わが青春の追憶
破局への戦い

空と海の間に

駆逐艦の行動は、戦艦や航空母艦を主力とした艦隊編成による行動もあるが、これは大きな作戦計画の場合に限られている。戦艦や航空母艦が休んでいる時でも、駆逐艦は雑用が多いのである。輸送船の護衛をやったり、駆逐艦自身が輸送任務についたり、ときには単艦で、湾口警戒、索敵、掃海や他の作戦の応援といったように、駆逐艦は水雷戦隊に編成されながらも、実際は大本営や連合艦隊の雑用を仰せつかった小間使いであった。

そんな訳だから、「磯風」だけの単独航海が時々あって、ラバウルからシンガポールまで行ったり、トラック島やパラオ島、ボルネオのタラカン、ブルネイの他、南洋の各島々など、日本軍の居る南方の要所にはほとんど行った記憶である。

だが、何の目的で何をするために危険な航海を行ったのか、下級兵士の私には分からなかった。ただ、この南方での航海中に見た出来事や、兵員たちの気持ちを伝えておきたいため、航海中の様子をまとめて記すこととする。

 

駆逐艦の燃料は重油である。この重油を三基の缶で焚き、発生した蒸気の圧力によって二つのスクリューを回転させて航行する。その他にも、海水を飲料水に変えたり、烹炊所の燃料や発電機を回すのも重油が燃料である。

この大切なエネルギーである重油の搭載量は、「磯風」の場合六百トンが満タンであると聞いていた。そして満タンで航海すれば、経済速力の十二ノットなら一か月昼夜連続走航することができる。しかし、第五戦速(全速力)三十七ノットで疾走したときは、一昼夜で燃料タンクは空になってしまう。だから駆逐艦は息切れが早く、スピードはあるが長距離選手ではないのである。

ショートランドブインからラバウルに行き、続いてトラック島に向かい、燃料の補給を受けずにシンガポールまで行けば、駆逐艦としては長距離航海である。

平常時の航海であれば十分余裕をもった燃料であっても、一度敵機の空襲を受けるか潜水艦にでも出会えば、たとえ三十分間の全速力でも燃料は急激に減ってしまう。さらに目的地に到着しても、重油船がいなくては補給を受けることができず、そのまま次の目的地に向かうこともある。駆逐艦が単艦で航海している時、最も心配になるのは重油だ。

南海の大海原を「磯風」だけで航海することもたびたびあった。

出港して一週間ほどはなんの変化もない。一隻だけの駆逐艦には、敵艦隊の襲撃も無ければ空襲もほとんど無い。ただ潜水艦を警戒していればよい。時々出会うスコールをできるだけ有効に利用できるよう、航海長が艦の行動に気を利かせることもあるほどで、単独行動は気ままな航海だと喜んでいても、十日を過ぎるとそろそろ変化が表れてくる。

まず食べ物が変わる。最初のうちは生鮮な魚や野菜が食卓に出ていたが、やがて芋類と少量の肉になり、日が経つに従って臭い肉となる。それからは大根切り干しに魚の缶詰、それもだんだんと少量になってくる。

十五日を過ぎる頃になると、芋類も缶詰も無くなり、最後の食料は干し菜である。干し菜の煮物が続くと、そろそろ心配になるのが重油であった。

「また干し菜の煮付けか、これでも栄養はあるのか、ただ腹を膨らませるだけだろう」

「文句を言うな、食えるだけましよ。それよりも重油のほうは大丈夫か、もう二十日も経っているぞ」

「機関科の兵隊に聞いたんだが、もう四、五日はもつそうだ。しかし敵さんに出会ったら、一時間で終わると言ってたぜ」

「まだ陸地の影も見えないが、何処へ行くつもりだろうな」

そして二十五日間が過ぎた。艦は猛暑の海上を何処までも進んで行く、島も陸地も見当たらない。

「大根か白菜の、水分をたっぷり含んだ新鮮なやつを食いたいなあ。俺んとこの畑にはいっぱいあったが、どうにもならんか」

「俺は、ほうれん草に鰹節をかけたのがいいなあ」

「大根おろしに煮干しを、生きているうちにもう一度腹一杯食いたいな」

「おい、食い気どころではないぞ、いま機関科では重油タンクに海水を入れて、重油を浮かして使っているらしい。もう一日か、せいぜい二日で艦は立往生するぞ」

その頃になると、燃料や食料の心配だけではない、人の心まで異常なものになってしまう。

艦は出港以来、警戒配備と訓練を続けながらの航海である。乗組員の行動範囲といっても狭い艦内のことである。全長百十七メートル、幅は広い所で十メートル七十センチの内に限られている。見るものは鉄の壁、鉄の床、低い鉄の天井。操作するすべての機械器具も鉄、鉄、鉄であり、心を慰めるものは何一つない。

 

艦外に目を向けても空と海だ。初めのうちは外舷に立って水面を見ていると、いろいろな珍しいものに出会って気を紛らすことができた。

水面の波に揺られながら、くねくねと泳いでいる茶褐色の海蛇を見ることがある。長さ一メートルほど、猛毒を持っているとのことで、気持ちの悪い奴だ。イルカは二、三十頭の群れをなして、艦の舷側百メートルほど離れたところを、水面を飛び跳ねながら何処までもついて来る。

恐ろしいのは、海面に鎌のような背びれを出してスーッと泳いでいる奴だ。時々、大きな鮫が胴体を見せずに艦の付近を悠然と泳いでいるのを見る。艦が沈んだ時、こんな凄い奴がいるかと思うとゾーッと身の毛がよだってくる。その他にもフカだか鯨だか分からないが、小山のような大きな怪物が海面にザバーッと浮かび上り、アッと言う間に潜っていく様を見ることもあった。

南方の海上では竜巻によく出会う。遠くから竜巻を見ると、海面の一部が盛り上がり、そこから細く黒い柱が大空まで曲がって延び、黒雲が大空を覆っている。注意して見ると、この柱は海面を移動しているようだ。近づいて巻き込まれたら大変なことになるだろう。

こんな珍しい景色や海の生物も、初めのうちは好奇心もあって話題の種となっていたが、十日過ぎ十五日経つと、兵員たちの会話が少なくなり、やがて語気が荒くなり殺気立ってくる。ちょっとしたことが原因で口論となり、止める者がいないと、殴り合いの喧嘩にまで発展することがある。

なにしろ空と海の間で、何日も陸地を踏まず、島影一つ見えない大海原の航海である。毎日毎日波とうねりに揺られ、休養も娯楽も無い。寝ても起きても空と海だ。しかも、いつ敵と遭遇するかもしれない戦地である。緊張したままの連続は、人間にとって大変な苦痛であり、気が狂いそうだ。

女性の優しさに接することもできず、花木や山河の穏やかな自然にも触れず、大空と大海の間において、狭い鉄の空間だけに限られた行動である。さらに絶えず敵の襲撃に備えて寸刻の油断もできない。軍人として特別に教育されてきた者たちだが、この寂しさと苦しみに耐えるのは実に辛いものだ。

 

こんな心理状態になるのは下士官兵だけではない。海軍兵学校や高等商船学校を卒業した海軍少尉や中尉たちも大変な間違いをすることがある。

航海術に詳しい知識のない私にはよく分からないが、艦橋で見張りについていた時のことである。艦長や副長から酷い言葉で怒鳴られている若い士官があった、どうやら本艦の位置を間違ったために叱られているらしい。本艦が今何処に居るのか分からなくては大変なことになってしまう。こうなると日頃威厳をもっている少尉や兵曹長であっても、私たち新兵と同様さんざん罵倒されたうえ、三、四発ビンタをやられる。常に威張っている士官たちでも、叱られる時は新兵と同じで、一言の弁解も許されない。

さらにその後が大変であった。大海原のど真ん中に居て自分の位置を確かめるには、昼間なら太陽を、夜間には星座を、六分儀という器具で測定するのであるが、こんな時にはたいてい天候が悪く、曇り空のため太陽も星も測ることができない。

六分儀を使用することができないからと、腕をこまぬいているわけにはいかない。士官たちは海図に向かって定規とコンパスで計算するのだが、簡単なものではないらしく、怒鳴られながら右往左往している。私たちはこれを見ないようにして、この後、我々に降りかかってくるトバッチリを警戒しなくてはならないのだ。 

「艦の位置を見失ったそうだ。これではいつ陸地に着くのか分からんぞ」

「重油はどうなっているんだ。明日から竿を差して行けとは言わんだろうな」

出港から既に一か月になろうとしている。行けども行けども海また海だ、島影一つ見当たらない。

地球上はすべて海と化し、陸地は無くなったと思われる。さらに日が経つに従って、人類として生存しているのは、我々「磯風」乗組員だけではないかと疑うようになってくる。

干し菜の量が減ってきた。敵の襲撃と燃料を気にしながら、一日、また一日と、いらいら気分が重なると、自然に夜の整列が頻繁になり、しかも気合いの入れ方が残酷になってくる。新兵はどんな場合でも、上官たちの不満の吐け口となるのであった。