わが青春の追憶
駆逐艦磯風

艦橋は残った

昭和十八年二月、ガダルカナル島撤退作戦の第二回が行われることになった。

ショートランド・ブインを午後出発して、再び第三戦速で地獄の島ガ島に向かった。十数隻の駆逐艦は戦をする艦艇でありながら、輸送任務に全力を尽くすのであった。敵爆撃機や魚雷艇の待ち受けているガ島へ接近するのは、駆逐艦でなければできない作戦である。

この第二回目の撤退作戦は、前回よりも敵機の攻撃が激しく、爆撃と魚雷艇の襲撃によって、駆逐艦一隻沈没、二隻大破という被害を受けたのである。目前で味方の駆逐艦が被爆炎上して、波間に沈んで行く姿を見るのは、実にたまらない気持ちであった。

それでも作戦は予定通り行われ、真夜中に目的地へ到着した。真っ暗な海上に艦が停止して驚いた。前回置き去りにしていった大発舟艇が、陸軍兵士を満載して「磯風」を待っていたのである。一寸先も分からない暗闇の海上において、どうして「磯風」と知ったのであろう、それとも偶然であろうか。

今回も短時間のうちに、急げ急げと陸軍さんたちをいっぱい乗せてガダルカナル島を出発。全速力でショートランド・ブインまで引き揚げたのだが、艦内で死亡した者が五名もいた。

 

このガダルカナル島撤退作戦において、駆逐艦隊が撤収した人員は、第一次が陸軍五一六〇名、海軍二五〇名の計五四一〇名で、この内「磯風」が収容したのは一〇七五名であった。第二次では陸軍四四五八名、海軍五一〇名の計四九六八名で、「磯風」はこの内一一七四名も乗せて来たのである。

こうした駆逐艦での輸送作戦は、ソロモン方面の各地で行われていたが、その度に、一隻また一隻と僚艦たちは沈没していった。消耗品としての駆逐艦だから、ニュースとしては発表されなかったようである。

「陸さんたちも可哀想だな。俺たちが迎えに行かなければ全滅してしまうぞ。ガ島にはまだ残っているのか」

「まだ大勢残っているらしい、明日もう一度迎えに出かけるようだ」

「二回目は五人も死んでしまった。せっかく本艦まで来たのになあ」

「ガ島の撤退作戦もだんだんと危なくなってきたぞ、こっちもいつやられるかわからん。皆しっかりやろうぜ」 

噂の通り翌日の午後、駆逐艦隊は第三回ガ島撤退作戦が発令され、ショートランドを出発したのである。第三戦速、三十ノットの猛スピードで進んだ。

島を離れて間もなくスコールに出会ったが、入浴も洗濯も許されない。三十ノットの猛スピードだから、アッと言う間にスコールを通り抜け、再び猛暑の大海原を十数隻の駆逐艦隊は一列縦隊で、水煙を上げてガダルカナル島に向かったのである。

艦内哨戒第一配備、全員部署についての作戦行動である。私は機銃台に上がって弾薬を用意した。

「今日も敵さんたち、やって来るだろうな」

「もうそろそろ来る頃だ。豊島艦長、舵を頼むよ。三輪砲術長、頼りにしてるからしっかりたのんまっせ」

「こんな陸地も見えない海のど真ん中で、ゴボゴボなんてのは御免だな、柴田撃ってくれよ」

戦地における男同志の会話は、危険が迫っている時でもこんな調子である。いつも整列をかけられて、殴る者も殴られる者も、何のこだわりもなく上官を信頼して、自分の持ち場に全力を尽くすのであった。 

「右三十度、敵機発見」

「対空戦闘、配置につけ」

艦隊は速力を上げながら編隊を崩した。砲塔が旋回し、砲身が空を睨んだ。私も機銃に弾倉を装填して身構えた。

敵機が編隊を解いて攻撃を開始してきた。「浜風」と「浦風」が発砲した。敵機は「浜風」を狙って急降下爆撃をしてきた。「浜風」の左舷に水柱が上がった。

「撃ち方始め」

敵機が右上空から突っ込んできた。

ガーン、十二・七糎砲が火を吹いた。私も夢中で引き金を引いた。もう敵機の姿しか眼に入らない。大砲の轟音で機銃などを撃っている音は消され、これでも弾丸が発射されているのかと、もどかしいくらいである。

敵機の攻撃は必死で激しい。三機、四機、五機と、連続した急降下攻撃である。本艦はその度に右へ左へと急旋回して、爆弾を避けながらの砲撃である。至近弾の爆発が海水を持ち上げ、頭からずぶ濡れになっての戦闘である。

敵機は「磯風」を集中攻撃してきた。右から左から急降下が続く。大砲早く撃て、機関長もっと早く走れ、機関銃では弾丸が届かないのだ。

突然、グワーン、艦が暗礁にでも乗り上げたような物凄い衝撃で、私は甲板に叩き付けられた。

艦はブレーキをかけたように速力が落ちた。どうしたのであろう。

「敵機が来る、早く撃て」

機銃に飛びついて引き金に力を込めた。砲撃が止まった。大砲なぜ撃たんのだ。右舷十メートルほどに爆弾が落下して水柱を上げた。艦の速度が遅くなってきた。今にも止まりそうである。

艦はどうなったのだろう。大砲発砲しろ。機関兵、推進機を回せ、スピードを上げろ。敵が攻撃してくる、何をしているんだ、早くしろ。

ドッカーン

やっと大砲が撃ち出した。砲の轟音にホッとして空を見上げた。

敵機は弾薬が尽きたのか、ようやく攻撃を終えて引き上げて行った。

艦が停止してしまった。今度は潜水艦の目標になりそうだ、魚雷艇が近くに居ないだろうか。

頼りにしていた汽缶が止まり、「磯風」は一隻だけ取り残されてしまった。

「伝令、どうなっているんだ」

「ハイ、艦橋との連絡が取れません」

電話機が故障したのか、それとも電源をやられたのか。田中水長が二メーター測距儀の高見兵曹に声をかけた。

「艦橋がやられたんですか」

「艦橋は残った。だが前部は無くなったらしい。一番砲は全員やられたようだ」

「艦橋は残った」と言うことは、前部兵員室も士官室も吹っ飛んだのか。一番砲の弾薬庫に誘爆しないだろうか、心配だ。しかし持ち場を離れることはできない。

「磯風」は完全に停止してしまい、潮流とともに漂流しだした。いま敵の飛行機か潜水艦にでも攻撃されたら、簡単に沈没させられることは間違いない。辺りを見渡したが島影一つ見当たらない。我が駆逐艦隊はガ島に向かって進撃し、やがて水平線の向こうに消えた。真っ赤な太陽が西の海に沈もうとしている。本艦はどうなるのであろう。

艦は漂流を続け、配置に就いたまま心細い時が流れた。

「曳航用意」

なにがなんだか分からないまま機銃台を離れ、前甲板に行くためラッタルを駆け上がって驚いた。艦橋から前の部分が全く無くなっている。船体が割れて、鉄板はザクロのように大きく開いていた。勿論、一番砲塔も錨甲板も無く、私たちが寝起きしている兵員室も無い。艦橋の下には波が打ちつけている。缶室に浸水しないだろうか。弾薬庫は既に海底であろう。さらに艦橋の鉄板にも無数の穴が開いていた。

まさに、「艦橋は残った」のである。

「残っている前部員は早く曳航の準備をしろ、駆逐艦「江風」に曳航されることになった」

第二十四駆逐隊の駆逐艦「江風」が波を蹴立てて近づいてきた。「江風」の前甲板にいる兵員が手を振って、大丈夫かと言っているように合図してくれる。心強く頼もしい姿だ。有り難い助かった。

 

凄い戦闘だった。船体を切断大破され、多くの戦友を失った「磯風」は、駆逐艦「江風」に曳航されて帰途についたのである。戦死した同僚たちを弔うごとく、真っ赤に焼けた夕空の下を。

つい二時間ほど前までは、元気に作業をしていた一番砲員の十数名の者、弾庫員、運弾員たちは全員戦死したのであった。さらに艦橋の操舵室と無線室にも爆発が及び大きな穴が開いて、操舵長と数名の兵員が戦死した。艦橋の外側鉄板は破片が飛び散って、無数の穴や凹みができ、これに混じって肉片と血痕があちこちの鉄板にこびりついている。見るも無惨な有様であった。

我々前部員の兵員室である居住区は、一区、二区、三区とも海の底だ。今夜から寝る所も食事をする場所も無く、衣服も私物も失ってしまった。

さらに錨鎖室、士官室、食糧庫も無くなってしまった。どうにか残った砲戦指揮中継所も水浸しで使用不能。配電室は水中となっていた。

後で知ったことだが、今回の戦闘で被害のあったのは「磯風」だけではなかった。駆逐艦「舞風」と「巻波」にも爆弾が当たって航行不能になり、他の駆逐艦に曳航されて帰ったとのことである。

恐ろしい戦いだ。ソロモン海域では駆逐艦だけが戦闘しているように思える。戦艦や航空母艦たちは何をしているのだろう。せめて飛行機だけでも応援できないのか。

本艦は「江風」に曳航されてショートランド・ブインまで帰ったが、修理しようにも此処では手の付けようもなかった。

 

ここで、こんなことを詳しく書きたくはないが、今でも私の脳裏に強く残っており、また事実のことだから記録しておく。

それは、この戦闘で戦死した同僚二十八名中、死体として艦に残っていたのが四体だけであった。しかも満足な姿はしていない。手足胴体バラバラになっているのを集めたものだ。なんとか我々の手で火葬してやろうと、作業員が集められた。

役割から火葬作業の命令を受けた者は、私を含めて九名の一水と上水だ。引率者である水兵長の指示に従って火葬することになった。

私たち作業員は四人の遺体を担架に乗せ、カッターで海岸まで運んだ。ここの海岸で火葬できるものと思っていたところ、海岸警備の陸軍兵から、

「ここで火葬してはいけない、火葬する場所は森の奥にあるから、そこまで運べ。ここで煙を上げたら敵機に知られてしまう」

とのことであった。

ショートランド島は外南洋でも特別暑い所だ。スコールが多く湿気が高いためか、マラリヤとかデング熱という熱病が流行している地方である。健康な者でも猛暑と高湿度のため衰弱するほどのため、死体などは一時間も経たないうちに腐ってくる。死体の近くに居るだけで我慢できないほど臭い。その上この島には蠅が多い、私たちの顔や手足に群がるくらいだから、死体には二重三重に真っ黒くなってたかる。さらに死体の傷口とか、目、鼻、口などに蛆虫が湧いて、死体の皮膚がピクピクと動くのだ。気味のよいものではない。

遺体を乗せた担架は重く手が抜けそうだ。紐をつけて肩に掛けたが肩が痛かった。大木の繁る薄暗い密林の奥は深く、道や橋などは無い。やっと人ひとりが通れる程度の下草が刈ってあるだけで、地面は湿っていて所どころに水溜まりがある。途中に沼があっても橋は無く、大木を倒しただけの上を渡って奥へ進んだ。担架を持つ手が伸びそうだ。紐が肩に食い込んで痛い。毒蛇やワニは居ないだろうか。

海岸から三十分ほど歩いた所に、千平方メートル位の広場があった。どうやらここが火葬場らしい。周囲は大樹に囲まれているが、ここだけは青空が開け、強い光が明るく眩しい。

乾いている枯れ木を集めて、その上に担架を乗せて火をつけた。

「皆ご苦労だったな、腹が減っただろうからこれを食ってくれ」

引率してきた水兵長は、肩に掛けていたズック袋から握り飯を取り出して、私たちの方に差し出したのである。

戦場では、普段考えられないことを平気でやってのける。正常な人間の精神を異常なものにしてしまうものだ。つい数時間前まで、元気に話し合ってきた同僚が戦死して、その遺体を運び、火葬しながら握り飯を食う。死体の焼ける臭いを嗅ぎながら、なお食欲があるのだから不思議であった。

人間の、どこまでも生きようとする本能は、悲嘆な状態をも超越してしまうのだ。

火葬を無事に終え、遺骨を拾って箱に納めたが、家族の悲しみを思うとたまらなかった。遠い南方のジャングルの奥で、日本の平和を願い、故郷を慕いながら眠っている多くの同胞が居ることを忘れてはならない。

 

艦に戻ったものの、前部員は着のみ着のまま、着替える服も襦袢も手拭いすら無い。吊床も無ければ寝る場所も無い。私物も全部失ったのだから小銭も無い。だが生きているのだから文句は言えない。食事のときは後部兵員室のテーブルと食器を交代で使用することとなった。

さらに不便だったのは、艦首が無いので錨も揚錨機も無く、碇泊するときは艦尾にある応急用の錨にワイヤーをつけて、兵科全員がワイヤーにつかまり、錨を入れたり揚げたりすることであった。

ショートランドに二日間碇泊していたが、修理が出来ないのでラバウルに回航された。

懐かしいラバウルに着くと、早速工作艦に横付けして応急修理をすることになった。艦の前部破損部分の鉄板を切断して、仮設艦首を溶接で作っただけで、艦橋から前の部分が無いカッコ悪い艦になってしまった。それでも海水の侵入もなく、単独で航海できるのだからありがたいものだ。

 

「内地に帰れるぞ」

こんな噂の伝わるのは早い。

「修理するのは呉工廠だろうな」

「缶や機械に被害は無いのだから、本艦だけで帰るのか。心細いな」

「でも一番砲に爆弾が命中した時、よく弾庫に誘爆しなかったものだ。あれが爆発していたら本艦は完全にお陀仏だったな」

「戦死した者には気の毒だが、お陰で俺たちは内地に帰ることができるのだ、有り難い」

噂の通り、翌日ラバウルを出港して航海が始まった。「磯風」ただ一艦で。

大日本帝国海軍が誇る新鋭駆逐艦も、傷ついてしまってはその威力を失い、戦場から去らなくてはならないのだ。多くの僚艦を戦場に残して帰るのは、なにか後ろ髪を引かれる思いであった。故郷へ帰ることのみを楽しみに戦ってきた若者たちは、再び帰ることなく遠い南方の海底で寂しいだろうと、たまらない気持ちであった。

戦争とは、兵士の感情や同情は勿論のこと、どんな事情や理由があろうとすべて無視される。ただ命令どおり行動するのみである。内地に帰れと指令があれば、帰らなくてはならないのだ。

内地を出発したときの威容もなく、兵力を失い傷ついた今、内地に帰るのは嬉しくもあり、また悲しい想いの航海であった。