮で頼もしく堂々たる海の勇士として報道されていた。いま私は映画と同じ場面にいるのだが、映画館でみたようなカッコいいものでは絶対にない。木の葉のように揺れる艦内で、新兵たちは殴られ怒鳴られながら、死に物狂いで戦闘訓練に打ち込むのである。船酔いで血を吐きそうな苦しみの中で、徹底的に絞られるのである。一度、町村長や役場の兵事係に駆逐艦の戦闘の味を体験してもらいたいものだと思った。

「撃ち方待て」

砲撃が止まった。艦隊の状況はどうなっているのか全く分からない。外は見えず、依然として艦は大波と闘いながら前進を続けている。今何処にいるのだろう。

「左砲戦、左八十度、巡洋艦、撃ち方始め」

 砲塔が左に大きく旋回する。轟音と振動で電話が聞き取りにくい。小さな声であったが、確かに砲側照準と聞こえた。

「砲側照準」

さあ大変なことになった。この荒天のなかで砲塔において標的を狙って射撃するのである。私は波が打ちつけている照準器の前窓を思いきって開けた。砲員長と旋回手は照準器の配置に就いた。とたんに大波が窓から傾れ込んできた。三人は全身ずぶ濡れになったが、命令だから砲撃を続けなければならない。窓から滝のように流れ込んでくる海水で、砲塔内は波が打ち出した。

「一番、撃ち方待て」

まだ配置を離れるわけにはいかない。衣類も兵器も濡れたままである。

「撃ち方止め」

砲塔内に流れ込んだ海水を汲み出し、床をソーフで拭き、塩水のかかったところを乾いた布で念入りに拭い、油をつけて錆びないようにしっかり磨く。

幸い演習が中止となった。それは、各艦から発射された魚雷を拾うためであった。

訓練に使われる魚雷は演習用頭部(爆薬の入っていない頭部)を付けて発射するのである。目標地点に到達した魚雷は海面に浮かび、昼間ならば頭部から色付きの煙を上げ、夜間には赤色の電灯が点滅して、魚雷の位置を知らせるのである。

魚雷一本の製作費は、当時のお金で一万円以上もかかるといわれ、軍にとっては非常に大切な兵器であると言われた。この魚雷一本で、巨大戦艦も航空母艦も轟沈させる日本海軍自慢の酸素魚雷なのである。一分の狂いもあってはならない。従って、海から拾い揚げた魚雷を徹夜で整備するのだ。水雷科の兵員たちも大変であった。

午後二時ごろ昼食となったが、食事など見るのも嫌になっていた。新兵はいつも腹を空かし、食い気しかないものだが、航海のときには情けないほど食えなくなるのだ。幸い誰にも見られなかったからよいものの、実は二回もゲーッとやってしまったのである。伊藤君から、そんなときは古い靴下を隠し持っていて、靴下に口を当て、ゲーッを吐いて海にポイと投げ捨てれば怒鳴られずにすむことを聞いていた。

頭が痛い。腹も胸も気持ちが悪い。艦が大波に打ち上げられ、ズッシーンと落ちるたびに胸のあたりが込み上げる。体を動かすのも嫌になってくる。だからといって食事の支度をしないわけにはいかない。烹炊所から食缶を両手に持ち、命綱をつたって壁にぶつかり扉に支えられてやっと兵員室に着く。テーブルの上には何を置いても滑って落ちるので、食缶を吊床のフックに掛けたままご飯やお菜を食器につけ、落とさないように一人ずつ手渡す。ヤカンもフックにぶら下げておき、飲みたい者が湯飲みを持って勝手に注ぐのである。

「シバ、貴様メシを食わんのか」

「はい、すみません」

「こんな金魚鉢みたいな静かな海で酔っていて駆逐艦乗りが勤まるか。気合いが足らん」

と、ビンタを三発やられた。すると不思議なもので、もう駄目だと気力をなくしていたものが、ぶん殴られてシャンとして元気が出た。気の持ちようで船酔いまで違ってくるのだ。しかし、食事はとらなかった。

次に食事の後片付けが命懸けの仕事であった。航海中は最後部の上甲板が食器の洗い場となるのである。前部から張ってある命綱につかまって、波の合間を窺ってソレッと走るのだが、それでも飛沫に濡れてしまう。タイミングの悪いときには、波をかぶって流されそうになる。

帰りはさらに大変である。強風に向かい波に逆らって走るので、上甲板を通っては危険である。食器と食缶を持ち、砲塔の屋根を這い魚雷発射管の上を伝って、物凄い風と飛沫を受けて飛ばされそうになりながら、滑ったり転んだりして帰るのであった。

その日の午後は海水に濡れた砲塔内の手入れと、当直制になっている見張りや航海当番に立たされた程度であった。

 

見張りに立つ、といえば楽なように思えるが、実際に艦橋の十五糎双眼鏡につくと、これが不思議と直に酔ってしまう。視幅か視力が合っていないからなのか、十分間もたたないうちにゲーッとやってしまい、つい靴下のご厄介になってしまう。

陸軍の歩兵部隊は行軍がきついと言われている。それに引き替え海軍の行動は、エンジンの力で動く軍艦に乗っているのだから、寝ていても皆と一緒について行けるから楽できるなどという考えは甘く、歩兵の行軍に引けを取らない船酔いの苦しさではないだろうか。

立っていても横になっても、腰を降ろしてじっとしていても、吐いても吐いても込み上げてきて苦しい。胃の中が空になると黄色い液だけが出て、しまいには血を吐きそうになる。それでも新兵の仕事は休めない。毛布をかぶって寝たい。なにもしないで……。

泣くにも泣けないのが、駆逐艦の航海であり、新兵たちであった。