わが青春の追憶
砲術学校

艦務演習

砲術学校での教育課程は、学習や兵器の訓練だけではない。銃剣術、水泳、体操、陸戦なども徹底した教育が行われ、ときどき競技大会も開かれるが、固い行事ばかりでなく時には演芸会も盛大に行われた。

海軍では何年に何回かは知らないが、遠洋航海という訓練を兼ねた外国旅行がある。この遠洋航海の艦に乗組員として選ばれる兵員は、何か特技のある者だそうである。訪問国の兵隊と武道の親善試合をやったり、演芸大会もあるので、銃剣術や水泳の強い者か、演芸の上手な者でないと遠洋航海には行けない。これらも勉強のうちだ、しっかりやれと言われてきた。

 

昭和十七年九月下旬、

「お前たちの教育もいよいよ仕上げの時になった。近日中にその成果を表すための艦務演習が行われる。この艦務演習の成績が練習生教育の成績になると思え。演習艦はまだ決まっていないが、戦艦を予定している。遠洋航海に選ばれたつもりで、何をやっても艦の乗組員に負けるな。さすがは砲術学校の練習生だと言われるように頑張れよ」

艦務演習は我々測的幹部班だけではなく、水上班、対空班、測的班も同時に行われ、それぞれの配置に付いて総合的な射撃訓練がおこなわれるのであった。

演習艦が戦艦「日向」と決まった。戦艦「日向」は呉所轄の艦で、『鬼の日向か、地獄の伊勢か』と云われた怖い艦である。いま瀬戸内海の柱島に碇泊しているとのことで、横須賀駅から軍用列車に乗せられて呉に向かった。

軍用列車とは全く殺風景なもので、一般の客を乗せないだけでなく駅にも止まらない。たまに止まったとしても野原か山の中である。駅のホームで娘さんの顔を見ることも、水を飲むことも、駄菓子を買うこともできない。

 

この艦務演習の軍用列車で思い出されるのは、故郷の近くを通った時のことである。横須賀から呉に行くときは夜行だったので知らずにいたが、帰りは豊橋を昼ごろ通過する予定であった。名古屋の市街地を過ぎた頃から辺りの景色に気をつけていた。岡崎を通り蒲郡に来た。波静かな三河湾が眼前に広がった。竹島だ、大島だ、遠方に対岸の渥美半島が霞んで見えた。笠山も、姫島も、わが家はあの辺りである。家の人たちは元気であろうか。

豊橋駅をすげなく通過し、渥美半島に通ずる柳生橋の踏切にさしかかった。この道を行けば田原に行ける、家に帰れる。列車から飛び降りて家に帰りたい。何とかならないものだろうか。

厳しい砲術学校の訓練中に、瞬時ではあるが遠方から見た故郷に懐かしい想いをしたのであった。

 

戦艦「日向」は、排水量三万トン、三十六糎主砲十二門、十五糎副砲十門を装備しており、戦艦「陸奥」「長門」に次ぐ大型戦艦として偉容を誇っていた。

艦務演習一日目は、方位盤、射撃盤、主砲、副砲などの見学と、操作について説明があった。次の日から実際の兵器に就いて、昼夜を問わずの猛訓練が始まったのである。

私たち測的幹部班の練習生は、直接大砲の訓練はしないが、艦橋の上にある方位盤に就いて、射手や旋回手の訓練をさせられたり、砲戦指揮の頭脳にあたる射撃盤に就いて、測的班が測定した距離を計算して、射撃盤の操作をする訓練が続けられた。

「明日はいよいよ総合艦砲射撃訓練が行われる。お前たちの操作した射撃盤や方位盤で、実際に砲撃が行われるのだぞ。大砲は発射されても弾丸が的に命中しなかったら、お前たち幹部班の責任である。お前たちが砲術学校を卒業できるかどうかの重要な演習だ。しっかりやれ」

翌日は午前四時起床。戦艦「日向」は柱島を出港して外海に出た。掃海艇の曳航する標的が見えた時から射撃演習が開始された。多少風はあったが艦は少しの動揺もなく、浮かべる城そのものであった。

測的班の練習生は測距儀の配置に就き、水上班は両舷側にある十五糎副砲に就いた。続いて、私たちは艦橋の上にある砲戦指揮所の方位盤に就いて、順次配置を交代して訓練されることになった。

トップの方位盤では射手と旋回手が重要な配置である。上下に移動させる眼鏡に就いて的を狙い、中継所にいる号令官からの発射ブザーの合図によって引き金を引き、各大砲を一斉に発砲させる役目の射手と、左右に移動する眼鏡に就く旋回手である。射手と旋回手の二人が狙う所は、目標艦の艦橋と上甲板を結んだ一点である。

その他に、目標とは全然違う方向の水平線を狙う動揺修正手、砲戦指揮中継所との連絡をとる伝令などの要員がいる。砲術長もトップに陣取って、眼鏡に就いてて観測しながら号令をかけるのだ。

私たち練習生は、これらの配置を一通り済ませた後、艦橋の真下にあって艦の中心部に位置する砲戦指揮中継所に移り、射撃盤の操作に就くのであった。

射撃盤での主な配置は、砲術長からの指令によって、的進、的速、つまり変距、苗頭などを求め、刻々と変わっていく状況に合わせて修正する修正手、測距儀から送られてくる距離を平均する役、各砲塔の弾丸装填完了を示すランプを見ながら、総合的な判断をして十五秒毎に発射ブザーを押す役の号令官、発砲した弾丸の弾着を砲術長にベルで知らせる弾着時計の役、各砲と電話で連絡をする伝令などである。ここでも全員が一巡するまで徹底した演習が続けられたのである。

なにしろ全てが大きい戦艦である。小さな駆逐艦と違って動揺は殆ど感じられないため、何をやっても安定していてやり易い。そのうえ標的艦の速度は遅く進路もあまり変えないので、予想以上の好成績を修めることができた。

「今日の演習は皆よくやった。だが実戦ではこんな好条件は滅多にないぞ。もっと変化の激しい複雑な射撃だから、艦船勤務に就いたらそのつもりでしっかり勉強するのだぞ。では今から本艦の配置の者が模範訓練をやるからよく見ていろ」

戦艦「日向」のレギュラーたちが射撃盤の配置についた。驚いたことに全員下士官である。それも善行章三・四本も付けている一等兵曹が多い。それだけ重要な役目であることに誇りをもったのである。

 

戦艦「日向」で二週間艦務生活をしただけなので、その全貌を知ったわけではないが、とにかく艦内は広くゆったりしている。五、六階建てのビルが海上に浮かんでいるようなもので、階段を上がったり下がったり、同じような通路が多く、案内標識などはないのでつい迷ってしまう。乗組員も大勢で、二千人位いるのではないかと思った。そのため自分の分隊員以外の者とは顔見知りになれないし、他の分隊の者に誠意を尽くす必要もないのだ。

駆逐艦のような小さな艦では乗組員が一家族のようなもので、知らない者はいないので、洗濯干し場から被服など盗まれることはない。むしろ新兵は班員の干し物を全部取り込んで収めてやるのだ。これが戦艦では、盗まれないよう洗濯干し場に見張り番がついている。

戦艦にいる新兵は、要領よく立ち回っていればよさそうだ。駆逐艦では誰もが顔見知りのため、陰日向なく働かないと、あいつは横着者だとなってしまう。

さらに戦艦では、半年毎に新兵が乗って来る。鬼の「日向」も地獄の「伊勢」も、半年か、せいぜい一年くらいで新兵を卒業しているようだ。それに比べて駆逐艦では、善行章がつく三年間はやられっぱなしだ。

それでも私は駆逐艦がすきだ。どんなに厳しくとも、また危険であっても働きがいのある駆逐艦に、もう一度乗ってみたいものだ。