わが青春の追憶
駆逐艦敷波

柱島泊地

大分沖に碇泊して、しばらく休養をとっていた大艦隊は、再び太平洋に出て激しい戦闘訓練を行なうこととなった。

今度の航海は天候が穏やかであったためか、それとも少しは海に慣れたためなのか、前回ほどの苦しみはなかった。それでも食事をする気になれず、三日間飲まず食わずの訓練を続けたのであった。

今回の艦隊訓練では、主として対空戦闘や対潜水艦攻撃の演習が行われた。それは水上偵察機が曳航する標的を射撃したり、見張り訓練として潜水艦の潜望鏡を探したり、また掃海訓練、水中測的、探照灯による射撃や爆雷投下など、駆逐艦の攻撃兵器すべてを体験することができた。

 

とりわけ爆雷投下訓練は実用爆雷が使用され、その凄い威力を見ることができたので、その状況を説明しよう。

対潜水艦攻撃、つまり爆雷投下は艦隊訓練最終日に、瀬戸内海の静かな海において開始された。

速力二十ノット、艦は静かな海面を掻き分けるように進んで行く。艦尾では水雷科員がドラム缶のような爆雷を発車装置に装填して待機している。

やがて、バーン、と後方空中に打ち上げる。続いてもう一発。

ドッボーン、と爆雷の落ちた海面を見つめる。三秒、五秒。

ズッシーン。

足下から鈍い振動が伝わり、同時に海面全体がピリピリと響き広がった。その二、三秒後、ゴォーッと海面 が大きく割れ、海底から大量の海水が盛り上がった。

物凄い水圧だ。これなら一発で潜水艦の鉄板を破壊する威力は十分だ。浅い所なら海底に大きな穴が掘れていることだろう。

四個の爆雷を投下すると、艦は直ちに反転して投下地点まで戻ると停止したのである。そして、これから思いもよらない驚くことが展開されたのだ。

「一、二内火艇、一、二カッター用意」

何が始まるのかと、恐る恐る下士官に聞いてみた。

「今から魚を拾うのだ。まあ見ていろ」

そう言われて海面を見ると、なるほど大きな魚が白い腹を上にして浮いている。しかも大量の黒鯛だ。よく見ると死んでいるのではない、爆雷の水圧によって気絶しているようだ。早く捕獲しないと回復して逃げられるとのことであった。

内火艇とカッターを急いで降ろし、下士官や善行章組が大勢乗り込み、タモやバケツで夢中になって魚を拾いだした。大きな奴がいくらでも捕れる。見ていて面白そうだ。だが手早くやらないと白い腹を見せていた魚が、だんだんと元気になって泳ぎだし水中深く去っていく。

魚捕りゲームの成果は、オスタップに三杯の黒鯛であった。黒鯛のことを瀬戸内海ではチヌと呼ぶのも、このとき初めて知ったのである。

爆雷投下訓練を内海まで来てやるわけは、魚を獲ることも予定に入っているようで、おかげで夕食には久しぶりで鯛の尾頭付き、とまではいかなかったものの、新鮮な魚をたらふく食べさせてもらった。

 

これで今回の艦隊訓練は終了し、投錨した所が柱島という泊地であった。柱島とはどういう所か説明しておこう。

柱島は、江田島の沖合いにある小さな島だが、特別この島に深い意味があるわけではない。島の付近一体が連合艦隊の泊地となっており、また作業地でもあるのだ。

前にも記したように、呉軍港には出入りする航路が三か所ある。その一つに平の清盛が掘り割ったといわれる『音戸の瀬戸』がある。ここは狭い水路のため小型機帆船しか通れない。次は早瀬の瀬戸という、倉橋島と東能美島とに挟まれた水道で、幅が狭いうえ、曲がっているので戦艦のような大型艦船の通行はできない。そのためここ早瀬の瀬戸は、駆逐艦や潜水艦など小型艦船の専用航路となっていた。そして大型艦船は、主要航路である広島、宮島方面を迂回して、呉軍港に出入りしていたのである。

この柱島泊地は早瀬の瀬戸を通れば、呉軍港に最も近い泊地として、外海から軍港に入港する時は、まず柱島に一旦碇泊して入港準備を整えたうえ、翌日入港するのが通例であった。

入港準備のため碇泊するということは、三水たちにとって実に恐ろしいことであった。それは下士官や善行章連中の気が荒っぽくなっていて、やたらと罰直があるからだ。江田島の向こう側には呉の街が明るく輝いていながら上陸することもできず、また呉に入港すれば、むやみに整列をかけるわけにはいかないからと、柱島にいる間は毎夜整列をさせられ、苦しく痛い目に遭っていた。

 

あまり罰直のことなど書きたくはないが、事実やられてきたことだから記しておこう。

日常の行動中、三等兵が何か失敗でもすれば勿論のこと、気が利かなかったり、積極性に欠けたとか、また何事もなくても古参下士官から一言、

「この頃の若い者は気が利かんな」

とか、

「近ごろの若い衆は、たるんどる」

と、呟くだけで、絶対といってよいほど、その日のうちに役割から整列がかかる。役割が整列を命令した時は、一、二分隊合同だから大勢になる。そのためか罰直が手っ取り早く行われる。まず役割から型通りの演説を聞かされたうえ、直心棒とかストッパーまたはグランジパイプ(ホースの筒先で殴ること)といった方法が多かった。

罰直を下すのは役割からだけではない、オチョーチン組からもやられれば、二等兵連中からもやられ、さらに先輩三等兵たちからも殴られる。だから新兵は、一度整列がかかれば何回も苦しく痛い目にあうのだ。

制裁は班内だけの時もあれば、砲塔ごとにやられる場合もある。罰を受ける人数が少なくなるほど時間の長い方法がとられる。例えば『前ささえ』とか『急降下』、または『正座』などである。

個人で何か失敗した時や、三等兵の分際で下士官と馴れ馴れしく話をした時のように、一人か二人だけでやられる場合は、たいていビンタを叩かれることが多い。ビンタを強くやられて後で困るのは、口の中が切れ痛くて味噌汁が吸えなくなることであった。

どんなときでも新兵はやられっぱなしであり、やり返す相手はいない。せめて出来るのは、恨みのこもった直心棒を、深夜に盗み出して海中に捨てることぐらいである。

 

駆逐艦ではやられなかったが、海兵団とか砲術学校においては、集団制裁としてやられたものに、次のような方法があったので、ついでに説明しておこう。

 

・宮島遠漕   前にも書いたように、室内で手箱をオールにして、長時間カッターを漕ぐ真似をすること。

・ウグイスの谷渡り 沢山の吊床を吊った広い兵舎内において、吊床を乗り越えたり潜ったりして、ホーホケキョと鳴きながら、兵舎内を一巡すること。

・蜂の巣    衣嚢格納棚の中に全員押し込められ、体の向きも変わらない狭い棚の穴から一斉に飛び出すこと。

・ミンミン蝉  太い柱の途中に抱きついて、落ちないようにしてミーン、ミーンと鳴くこと。

・自転車    ビーム(梁)にぶら下がって、足でペタルを踏む動作をすること。

・急降下    両足をテーブルの上に載せ、両手を床に着き、背中に衣嚢を載せられて、前支えをすること。

このように罰直の種類も豊富だが、この中で痛いものの代表はストッパー、苦しいものは前支えか急降下であった。

だが愉快な罰もあった。下士官たちが日頃目をかけていた三等兵が、簡単な失敗をした時にやられるもので、

・牛殺し    右手の人差し指で、ひたいをパチンと弾くこと。

・安全装置   小銃の安全装置を掛けるように、手のひらで鼻を押しつけて右に廻すこと。

・シッペ返し  指を二本揃えて、相手の腕をピシッと叩くこと。

などが日常よく使われていた。なかでも『牛殺し』はトランプや花札などの賭けの代償として、勝った者が負けた奴に『牛殺し』三つとか五つと賭けて遊ぶのであった。

 

とにかく柱島に碇泊している間は、新兵たちにとって痛く苦しく辛い毎日であった。