わが青春の追憶
砲術学校

百発百中期するまで

方向、高角、目標、距離、苗頭、信管、信管分角、仮標、仮標角。

これは、大砲を撃つために必要なデータであって、専門用語では 「射撃諸元」といっていた。

しかし、この 「射撃諸元」を求めただけでは、的に命中しない。それには、距離、苗頭、変距、変角率、列線方位角という 「測的諸元」なるものを確実に把握しなければならないのである。

専門的なことはさておいて、分かりやすく説明しよう。

大砲を発射しようとする時、目標との距離によっていろいろなことが考えられる。まず、距離が遠くなるほど砲身を上に向けるのだが、その角度を計算すると共に、弾丸が飛んでいる途中で、横になったり反対になることなく常に弾頭を前にして飛ばすために、弾丸を独楽のように廻していることも考えなければならない。砲身内の施条という溝によって、発砲した弾丸を右回転させてやる。だから空中を飛んでいる弾丸は、すごい早さで右回転しており、弾道が少しずつ右に曲がって飛んで行く。従って、その角度だけ砲身を左に寄せてやるのだ。

軍艦の射撃で最も難しいことは、自艦も敵艦も全速力で動いていることだ。広い海原を駆け回りながら砲撃するのだから、絶えず右に左に急旋回をしながらの戦闘である。そのため、敵艦に近づいたり離れたりして、距離は刻々と変わっているのだ。

 

さらに、大砲の弾丸は早く飛ぶといっても、距離が遠ければ時間がかかる。駆逐艦の十二・七糎砲で常装薬を使用して発射した場合、初速(砲口から一秒間に弾丸の飛ぶ早さ)は九百十メートルだが、十秒、十五秒と飛んでいると次第にスピードは落ちて、一万メートルの射程距離では弾着時間が二十五秒位かかった記憶である。

駆逐艦のスピードは全速力で三十七ノット(時速約六十キロメートル)で、艦は一秒間に十七メートルは進むのだ。

発射して三十秒の間に、敵の艦は五百十メートルも右か左か、または近づいているのか離れているかである。従って、眼鏡で狙っている位置よりも、砲身はその前方五百十メートル先を向けて発射しなければ目標に命中しないのである。

そのため敵艦の速力と進行角度を速く把握することも必要となる。このように刻々と距離の変化することを、専門的には 「変距」 といい、変距には「自変距」と「的変距」 とがある。

 

その他、風向、風速、潮流、艦の動揺などによる変化を修正して、さらに艦の前と後ろに離れている砲塔間の距離をも計算に入れて修正するのだ。とにかく理論上では六門の大砲は、いろいろな条件を計算して、弾着地点が一点になるように複雑な修正をした上で発砲するのであった。

それでも初弾から挟叉(目標を挟んで弾着することを言い、最良の射撃とされていた)というわけにはいかない。初弾の弾着を観測して、左右、または遠近の修正をしたうえ、二弾目を発砲するのである。そのため、号令によっていろいろな意味がある。

「撃ち方始め」と「撃ち方止め」は艦長の号令であるが、あとは砲術長の指揮となる。

各艦が一斉に砲撃を始めると、標的の付近は弾着の水柱が集中する。どれが自艦の弾着なのか分からなくなるので、中継所の射撃盤に弾着時計というものがあって、距離によって弾着時を計算しトップにいる砲術長に、弾着をベルで知らせるようになっている。

砲術長は十五糎双眼鏡で自艦の弾着を観測して、次のうち、何れかの号令をかける。

「高め三」・・・三百メートル遠くを撃て

「下げ五」・・・五百メートル近くを撃て

「右寄せ二」・・・二百メートル右を撃て

「左寄せ四」・・・四百メートル左を撃。

 

四百メートル左を撃てといっても、狙っているトップの眼鏡を左に寄せるのではなく、中継所の射撃盤を操作すれば、大砲の砲身がそれだけ左に動くのである。

砲術長からこのような号令があっても、第二弾の発射は「高め」か「下げ」の号令があった時だけもう一回発砲できるが、「右寄せ」とか「左寄せ」だけのときは発砲できない。だが砲術長が次の効果 を知りたいときは、「次」と号令をかける。その時は一回だけ発砲できるのだ。

修正後、弾着が目標に近ければ、「急げ」と号令がかかる。それからは十二秒斉射間隔で、連続した砲撃が始まるのである。勿論、絶えず距離苗頭の修正をしながらである。

このような測的の原理から実際までを、学習と実習訓練とで覚えていくのであるが、なにしろ今まで見たことも聞いたこともないことばかりのうえ、専門用語が多いので、分かったような分からないような、全く自信のない授業であった。

さらに、短期間にあれもこれもと多くの内容を詰め込むため、同じことは二度と教えてくれない。一度講義を受ければ修得したものとして、次の科目に進んでいく。

「どうだ分かったか、分からなかったら原理など覚えなくてもよいから、こうしたらこうなるとだけ覚えておけ、よいな」

「分かっても、分からなくても、そう思え」

といった教育方針で、次から次と、怒鳴られ殴られ強引に詰め込まれていくのであった。