わが青春の追憶
砲術学校

兵器と兵隊

測的術練習生幹部班の生徒として実習教育を受ける範囲は、つまり兵器の原理とか取扱について教えられる種類には、拳銃、小銃、軽・重機関銃、十五糎水上砲、砲戦指揮方位盤、射撃盤、測距儀、探照灯などがある。

そのうち小銃や軽機関銃は、兵器としての原理や構造を学ぶことよりも、陸戦訓練と実弾射撃などを行っていた。

射撃場の地面に腹這いにされ、銃床をしっかり肩に当て、引き金に指を掛けて息を殺す。

「五発撃て」

引き金に力を入れた途端、ダダダ・・・と、十発以上も出てしまう。

「馬鹿者、いつまでも引き金を引いているから余分に発射するんだ、一発だけ撃ってみろ」

一発だけ撃つつもりでも、ダダダッと三発出てしまう。そのたびに怒鳴られ殴られて、体で覚えるのであった。

 

実弾射撃は厳重な監視のもとに行われていたが、それでも事故の起こることがある。私の分隊でも拳銃の射撃訓練中に、重大事件が起きてしまった。拳銃の取扱は、銃身が短いので非常に危険だからと、銃を手にしたときは必ず銃口を上か下に向けるよう訓練されていた。

まず弾丸を五発受け取り、人の居ない方向に向けて装填する。後は銃口を上に向けて順番を待つ。射撃は六人ずつ一線上に並び、立ち撃ちから始まる。的に命中すれば標的員が旗で何点か知らせてくれる。

射撃手には一人ずつ教員がついて指導に当たる。五発射撃したことを確認して次の者と交代させていた。撃ち終わった者は後ろに下がり、拳銃から空になった弾倉を取り出して、銃を次の者に渡してやる。だが、何処でどう間違ったのか、私の近くにいた者の拳銃に弾が一発残っており、突然の暴発。隣に居た者の頭に当たって即死したことがあった。その場は大騒ぎになったが、戦時中のことであるから、罪人の詮索は無しに済んだようである。

 

小銃や機関銃の構造は簡単であるが、これを扱う陸戦訓練は厳しく、その後の銃の手入れが実に大変であった。特に小銃は一人に一挺ずつ責任を持たされ、手入れの不十分な者には、容赦なく罰が与えられた。

銃身内が曇っていたり、引き金を引き忘れて銃架に納めて置くと、いつの間に検査をするのか、手入れの悪い銃にはチョークで×印が書かれている。

激しい訓練を終え、疲れて兵舎に戻り一息ついていると、

「小銃に×印のある者は前に出ろ」

さあ大変、急いで我が班の銃架を祈るように確かめる。まず自分のは良し、だが二挺の銃に×印が書かれていた。

「次長、本木と金治の銃がやられていますが、本木は今作業に出ていて、ここに居りませんのでどうしますか」

「そうか、悪いけど本木の帰って来るまで、柴田代わりに出てくれ」

同年兵の身代わりに、仕方なく廊下に並んだ。

「各自、自分の銃を持ってこい」

何が始まるのか知らないが、急いで本木の小銃を持ってきた。

「貴様ら、銃の身になってみろ。ろくに手入れをせずに放ったらかしておくから、銃がカンカンに怒っているぞ。今から銃に謝るのだ」

小銃に謝罪するということで、銃を横に両手で持って頭上に頂き、踵を上げ、膝を半ば曲げた姿勢をとることになった。

「どうだ、引き金を引き忘れた銃の打針発條は、いまの貴様たちのような姿になっているのだ。しばらくそのままで居れ」

とんだことになったが、嫌とも言えず我慢することにした。だんだんと腕が痺れてくる、膝が震え出し汗が流れ落ちる。

「まだまだ、銃は許すと言ってないぞ」

もう立っているのが困難になってきた。膝の震えも大きくなった。

「ようし、今日はこの程度で許してもらうが、二度とこんなことのないよう、銃架に納めて、銃に最敬礼をして、別れ」

ホッとして銃を下ろした、腕がまだ痺れている。本木が飛んで来た。

「柴田すまんことをした、今度はお前の代わりをやるからな」

同年兵とは良いもので、罰直の身代わりをしても恨む気持ちは起こらない。

 

小銃や機関銃の訓練に比べると、測距儀の取扱は楽なものであった。私たちは幹部班であっても測的術練習生である。測距、つまり距離を測定することも大切な教育として、原理から実技訓練まで、びっしりと仕込まれたのである。

現代のように、レーダーとかコンピュータなどあるわけではない。当時は人の眼で見て距離を測るのであった。測距の方法は、平面測距と立体測距の二通りあったが、主に水上艦艇を目標にした平面測距の訓練が多かった。

測距儀にはいろいろな種類があって、小さいのは六十六糎(六六と言って近距離用)から、大は十六メートル(戦艦大和に搭載されていた)まであるが、練習生の実習には一メートルの測距儀が使用された。

測距訓練は、引船に二十人ほど乗り、沖に出て波に揺られながら小さなブイを測るのだが、なにしろ乗っている船が東京湾の三角波に打たれて、上下左右に絶えず揺られているうえ、全速力で進行しているため安定しない。さらに目標のブイは波を受けて浮き沈みしているので、目標を掴むだけでも苦労する。

「目標、右前方の赤いブイ、測距始め」

急いで測距儀を覗いて目標を捕まえ、測距レバーを静かに回していく。距離の数値を示す目盛りは私には見えないようになっている。船が動揺しているので素早く測り、

「よし」

測距儀から目を離して横に寄る。他の班の練習生が測距儀に目を当て、その時の時刻と測定距離を記入する。そしてまた私は測距儀に着いて測る、といった具合に十回ほど繰り返して、次の者と交代するのだ。

測距目標は山頂にある鉄塔であったり、航行中の船舶や漁船であったり、陸上の建物になるのはまだしも、飛行中の練習機を測れとなると、目標を掴むだけでも容易ではない。まして測定するにはまだまだ訓練が足りない。アッという間に飛行機は通り過ぎ、どうしても測ることができなかった。

「貴様ら、こんなことで対空戦闘がやれるか。距離がわからんでは大砲は撃てんぞ。もっと手早く敏捷にやれ」

と一発ずつこん棒で頭をやられた。最初は楽で易しい訓練だと思っていたが、進むにつれて難しい技倆が必要になり、怒鳴られ殴られることが多くなった。

 

測距演習は昼間だけではない。夜間の、しかも真夜中でも行われる。午前零時に非常呼集をかけられ、測距儀を担いで海岸まで駆け足で向かった。

「皆よく聞け、夜間の測距は最も敏捷な動作を必要とする。敵艦隊は灯りを点けて戦ってはくれない。味方の探照灯も長く照射すれば敵からの目標となるから、二秒か、せいぜい三秒だ。この短い時間に確実な測的諸元を捉えなければならないのだ。つまり、的進、的速、距離、苗頭、変距などを測定するのだ。そのつもりで今から訓練する」

砂浜に台架を据え付けて、測距儀を取り付けた。

「おい、そこに居る練習生、あの航行中の船を測ってみろ」

近くに居た豊岡分隊士が私を指していた。

「はい」

早速、測距儀に向かって身構え、航海灯を捕らえて伸光器を操作し、測距レバーを静かに回した。

「目標、航行中の船舶、一七・八(イチナナテン、ヤー)」

とたんに、分隊士の鉄拳が私の頭に飛んできて、砂浜に殴り倒された。

「まだこんな奴が居たのか」

と、倒れている私を、さらに殴ったり蹴ったりされ、惨ざんな目に遭ってしまった。だが私のどこが悪かったのであろうか。早い測定、正確な動作、明確な報告、私に落ち度はない筈だ。原因が分からないから、訂正も謝罪もしなかった。

訓練が終了して、兵舎に戻ってから次長に聞いてみた。

「次長、先程の私の測距はどこが悪かったのですか」

「お前、分隊士からひどく殴られたなあ。でも俺にも悪いとこは分からん。お前の態度、測定距離、報告の方法、どこも悪いとこはなかったと思う。豊岡分隊士の勘違いか、それとも機嫌が悪かったのだ、我慢しろ」

原因の分からないまま、さんざん罵られ殴られたあげく、我慢しなければならないのだ。

 

軍隊では、上官に対して絶対に服従しなければならない。たとえ間違った命令であっても、出来ないことが分かっていても、従わなければならないのである。また疑問があっても聞くこともできず、意見を言うことなどもってのほかだ。上官に向かって不平や愚痴は勿論のこと、理由や説明を求めることすら許されないのであった。だから新兵はどんな無理なことであっても反発する意志もなく、ただひたすら忠実に従うのみである。

大きな組織を統括するためには、個々の不平不満は言えないものとして、私たちの年代の者は我慢してきたのである。

それが、現代においては個人意識が強く、なにかあれば上司や指導的立場にある者を追及しようと狙っており、権力者に立ち向かうことが大衆に人気があるのだ。マスコミも事実以上にまくし立て、責任者を悪者に仕立て上げることが、公然と罷り通っている。

私たち大正末期に生を受けた者は、青春時代を軍隊の新兵として過ごし、私生活は無視され、命を捨てて国のために尽くしてきたつもりである。それなのに、責任ある年代となった昨今、若い人たちから個人の権利だと、勝手な言い分や我が儘な行為に振り回されている。

他人のせいにできない私たちは、いつも弱い立場に立たされてきた。

 

   男 の 修 行

 

  苦しいこともあるだろう

  云い度いこともあるだろう

  不満なこともあるだろう

  腹の立つこともあるだろう

  泣き度いこともあるだろう

    これらを じっとこらえてゆくのが

      男の修行である

              山 本 五 十 六