わが青春の追憶
呉海兵団

名前も番号に

『呉志水三〇二〇四』 これは、私につけられた海軍の兵籍番号である。海兵団に入団したときから兵籍を解かれるまで、いつも私と共にあった番号である。といえばカッコいいが、なんのことはない名前のかわりの番号で、軍の戸籍簿に登録された身近な数字であり、自動車のナンバーと同じである。

呉志水とは、呉鎮守府所轄の志願兵で水兵であるという略号で、横須賀所轄の者は「横」となり、佐世保は「佐」、舞鶴は「舞」となるのである。水兵とは兵科のことをいい、機関科は「機」、主計科は「主」、工作科は「工」となる。つまり、横須賀海兵団に徴兵で入団した機関科兵は、「横徴機」の符号がつくことになる。

私の所属は第十五分隊第十教班であった。一個分隊の新兵の編成は二百名。これが十六名か十七名ずつの十二教班に分かれ、だだっ広い部屋が与えられた。これを一居住区という。つまり海兵団における私の住所となったのであるが、この住所も十五分の十と、分数で表わされる。

 

昭和十六年四月二十九日、再度の身体検査が行われ、不合格になった者は直ちに帰される。入団のための最後の関門である。故郷を出るとき万歳で送られ勇んでここまで来たものが、帰されたのでは不名誉この上もない。

身体検査の結果、軍医長から、

「ウン、合格だ」

と、合格のスタンプを腕に押されてホッとしたのである。

身体検査を無事通過したところで、軍服、軍帽から靴下にいたるまでの官給品が一揃い支給され、とりあえず衣嚢という大きな袋に入れておく。海軍では転勤するときは、この衣嚢を担いで移動するのだと聞かされた。

昼食後、教班長から、軍服の着方や衣類の名称などについて丁寧な説明があり、初めて新品の軍服に着替えた。服装だけがイッパシの水兵になったところで、私物の衣服は風呂敷に包んで家に送った。

憧れのセーラー服を身に付けたものの、どう見てもスマートではない。帽子が大きい、服が合わない。誰を見てもカッコ悪い。粋な水兵さんを夢見ていたがと、恐る恐る服の取り替えを申し出た者がいた。

教班長いわく、

「軍服は恐れ多くも陛下からお借りしたものだ。お前たちの体のほうで服に合うよう心掛けよ。必ず合ってくる」

それからが大変だった、全部の衣類や持ち物に、兵籍番号と氏名を毛筆で書き込むのである。主な官給品だけでも、

第一種軍装(冬服のセーラー服)。上着、ズボン、襟飾りなどを一組として三着。

第二種軍装(夏服のセーラー服)。同じく一組として二着。

そのほか軍帽 二、艦内帽 二、帽子缶 一、ペンネント 二、事業服 三、エンカ服 一、外套 一、襦袢(夏冬共)五、袴下(夏冬共)四、腹巻 一、脚半 一、雨着 一、靴 二、毛布 三、毛布覆 二、靴下 四、などである。

なかには墨汁では書けず、白糸で名前を縫い付けなければならない物もあった。靴などはかかとにナイフで彫り込むのであった。私物であっても名前のないのは没収すると言われ、いやでもその日のうちには自分の兵籍番号を覚えてしまった。

「今日から、お前たちと一緒に生活する第十教班長の泉二等兵曹だ。皆仲良く元気に頑張ってくれ。戦地で戦っている先輩たちのことを思って、一日も早く海軍というものを覚えてほしい。困ったことがあったらどんなことでも私に相談してくれ。これからは皆で力を合わせて立派な海軍軍人になってほしい」

泉教班長の暖かい言葉を皆しんみりと聞いた。今でいえば中学校を卒業したばかりの農家の小せがれ達だ。親切でおとなしそうな良い教班長に出会ったことを新兵たちは喜び合ったのである。さあ、明日は五月一日、入団式だ、頑張ろう。