わが青春の追憶
開  戦

何処がやられたんだ

第十九駆逐隊の「綾波」「敷波」「浦波」「磯波」は、ジョホールのセレター軍港に碇泊してしばらく休養をとっていたが、やがて岸壁を離れてジョホール水道を出た。今度は何処へ行くのだろう。

焼けつくような太陽の下を、再び警戒航行が始まった。艦内哨戒第三配備では、午前中訓練をやらされるが、午後は当直配備に就くだけであった。

そのため、下士官や古い兵たちは暇がある。トランプや花札などを隠れるようにやりながら、世間話に花が咲く。

「シンガポールにおったクーニャンたちは、奇麗だけど色気がないなあ。俺がなんぼ話しかけても知らん顔して行ってしまった」

「あんな者に構うな、いくらひやかしても赤い顔もせん。ハイヒールを履いて澄ましていやがる。やっぱり日本娘の方が可愛いな」

「そんなことより、シンガポールには大世界、新世界とか言う大賭博場があるそうだが、誰か見てきた奴はいないか。様子を聞かせろよ」

「あそこは立入禁止になっていて、日本人が入ったら出てこられないそうだ。特に軍人は危ない所らしいぞ」

上陸した時の思い出話をする者、その時買ったワニ皮の財布や鞄やバンドなどを取り出して眺めている者もいる。だが、新兵はこういう世間話には絶対に加わってはいけない。

「おいシバ、お前もクーニャンを見ただろう、何とか思わなんだか」

「ハイ、別に何とも思いません」

「シンガポールに上陸して、何処か面白いところに行かなかったか」

「街を歩いただけであります」

「シンガポールは外国だぞ、お前は外国に上陸して何か感じたことはないか」

「ハイ、住民の態度を見て、どんなことをしても戦争には勝たなければならないと思いました」

「それだけか」

「ハイ」

問われれば答えなくてはならないが、新兵は、楽しい話題や淫らな話は避けるように気をつけている。もし釣り込まれて話相手にでもなったものなら、「なんだ貴様、一人前にでもなった顔して、気安く話をするとは太い奴だ、生意気だぞ」と、オチョーチンか二等兵にぶん殴られるのはまだしも、その夜の甲板整列の種を蒔くことになりかねない。だから、新兵は新兵仲間以外の者とはうっかり話もできず、自然と無口にならざるを得ないのである。

真っ赤な太陽が水平線に沈む頃、見張り交代のため艦橋に上がった。前任見張り員の加藤さんの肩を叩くと、加藤二水は十五糎双眼鏡についたまま、

「見張り員交代します」

素早く私は交代して眼鏡についた。

「柴田三水、見張り員交代しました」 

「見張り員は配置についたまま聞け、本艦は今マレー半島の南側を印度洋に向かって進んでいる。つまり敵中を航海しているのだ。一層の厳重な警戒を要するから、そのつもりでしっかり見張れ。どんな小さなものでも見つけたら報告しろ」

南海の夜風が心地よく肌を撫でる。南十字星の燦めく大空の下を、艦は夜光虫の光の尾を長く曳いて航海を続けていった。

二時間の見張り当直を終え、疲れ果てて兵員室に戻ってみると、既に吊床が降ろされていた。巡検準備の掃除を済ませ、急いで自分の吊床を吊ってもぐり込んだが、蒸し風呂に入っているような凄い暑さだ。

航海中の駆逐艦の内部は舷窓も開けられないし、通風装置も作動されない。それに焦げつくような太陽の照る昼間も上甲板に天幕を張ることもできないので、艦全体が焼けている。そのため、居住区内では寝られたものではない。前甲板に出て、艦橋から見えないように砲塔の陰に隠れ、褌一つの裸で鉄甲板に寝ると実に涼しくて気持ちがよい。疲れているから直に眠り込んでしまう。だが、裸で夜露に当たった後は体がだるく疲れる。健康には良くないことを知っていても、暑いから時々やってしまう。

何事もなく二日間ほど航海して、ペナンという港に着いた。ここも南方特有の鮮明な原色の美しい大きな街であった。

このペナンで半舷上陸を許されたが、新兵では軍票の両替も少額の割り当てしかなく、そのうえ土地不案内のため、港の付近を歩いただけで、街の珍しい風物を見ることもできず帰艦した。

ただ一つだけ私の印象に強く残っているのは港の情景であった。カッターを漕いで岸壁に近づくに従って不思議に見えたのは、たくさんの銅像であった。岸壁、防波堤、桟橋、護岸堤、いたる所に黒人の銅像がある。立っている姿、座って肘をついている姿、寝そべって頭だけ持ち上げている姿などまちまちである。そしてこれらの像は全部海の方向を見ているのだ。何を意味している姿の銅像であろうかと、近づいて見て驚いた。それは裸の人間であった。ペナン島の原住民の肌は真っ黒だ。つまり何十人、いや何百人の人たちが港の付近に居て、遊んでいるのか休んでいるのか分からないが、とにかくピリッとも動かないのだ。我々が近づくと目だけ動かしてじっと見る。気味の良いものではないが生きていることは確かである。こんなにノンビリしていて生活できるのであろうか、広い世界の中には変わった風習や生活があるものだと感心した。

ペナン島に集結した水雷戦隊は、艦長を始め砲術長、水雷長、航海長たちが、駆逐隊の司令艦である「綾波」に行くことが多くなった。多分作戦会議であろう。真っ白い軍服にスマートな軍帽、腰に短剣を下げ、内火艇に乗って出かけて行く姿は、私たち志願兵の目にはカッコよく憧れの的であった。

五日目にペナンの港を後にして大海原に出た。今度はラングーンに向かっているとの噂であったが、二、三日するとラングーンの近くまで行ったが反転し、今度はジャワに向けて進んでいるとの話を聞いたのである。

航海術を知らない私には、艦が東に向かっていても、西へ進んでいても全然分からない。陸地の見えない洋上では何処にいても、どちらを向いても同じ景色であった。

 

昭和十七年二月末、我が水雷戦隊は依然として警戒航行を続けていたが、突然、

「艦内哨戒第一配備」

「全員に告ぐ、我々は今から敵の大編隊に向かって突撃を敢行する。今こそ祖国のために全力で戦う時がきた。間もなく日没になる、『合戦準備夜戦に備え』諸君の奮戦に期待する」

ゴォーッ、と汽缶の音が一段と高くなった。真っ赤な太陽が水平線にかかり、空も海も炎のように染まっている。艦隊は水しぶきを上げ、波を切って一直線に走り出した。他の水雷戦隊も隊形を組んで驀進している。

砲塔に入り、それぞれ配置に就いて待機することになった。

「いつ戦闘になるのか分からんから、みんな今のうちに寝ておけ。だが伝令は寝てはいかんぞ」

薄暗い電灯の下で、砲尾の兵員たちは黙って腰を下ろした。暑い。狭い砲塔内において窓は締め切られ、空気が蒸れてムンムンしている。そのうえ戦闘服装だからとても寝れたものではない。汗が服を通して濡れてくる。それでも三十分ほど沈黙が続いた。

「おい、いったい敵情はどうなっているんだ。俺はちょっと便所に行ってくるからな」

左砲射手の前田兵曹は、砲身の下をくぐって降りていった。便所を理由に外の様子を見に行ったのである。

「暑いなあ、ちょっと電灯を消して窓を開けちゃあいかんか」

「馬鹿もん、艦橋に見つかってみろ軍法会議だぞ、我慢しろ」

しばらくすると、前田兵曹が戻ってきた。

「外は暗くて何も分からんが、艦橋では大騒ぎのようだ。敵は重巡洋艦を含む大編隊らしい。いま我々はジャワ沖を走っているそうだ。こりゃ大きな海戦になるぞ」

「前田、そんなことがよく分かったな」

「若い信号兵を捕まえて聞いたのだから、間違いないぞ」

「みんな、いま聞いた通りの状況だ。激戦を覚悟して褌の紐を締め直せ」

だが、いつまで経っても号令がかかってこない。緊張したまま一時間ほど過ぎた。

と、にわかに艦橋の方が騒がしくなった。大声で何か叫んでいる。レシーバーにも慌ただしい声が入ってくる。途端に、大声で号令が飛んできた。

「右砲戦、右八十度敵艦隊、撃ち方始め」

矢継ぎ早い号令が終わると、砲は吠えるように初弾を発射した。

「右よせ三、急げ」

もう無我夢中である。装填、発射を十二秒斉射間隔で繰り返す。みんな息を弾ませながら汗みどろである。

「撃ち方待て、方向を左に変え、左六十度巡洋艦、撃ち方始め」

砲塔が左に大きく旋回して、再び撃ちだした。

その頃から、発砲の合間に 「ドドーッ」と、不気味な音と共に振動を感じた。僚艦の砲撃音か、それとも敵艦からの砲撃による至近弾の振動か、不安だ。

砲尾にいる兵員たちは、汗と油でグシャグシャになって装填を繰り返している。一所懸命に、全力で、一発、また一発、敵艦に命中することを祈りながら。

突然、「グワーン」と、砲塔が、いや艦全体が放り上げられ、衝撃で頭を天井にぶつけた。次の瞬間、ズッシーンと奈落の底に落ちていくような気がした。電灯が二、三回点滅して消えた。そして艦は大きく左右に揺れると同時に、上下に激しく振動を始めた。立っては居られない振動だ。

砲塔内は真っ暗である。大振動は止まらない。艦が沈んでいるのではないだろうか、恐怖が全身を襲った。

「誰か、早く予備電源に切り替えろ」

艦の振動はますます激しくなり、歩くのも困難である。

やっと蓄電池に切り替えられ、小さな薄暗い電灯が点いた。

「何処がやられたんだ」

「……」

「伝令、何処がやられたんか聞いてみろ」

「ハイ、中継所、一番ですが何処かやられたのですか」

「中継所でもわからん、わかったら知らせる。各砲、電源が止まったから砲側照準で射撃せよ。目標、左八十度、巡洋艦、三番艦を狙え、距離七三・五、右寄せ二、発射用意……」

その時電灯が点いた。

「撃ち方待て、いま電源が入った、方位盤照準とする、撃ち方始め」

艦の上下振動が激しくて、弾丸の装填が困難だ、十二秒斉射が間に合わない。右砲と左砲を交互に発射せざるをえない。

「撃ち方待て」

艦の速度が落ちたのか、振動が少し弱まってきた。敵艦隊と離れたのであろう。

「各員に告ぐ、本艦は敵の砲撃によって推進軸をやられたようだ。そのための振動である。その他は何処も異常は無いから、このまま戦闘を続ける」

スクリューの軸に敵弾が当たって曲がったのだ。もし、艦の何処かに命中していたら、今頃は御陀仏になっているのは間違いない。やはり敵弾が至近距離に落ちていたのであった。

「敷波」は速度を落としたまま敵に向かおうとしている。敵艦隊に狙撃されたら、ひとたまりもなく轟沈だ。そう思うと心細い。

こうして本艦は戦場を離れず攻撃を繰り返していたが、敵艦隊との距離が遠くなり砲撃を止めてしまった。だが艦の振動は一向に治まらない。

その後も何回か海上戦闘が行われたが、接近戦闘ではないようであった。三日間にわたっての死闘も一応終わったらしく、艦隊は隊列を整えて進んでいた。

どうやら我が軍の勝ち戦であった。新聞電報によると、二月二十七日から三月一日にかけた戦いをスラバヤ・バタビヤ沖海戦と言い、戦果は、轟沈が米甲巡ヒューストン、英甲巡エクゼター、濠乙巡パース、同ホバート、蘭乙巡デ・ロイヤル、同ジャバ、潜水艦七隻、駆逐艦、砲艦、掃海艇、各一隻と報道された。

しかし、「敷波」が攻撃した相手は?、本艦の全乗組員が命をかけて闘った戦果は?、全く知らされないのだ。

艦隊は、再びシンガポールのセレター軍港に入港した。破損被害のあった艦船は、応急修理を受けるため工作艦に横付けして調査されたが、本艦のように推進軸が曲がったものは修理できないらしく、何の手も施されず三日間が過ぎた。

「敷波」だけが艦隊から離れて、ジョホール水道を出た。ビッコを引くように大きく振動しながら、大海原を単艦で進んだ。

「呉に帰るのだそうだ。内地に戻れるぞ」

こういう噂の伝わるのは早い。話を聞いた兵員たちの目が輝いた。命をかけた戦場を後にして、懐かしい故郷に帰れるのか。噂が本当であってほしい。

「敷波」は紺碧の大空の下を、単独航海で進んで行く。果たして内地に向かっているのだろうか、家族の顔が浮かんでくる。