わが青春の追憶
破局への戦い

之字運動が始まった

昭和十八年七月十八日、呉軍港に静かな朝が訪れ、体操、甲板掃除、洗面、朝食を済ませて出港準備にかかった。本日は、天気晴朗なれど気温高く、日中は暑そうである。

午前八時、軍艦旗掲揚。

続いて、

「出港用意、もやい離せ」

艦橋で、勇ましい出港用意のラッパの音とともに、

「両舷前進微速、取舵」

艦はブイから離れて静かに動きだした。全兵員は上甲板に整列したまま、軍港内を六ノットの微速で滑るように進んで行く。付近に碇泊している艦船から「気を付け」のラッパが響き、艦が近くまで来ると「帽振れ」と、一斉に我が「磯風」の出撃を激励してくれるのだ。白い事業服が上甲板に並び、白い帽子が揺れている。戦艦、巡洋艦、潜水艦、海防艦も、戦地に向かう我々を見送ってくれる。これで呉軍港ともお別れだ。

今回は何故か早瀬の瀬戸を通らず、広島の方向に進んで行った。宮島沖を通過して瀬戸内海に出た。緑の島々が鮮やかに映えて美しい。これで内地も見納めだ。

本艦だけの出撃と思っていたところ、途中から十七駆逐隊の僚艦たち「浦風」「谷風」「浜風」が、本艦の来るのを待っていたように、編隊を組んで進みだした。さらに豊後水道にかかる所で、輸送船十五隻と同航することになった。十二ノットの経済速力で、輸送船団の護衛が始まったのである。

 

「艦内哨戒第三配備」

私の戦闘配置は換わったが、警戒配備は以前の通り二メーター測距儀であり、砲戦指揮中継所には第一配備になったとき就くのである。

「これから何処へ行くのだろう」

「商船を護衛しているから、トラック島かラバウルあたりではないか。その後に何処へ出かけるかが問題だな」

豊後水道を通り太平洋に出た。船団を護衛して一路南へ向かって航海していたが、一時間ほど過ぎると、船団は一斉に左へ向きを変えて進みだした。

「これはどうしたんだ、アメリカへでも行くつもりか」

「之字運動が始まったんだ。最近は本土近海にも敵潜水艦が横行している、危険だから『之字運動』をしながら、航行することになったんだ」

「こんな調子では、いつ目的地に着くのやら、おそらく倍の日数はかかるぞ」

之字運動とは、我が艦隊の進路が敵潜水艦に分からないよう『之』の字のように、右へ行ったり左に向かったり、ジグザク航行することを言うのである。

それは、敵潜水艦からの魚雷攻撃を避けるためだ。潜水艦の特性は、単独行動で敵陣に潜入し、隠密的な攻撃をする特殊な軍艦で、水上艦艇に対しては、水中に潜航したまま魚形水雷を発射してくるため、戦艦や航空母艦、商船など大きな目標となる艦船にとっては、実に恐ろしい敵である。

だが、潜水艦にも弱点はある。水面に浮上して海上を航行する時は、ディーゼルエンジンの動力によって、蓄電池に充電しながら二十ノットの速力で走ることができるが、潜航している時は、内燃機関が使えないため蓄電池のみで動くのだ。そのため、せいぜい十一ノットか十二ノットしか速力が出ない。さらに潜航している時でも、敵の軍艦の水中聴音器で発見されれば、爆雷投下を受けて姿なき忍者も二度と浮かび上がることは出来なくなるのだ。

従って、駆逐艦が護衛している船団を襲撃する時は、まず船団の航行進路を読み取り、発見されないように浮上して全速力で遠方を迂回して船団の進路地点に潜航。獲物が近づくのを待って攻撃してくるのである。

之字運動をやっていれば、敵潜水艦に跡をつけられても、東に行ったり西に進んだりで進行目標がつかめない。それでも、一日も二日も執拗に跡をつけていれば、進路が分かってしまう。そのために之字運動もいろいろな進み方をするのだ。潜水艦と水上艦艇とは、敵、味方の知恵の戦いでもあった。

 

呉を発ってから三日過ぎ、四日、五日たった。訓練と警戒配備が繰り返されているうち、少しずつ海の色が明るくなる。と同時に、猛烈な暑さが襲ってきた。南方に来たことは間違いないが、何処へ行くのかはまだ分からない。

毎日の行動に変化がないと、私たち善行章の無い若い兵は心配になってくる。果たして、

「巡検後、二内火艇ダビットの下に整列」

となった。でも、航海中の制裁は時間が短いので助かる。直心棒で尻っぺたを五回ほど殴られ、終わった者から解散となる。それは、警戒配備に付いている者と交代するためにその場を去ることができるからで、続いてオチョーチン組からやられることもなく、上水組も一水を殴らずに済んだのであった。

「明日は碇泊するらしいが、何という島なのか知らないそうだ」

一夜明けると、輸送船団は珊瑚礁に囲まれた小さな島の近くに錨を入れた。しかし島には用事は無いらしく、内火艇はダビットに揚げたままであった。それに警戒配備を続けての碇泊で、長い航海の途中一休みといったところである。それとも敵潜水艦を惑わすためであろうか。

島は小さく、高い山も丘も無い。ただ白い砂浜に低い樹木があるだけで、原住民の集落も見当たらず無人島のようだ。静かな美しい緑の島であった。

 

船団は二日間程この島に碇泊していたが、何の変化もなく、再び航海を始めた。焦げ付くような太陽の光を浴びて、船団は之字運動を続けながら、南海の果てしない大海原を進んで行った。

ときどき黒雲が現れ、スコールの恩恵を受け入浴と洗濯を手早く済ませることもあったが、雨雲の小さい時には、石鹸をつけただけでスコールを通り抜けてしまい、「オーイ、艦を戻してくれ」とも言えず、泡だらけの体を流すこともできないまま乾かすこともあった。

また船団の進行に合わせて、イルカの群れがついてくることがある。大きな体を海面に飛び跳ねながら、之字運動に添って何処までもついてくる、可愛らしい。

 

警戒航行中であっても、午前中は訓練が行われる。新しい配置の状況を説明しておこう。

前にも説明したように、砲戦の指揮は艦橋の上部にある砲戦指揮所(トップと言う)の照準望遠鏡で目標を狙い、その照準方向が電流として砲戦指揮中継所の射撃盤に送られる。そこで距離苗頭修正手である私の役目は、敵との距離はどれだけか、右へ何ノットで移動しているか、それとも左へ進行しているか、近づいているか遠ざかっているか、つまり専門的には、距離、苗頭、変距などを、砲術長の命令によって射撃盤に加えてやるのである。

私が操作した射撃盤から、修正された電流が砲側に送られ、計器盤の針を砲側の針に合わすことで、六門の大砲は敵艦の進んで行く前方を狙い、トップの射手が引金を引けば一斉に発砲され、弾丸が目標に命中する仕組みになっている。

中継所の指揮官は豊橋市出身の夏目礼次上等兵曹で、号令官という重要な配置である。号令官は全般の状況を把握して発砲させる役目であり、六門の大砲が弾薬を装填し終えた表示灯を確認し、私の操作を見届けた後、十二秒斉射でトップの射手に引金を引くよう、ブザーで合図を送るのである。

弾着時計係は、愛知郡東郷町出身の小野田善一水兵長であった。小野田さんは発射した弾丸が、いつ弾着するかをトップの砲術長にベルで知らせる役目である。距離一万メートルの目標に弾丸が届くには三十秒位かかる。十二秒毎に発射していれば、空中を飛んでいる弾丸は三回分もあり、いま弾着したのは何時発射したのか分からなくなるため、小野田さんが伝声管に口を当てトップの砲術長に、

「初弾、用意、弾着」

「高め修正弾、用意、弾着」

「下げ苗頭修正弾、用意、弾着」

と、知らせるのであった。

弾着時計はレコードプレヤーを簡単にしたもので、発砲すると回転盤に自動的に記され、距離時間による弾着点まで回ったときが弾着したときである。

中継所の伝令は、広島市出身の高橋俊博水兵長だ。高橋さんは電話機で各砲との連絡をとる役目である。このように中継所での配置は、号令官、弾着時計、伝令、距離苗頭修正手の四人だけだが、それぞれ重要な仕事を受け持っているのだ。

中継所は艦橋の真下にあたる艦の中心部にある。狭い部屋の中央に一メートル四方の箱形になっている射撃盤があって、これに向かって四人は配置に就く。戦闘になれば外の様子は全く分からない。トップに居る伝令の村山一水から、伝声管を通して知らされるのが唯一の情報であった。しかしトップには先任将校の砲術長がいる、むやみにトップと話すわけにはいかないのだ。そのため、トップの村山さんと同年兵の小野田さんが、戦闘の合間に伝声管のラッパに口を当て、小さい声で、

「おい村山、今どうなっているんだ」

と、砲術長に知れないよう外の様子を聞くのであった。

 

第十七駆逐隊の各艦は、訓練と警戒配備を続け、輸送船団と共に之字運動をしながら、南太平洋を何処までも前進するのであった。