わが青春の追憶
駆逐艦磯風

地獄の島

ニューギニア島のラエ補給輸送の激戦を終え、ラバウルに戻り投錨した。そして、一息つく暇もなく次の作戦が発令され、レタカという所に向かって出発した。今度は輸送船を連れず、四隻の駆逐艦が輸送任務に就くこととなった。

それは軍需物資を詰め込んだドラム缶を駆逐艦の上甲板にいっぱい積み並べ、目的地の海中へ投げ込んでくることであった。大砲や魚雷発射管の旋回に障害とならない場所は何処であろうとドラム缶を置いたため、作業をするのも邪魔なほどであった。

このレタカ作戦においても、何回となく敵航空機の襲撃を受けたが、速力の早い駆逐艦ばかりのため全艦無事に作戦を遂行して帰ったのである。今度も危険な戦闘が続き、ヒヤッとした場面が何回もあったが、その度に度胸と勇気が湧いてきた。

レタカ作戦を終えて着いた所は、ソロモン諸島のうちショートランド島のブインという小さな島で、ジャングルの中に原住民部落が見える海岸の沖であった。

ここも南方の島特有の地形と景色をしており、物凄い暑さである。波静かで透明な美しい海、さざ波が打ち寄せる白い砂浜、水際までジャングルが覆いかぶさっている入り江、密林の奥には猛獣毒蛇が住んでいるのではないかと想像される。それでも何処かに飛行場があるらしく、九七式陸上攻撃機が三機飛び立って、東の彼方へ消えて行った。

ショートランド・ブインは日本軍の基地とはいえ、敵地に最も接近している所だ。いつ攻撃されるか分からない島である。従って、錨を降ろしてゆっくり碇泊できる所ではない。いつ何時でも出動できるよう汽缶は常時焚いており、錨鎖は切り離すことができるようにして待機したのである。

 

久し振りに夜の整列がかかった。

「貴様ら、この頃の戦闘で度胸がついたのはよいが、戦争を甘く見ていやがる。当直の交代時間に遅れる奴がいるぞ。更に警戒配備中怠けている者もいる。一人の怠け者のために艦は沈没するんだ、もっと真面目に真剣にやれ。国を挙げて命懸けの戦争だぞ。それから、この頃下士官たちに接する態度が不親切になった。今から気合いを入れてやる」

と、バッター(直心棒のこと)を五回ずつやられたのである。

続いて私よりも一年先輩のオチョーチン組から、『前支え』を二十分ほどしごかれた。

次は半年先輩の徴兵連中だ。

「一水整列」

思わず私も整列しかけた。

「柴田、俺たちは列外でいいんだ」

同年兵の朝見が、私の腕を引っ張って注意してくれた。確かに私は上等兵になっていた。だが新兵の気持ちから抜けきれないので、自然と叱られる立場になってしまったのだ。

「貴様たちがたるんどるから、俺たちまでやられたんだ」

一水たちを二列に並べると、ビンタを殴りだした。前列が終わると、

「おい、今度はお前たちやれ」

と、私たちの同年兵に制裁の指示があった。

いつもやられっぱなしの私たちも、今度は殴る番になったのか。しかし、恨みも憎しみもない連中を殴ることはできない、どうしよう。

「やい、上水になっても殴ることもようできんのか。新兵たちになめられていいのか」

徴兵組に怒鳴られた。

「よし、俺がやる」

広田が名乗り出たので、内心ホッとしたのである。だが、

「お前たち全員が殴るんだ、やってみろ」

とうとう私も前に出て拳を振り上げた。

「なんだその生温いやり方は、気合いが入らん、もう一回だ」

やはり私はいつまでたっても新兵である。自分の意志を抑えて、命令された通り拳に力を入れて振り下ろしたのであった。

 

翌日の昼頃、上陸用舟艇の大発が一隻「磯風」に配置されてきた。乗組員として二名の兵員が配備されていた。他の駆逐艦にも大発が到着した。今から何が始まるのだろう。

「今度は、ガダルカナルに行くらしい」

「また輸送作戦か、少し休ませてくれんかなあ」

「大発舟艇を曳航するのだから、輸送ではなさそうだ」

「危なくなっているガダルカナルの陸軍さんたちを、駆逐艦で連れに行くのだそうだ」

「なんだ、退却の手伝いか」

その日の午後、第十七駆逐隊を始め、他の駆逐艦も一斉に動き出し、ショートランド・ブインを出港したのである。

第三戦速、三十ノットの猛スピードで、十二隻の駆逐艦隊は一列となり、まっしぐらに波を蹴散らして進んで行った。各艦とも大発舟艇を曳航してである。

ショートランドの島々が遠く離れた。ギラギラと輝いていた大きな太陽が西に傾きかけた頃、突然、敵機が襲撃してきた。三十機ほどの艦載機は爆弾を投下すると、サッと消えた。各艦に被害は無かったようだ。この頃では、敵の空襲は日常の日課ぐらいに慣れてきた。しかし油断はできない、他の戦闘では多くの駆逐艦が爆撃によって沈没したことを、何度となく聞かされていた。

夕闇が大海原を覆い出した。もう空襲は無いだろう、今度は敵艦艇との戦いだ。

「合戦準備夜戦に備え」

機銃台を離れて探照灯に就いた。

「本日の真夜中にガダルカナル島へ到着する。そしてガ島に居る陸軍兵を収容するのであるが、ガ島付近には敵の魚雷艇が待ち受けていると思われる。十分な警戒と、収容作業は迅速に行え。なお灯火管制を厳重にせよ」

ゴォーッと汽缶の音が響き、艦は暗く広い海上を驀進していく。艦尾からは白く長い航跡がクッキリと浮かび、曳航している大発のワイヤーがピーンと張って、しぶきに濡れている。

夜間敵地に潜入する時は、実に心細く恐ろしいものである。何しろ敵側には電波探信機が装備されていて、目に見えなくても攻撃できるのだ。

「照射用意」

管制機長から命令がきた。

「いつ照射するか分からないが点灯してみる。光が外に漏れないように注意しろ」

二十分間ほど照射テストを行ったが調子良好、今夜こそは探照灯の威力を発揮したいものだ。

駆逐艦隊は暗黒の海洋をガダルカナルに向かって、第三戦速でまっしぐらに進撃して行った。

 

「間も無く目的地に到着する。大発舟艇用意、後部員舷梯用意」

艦の速度が落ちてきた。待機していた大発乗組員の二人は、舟艇を引き寄せて乗り移り、エンジンを始動すると、急いで陸岸の方向に向かって消えて行った。

一方、後部員たちは右舷の舷梯を、音を立てないよう静かに降ろしている。

艦が停止した。今から一時間以内に、島に居る陸軍の兵隊を大発で運び、本艦に乗せるのである。敵の魚雷艇が近くに潜んでいるかもしれないし、潜水艦が狙っているかもわからない危険区域だ。

暗闇から眺めたガダルカナルは、黒く大きな塊が広がり、ジャングルか丘かの見分けもつかず、光も音もない。シーンとした寂しく暗い島であった。

待っていると時間の経つのが遅く、なかなか大発は戻って来ない。艦橋も静かだ。五分、十分、何の音も聞こえない。皆イライラしているようだ。だが声を出す者はいない。

やがて、遠くの方でかすかにエンジンの音が聞こえた。来た、闇の中から大発が現れた。大勢の兵隊を乗せて帰って来た。

探照灯を田中さんにお願いして私は舷門に行った。前部員の若い兵員は、舷悌を上がってくる陸軍兵たちを、兵員室に案内することになった。

大発が着き、舫い綱が投げられた。

「おいここだ、早く上がれ、早く」

「何をしている、こっちだ早くせんか」

急いで艦に上がるように催促するのだが、黒い人影は舷悌の手摺にもたれれ掛かるようにゆっくりと、動作が緩慢だ。

「敵が近くに居る、早くしろ」

腕を取って引き上げてやった。

「こちらに来い、急げ」

前部兵員室への通路の入口に押し込んでやった。

やがて、大発舟艇が再度の収容に艦を離れたため、改めて薄暗い通路を目にして驚いた。

狭い通路に何人かうずくまるように腰を下ろしている兵隊たち。軍服と思われる衣類は、泥水か汗か分からないが、どす黒く汚れていて、腰を下ろした場所から汚水がしみ出ている。服も帽子も布地は見えないほど垢で詰まっていた。所々破れたり擦り切れたり、血の固まった皮膚がはみ出し、臭い匂いが鼻につく。ボタンは千切れ、階級章すら無い者もいる。顔は土色で血の気は全く無い。言葉も出ないらしく、話はしない。一旦腰を下ろしたら動こうとしない、いや、動く気力を失っているようだ。

軍人として、また日本人として祖国を護るため、生命の極限まで働いてきた人なのだと気が付いた。大変ご苦労さまでしたと、心の内で思わず呟いた。

後で知ったのであるが、ガダルカナル島に居る兵隊たちは、言葉では言えないほどの悪戦苦闘であったという。食料は何日も前に無くなり、弾薬も無い。土の中や沼に漬かって生きていたのだ。大勢の戦死者と負傷者も居たが、これから他の戦いに転戦するために、舟艇に乗るのだと聞かされていた。撤退するのだと分かっていたら、命の消えかけていた者も一緒にと思ったことであろう。だから大勢の動けない負傷者や重病人を残して、これから戦うつもりで舟艇に乗ったとのことであった。

『地獄の島』ガダルカナル島

生と死の間をさ迷い、気力だけで生きてきた人たちである。

これが戦争の実態だ。

戦争とは、この世を地獄と化すものだ。

私たち駆逐艦乗りも、いつこの人たちと同じ運命になるかも知れない、他人ごととは思えない。

 

再び大発が到着した。

「早くしろ、早く」

優しい言葉をかけてはいけない、むしろ厳しい態度で扱うよう指示されていた。それは、艦に上がり助かったと思ってホッとすると、死んでしまうことがあるからだとのことである。

年配の兵士が舷悌を這うように上がってきて、舷門の手摺に持たれうずくまって動かない。

「しっかりしろ、早く部屋に入れ」

背中をトンと叩いてやった。

「ウン」

よろめくように、甲板に手をついて立とうとする、苦しそうだ。

「元気を出せ」

脇腹を抱えるようにして通路まで連れてきたが、陸軍中佐の階級章が目に入ってハッとした。うちの艦長は海軍少佐だ。

「アッ、失礼いたしました」

「いや、ありがとう」

前部士官室まで抱えていき、ソファの上に寝かせてやった。純白の掛布が泥で汚れたが、かまわず中佐の持ち物もソファの上に置いてきた。

大発が陸岸との輸送を何回繰り返したのか記憶はないが、艦の前部も後部も兵員室は満杯となり、上甲板にも動けないほど詰め込んだ。陸軍さんの誰を見ても惨めな姿をして、気の毒なほど疲労していた。本当にご苦労さまでした。

 

艦が動きだし、速力を増した。もう大丈夫であろう、私は探照灯に戻り一息ついた。気になっていた大発はどうなったのだろう。艦尾を見たが曳航してはいない。それでも乗員だけは本艦に乗り移っているだろうと勝手に思っていたところ、あの二人は大発と共にガダルカナル島に置いてきたということを、朝になってから知ったのである。あの地獄の島に。戦争とは残酷なものだ。

夜明けまでには敵の制空圏域を脱出しようと、艦は全速力で驀進している。陸軍さんたちは安心したのか、それとも放心したのか、上甲板に横たわったまま便所へ行く気力もなさそうだ。ただ汽缶の音だけが力強く響いている。

東の水平線が明るくなってきた。砲塔の周囲に寝ていた人たちに退いてもらうため近づいた。怪我をしている者、衰弱で苦しんでいる人、泥水で汚れている包帯から血の滲み出ている者など、見るに耐えない光景である。

昼に近い頃、やっとショートランド・ブインに着いた。陸岸から迎えに来た舟艇に乗せられて陸軍さんたちとは別れたが、これからこの人たちはどうなるのだろう。再起できない者が多くいるのではないか。

昨夜、ガダルカナル島で本艦に乗り、ここまで来る途中に艦内で三名の死亡者が出ていたそうだ。気力だけで生きていた人が、味方の駆逐艦に助けられ、ホッと気を緩めた途端に死んだのではないかと想像された。

陸軍兵たちが全員陸上に引き上げて行き、悪夢から醒めたような気であったが、私たち水兵はその後始末が大変であった。

兵員室の内部は、床、壁、テーブル、チスト、上甲板など、あたり一面は泥と汚水でぐしゃぐしゃになっていた。小便や大便も混じっていて、臭くてたまらない。

早速大掃除となった。石鹸水を流し、甲板刷毛を手に四つん這いで、『回れ、回れ』を徹底的にやられたうえ、ソーフで湿気を拭き取り、油をつけてまたソーフと、居住区、通路、上甲板を半日かけて掃除をさせられた。へとへとになるまで追いまくられたが、ガダルカナル島の陸軍兵士の辛さを思い、愚痴を言う者はいなかった。