わが青春の追憶
破局への戦い

落日の南太平洋

昭和十八年十月初め、第十七駆逐隊の「浦風」「谷風」「磯風」「浜風」は、ラバウルに集結していたが、一斉に錨を揚げてショートランド・ブインに向かった。この頃になると、外南洋方面の各前線基地は敵連合軍の猛反撃を受け、日本軍は撤退を余儀なくされ、玉砕するところも出てきたとの噂を聞いた。さらに、駆逐艦の被害が激増し、昨日は二隻大破、今日は一隻沈没と、我が軍の悲しい情報が流れた。

ブインに集合した水雷戦隊は、再びベララベラ島への撤退作戦に出発したのである。これが第二次ベララベラ海戦といって、敵駆逐艦隊と激しい砲撃戦雷撃戦を行ったが、私は中継所に居り、しかも夜間の戦闘であったため詳しい戦況を記憶していない。 

十一月になって、ニューアイルランド島のキャビエンという港から次の作戦のため出港した時、港の出口で機雷に触れ「磯風」は被爆してしまった。

その時、私は艦橋に上がるため外側の鉄梯子を昇っていた。突然の強い衝撃に振り落とされ、上甲板に叩きつけられたが、幸い怪我はなかった。

被害は後部機械室の外舷が破れて浸水し、電気補機が使用不能となった。そのため一旦呉に帰り、十二月末まで修理にかかってしまった。

この被爆で、班長の皆本兵曹が怪我をして、海軍病院に入院したので見舞いに行った記憶である。

この間に私は水兵長に進級したが、班員の異動更新はなかった。進級したといってもオチョーチンになっただけで、善行章がついたわけではなく、部下が増員されたものではないので、相変わらず食卓番に甲板掃除、上官の身の回りの世話と、私はいつまでたっても新兵の務めを続けるのであった。四班の若い兵といえば、一年後輩で岐阜市出身の浅井上水ただ一人で、気の毒に思う。

 

昭和十九年一月、「磯風」は修理を終えて再びラバウルに出撃した。ラバウル湾に集結した戦艦、航空母艦、巡洋艦など大艦隊は、突然、一斉に錨を揚げて出動したのである。これは大きな海戦が起きるぞと思っていたところ、トラック島に移動しただけであった。このトラック島にも長く留まらず、艦隊はシンガポールの近くにあるリンガ泊地に移ってしまった。

この頃の十七駆逐隊は、戦艦「大和」「武蔵」を基幹とする大部隊の編成に加わり、雑役夫ではなかった。

後で知ったのであるが、大艦隊がラバウルを出てトラック島に行った直後、ラバウルは大空襲を受けて、陸上施設や残留艦船に大きな被害があったそうである。さらに、トラック島からリンガ泊地に去った後も、トラック島は敵航空機の大編隊に襲われ、小さな島は爆撃でメチャメチャになったとの情報であった。

我が連合艦隊の去った後、後、と敵は猛攻撃をしてきたのだ。現地に残っていた者は私たちを恨んだことだろう。申し訳ないような、私たちの運が良かったような気がした。

とにかく勇壮な戦艦やスマートな巡洋艦などと共に、作戦行動をすることになったのである。

敵連合軍の進行によって、今まで連合艦隊の前線基地であったラバウル、トラック、さらにタラカン、ブルネイまでも危険区域となってしまったのだ。そのため我が軍はシンガポール沖のリンガ泊地に後退してしまったのである。

その頃「磯風」は、戦艦や航空母艦の護衛艦として各作戦に参加していたが、大きな海戦の一つに『あ号作戦』またの名を 『マリアナ沖海戦』という、空と海の一大決戦が行われたので、この戦いの様子を記しておこう。

 

リンガ泊地は、ソロモン群島のように地球を半周も回った遠い所ではなく、内地との往復も簡単にできる場所だと思うだけで身近な感じがする。暑さもラバウルなどより暮らしやすいと思った。

「このたび本艦は、航空母艦「大鳳」の直衛艦になったそうだが、何処へ行くのかなあ」

「『大鳳』は最新鋭の航空母艦として、『赤城』『加賀』よりも大きく優秀な艦だ。飛行機も九十機以上搭載できるそうだ。だからアメリカさんの大艦隊がお出ましになるのを待っているのさ」

「優秀な搭乗員は、ミッドウェー海戦で失ってしまったから、この頃は負け戦になっていたが、今度は予科連の教員たちを集めて、この大鳳に乗せているらしい。ここらで挽回してくれよ」

兵員たちの噂によると、航空母艦「大鳳」は世界一の軍艦だ。それに優秀なパイロットを乗せて、戦況好転のためにリンガ泊地で待機しているのだ。その護衛艦に十七駆逐隊が選ばれたとのことである。

しかし、大艦隊はなかなか出撃する気配を見せない。

リンガ泊地に待機しているのは、航空母艦「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を機動部隊の主陣として、戦艦「大和」「武蔵」を始め巡洋艦、水雷戦隊の精鋭である。

艦長や砲術長、水雷長たちは毎日のように、作戦の打ち合わせであろうか、内火艇に乗って出かけて行く。敵の動向が分かるのであろうか。

昭和十九年六月、敵の大艦隊を哨戒機がキャッチしたとのことで、各艦は一斉に錨を揚げて出動した。空母、戦艦を中心に、巡洋艦、駆逐艦は前後左右を護る隊列で堂々と進撃を始めたのである。

「磯風」は「大鳳」の直衛艦として、「大鳳」の左前方を進んだ。

空は雲が多く風が強くなってきた。蒸し暑かった上甲板を潮風が心地よく吹き抜ける。

機動艦隊は十八ノットの強速で、之字運動を行わず真っ直ぐに驀進している。戦況を一挙に挽回して攻勢に転じようと、戦力を整えて待っていたが、いよいよその時がきたのである。

第二警戒配備での航行である。「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」たちは、大きな図体にもかかわらず波を蹴立てて勢いよく進んでいる。飛行甲板には零式戦闘機のほか、新型機の局地戦闘機「紫電」「雷電」、艦上戦闘機「天山」などが待機している。ふと、私もかつては飛行機の搭乗員になるつもりでいたことを思い出し、もしかしたら飛行予科練習生を終えて、今頃「大鳳」に乗っていたかも知れないなどと、想いが駆け巡る。

曇り空に夕闇が迫り、夜光虫の光の尾を引いて艦隊は進撃を続ける。戦艦「大和」の艦橋からチカチカと小さな光が見える、発光信号で交信しているのだ。風が強く当たりだした、しぶきが上り、夜が更けるに従って寒くなった。

緊張した夜が明け、母艦の飛行甲板ではエンジンの始動を始めたのか、銀翼がキラッと光り爆音が響く。本日は天気晴朗なれど少し風が強い。戦艦「大和」を正面から見ると、巨大なタライの上にビルを乗せたような格好である。こんなでかい奴が、波を蹴散らして大洋を突っ走るのが不思議だ。

その日は何事もなく進撃を続け、再び暗い夜を迎えた。敵側の状況はどうなっているのか、私たち兵員には何も知らされない。

真夜中頃、本艦だけ隊列から離れて、後方を同行している油槽船から重油の補給を受けることになった。作戦行動中であるから当然曳航補給である。暗闇の海上を、灯りなしでのワイヤー作業は危険だが、これで腹いっばい燃料を積むことができるのだ。息切れの早い駆逐艦は、交代で後方の油槽船から重油を搭載するのである。

曳航補給は灯火管制下の中を、本隊に遅れないよう航行しながら索をとり送油パイプを繋いで補給するのである。ワイヤー作業中一つ間違うと海中に引きずり込まれたり、ワイヤーに足を払われて大怪我をする。勿論灯りは厳禁で、暗闇の中で確実敏速な動作がが要求されるのであった。

曳航補給を無事に終わり、元の編隊に急いで戻った。ほっとして兵員室に入ると、

「おい、敵の機動部隊が現れたらしいぞ、空母、戦艦を含む大編隊のようだ」

「いよいよ最後の時がきたか。皆いいか、越中褌を新しいのに替えておけよ」

「そう言えば鼠の姿が見えんな。本艦もこれで御陀仏になるのか、最後になにか美味い物でも食わせろよ」

この声が聞こえたのか、まもなく夜食が出た。しかもゼンザイであった。美味かった。食べ物だけで兵員の士気を鼓舞することができるのだから、今思えば安いものである。

「配置につけ」

とうとう来るべき時が来た。落ち着いて中継所に入り、防水扉をしっかり閉めた。

「一番よし、二番よし、三番よし、各砲配置よし」

伝令の高橋さんは、いつもより一段と気合いの入った号令だ。

 

「全員に告ぐ、米国太平洋艦隊の大編隊がマリアナ群島方面に押し寄せて来た。我が連合艦隊は全力を挙げてこれを撃滅せんとす。帝国海軍の伝統と威信にかけて必勝を期すため、連合艦隊司令長官豊田副武海軍大将から、全軍に対して訓示をいただいたから知らせる。『皇国の興廃はこの一戦にあり、各員一層奮励努力せよ。ミッドウェー海戦以来の屈辱を晴らすのはこの時である。敵艦隊撃滅のため、これから必殺をもって全軍突撃を敢行する。各員の奮戦と武運を祈る』終わり」

前田実穂艦長から、決戦前の訓示であった。

汽缶の響きが一段と高まり速力を増した。第三戦速、三十ノットの高速で艦は暗い海上を驀進している。中継所内は緊張したまま三十分ほど過ぎた。

「間もなく夜が明ける。今から攻撃機は母艦を発進する。敵の襲撃に備えて、水上戦闘、対空戦闘、両面の戦闘用意をせよ」

夏目兵曹以下無言のまま、次の号令に神経を集中して待っていたが、それっきりトップからの指令が途切れた。小野田さんが伝声管に口を当て、小声で、

「おい村山、今どうなっているんだ」

「うん夜が明けたぞ、母艦の飛行機が重そうに飛び立っている。本日天気快晴なれど波高しだ」

「敵は近くに居るのか、俺たちは何処に向かっているんだ」

「馬鹿もん、そんなこと俺に分かるか」

村山さんはそれっきり黙りこんだ。

今度は砲術長が叫んだ。

「旗艦『大鳳』の艦橋にZ旗一流、皇国の興廃はこの一戦にあり、各員一層奮励努力せよ。日本海海戦の東郷元帥以来二度目のZ旗が揚がった。皆の奮闘を期待する」

敵艦隊の様子は知らされないが、よほどの大部隊らしい。艦上攻撃機が母艦を発進して一時間が過ぎた、戦況はどうなっているのだろう。少し風が出たようだ。 

突然、

「敵大編隊機発見。対空戦闘、右砲戦」

「敵機は百機以上いる、各砲頑張ってくれ」

第五戦速三十七ノット、前進いっぱいである。射撃盤の手輪をしっかりと握り締め、砲術長からの命令に全神経を集中する。五秒、十秒、

「撃ち方始め」

各砲の発射準備完了ランプが一斉に点灯した。発射ブザー、初弾発射。

「急げ」

十秒斉射間隔で連続射撃となった。本艦は右に左に急旋回をして、敵機の攻撃をかわしながら全速力で突っ走る。

ドドーッ、

至近弾の振動が不気味だ。敵機は入れ替わり立ち替わり次々と襲ってくるようだ。方向を変えては矢継ぎ早い射撃が続く。砲身は焼けないだろうか。

「撃ち方待て、味方の戦闘機と空中戦が行われている」

我が軍の航空母艦から飛び立った戦闘機と、空中戦が始まったのだ。これでは大砲も機銃も撃つことはできない。

「俺、ちょっと見てくる」

出入口の近くに居た小野田さんは、防水扉を開けて出て行った。

海軍航空隊得意の空中戦だ、もう大丈夫だろう。助かった。

「柴田、お前も見たいだろう、行ってこい」

舷門に出て大空を見上げた。さんさんと輝く太陽が明るく、瞼が痛いほど眩しい。何処で空中戦が行われているのか、爆音だけが空いっぱいに響いている。少し目が慣れてきた。竹トンボくらい小さく見えていた飛行機が、縦横無尽に入り乱れている。

「アッ、やった」

一機、火を噴いて落ちていく。皆思わず拍手を送った。が、やられたのは敵か味方か判然としない。次の一機は黒煙の尾を引きながらも、なお勇敢に闘っている、そして力尽きて海面に突っ込んでいった。敵が優勢なのか味方が勝っているのか、空中戦の状況は全く分からない。

突然、バーン、と空中爆発、機体がバラバラになって落ちていく。落下傘で逃れる者はいない。海中へ落ちた者は即死であろう。塔乗機がやられた時は絶対に助かりっこない。憧れの搭乗員も戦場では悲壮なものであった。

何時までも見物しているわけにはいかない。中継所に戻って待機した。

辺りが静かになったところをみると、空中戦は終わったようだが、結果は知らされないまま警戒体制が続いた。

「空母にはまだ飛行機が残っているだろうか」

「今の戦闘で全滅しちまったなんてのは困る」

「こちらの攻撃機が敵の主力を撃滅しておればよいが、これ以上空襲されれば危ないぞ」

今回の『あ号作戦』は、帝国海軍の運命を賭けた決戦と聞くが、これでも大丈夫だろうか。なんだか不安になってきた。

無言のまま一時間が過ぎようとしている。疲れてうつらうつらと眠ってしまった。その時、

「敵機発見、敵艦載機第二波、百機以上来襲、対空戦闘」

射撃盤の電源スイッチを入れた。零戦、紫電、雷電、早く発進してくれ。敵機を撃ち落としてくれ。

再び対空射撃が開始された。激しい砲撃と機銃射撃だ。我が艦上攻撃機はどうなったのだろう。先程の空中戦で全滅したのか。砲撃は続く。敵機の攻撃はますます激しくなり、至近弾の爆発が不気味に響く。

「撃ち方待て。空母『翔鶴』がやられた。『大鳳』と『飛鷹』が集中攻撃を受けている」

敵機の大軍が我が航空母艦を集中して襲っているのだ。まだ母艦の格納庫には飛行機が残っているだろうが、早く飛び立つことはできないのか。

また砲撃が始まった。敵艦載機は執拗にいつまでも襲ってくる。大砲も機銃も連続射撃のため、砲身は焼けているだろう。

「撃ち方待て」

ようやく敵機は引き上げたようだ。射撃が止まり静かになった。長かった対空戦闘も一息つけそうだ。

「空母『大鳳』が炎上している。今から『大鳳』乗組員を救助する。水兵員は全員上甲板」

上甲板に出て、辺りを見回して驚いた。「飛鷹」と「翔鶴」は水平線上で黒煙を上げて大空を黒く覆っていた。近くのあちらこちらの海上には、物凄い炎を吹き上げ、半分沈みかけた巡洋艦や駆逐艦がいた。マストが折れ、旗が風に吹かれて流れている。艦橋は傾き砲身が上を向いたまま止まっている。炎がぱっと広がり、次々と爆発が続き、近づくこともできない。

悲惨な状況である。既に沈没した艦がいたのか、海面を黒く染めた所があった。重油が流失したのだ。この油の流れている海面に、木材や空缶などが浮かんでいる。この浮遊物に捕まって泳いでいる人影が見えた。助けてくれの声は聞こえないが片手を上げて振っている。早くあの人たちを助けなきぁ。

「『大鳳』に横付けする、繋用意」

無情にも、波間で手を振っている漂流者を見捨てて艦は走り去った。

前方に航空母艦「大鳳」が波に漂い、大火災を起こしていた。大型空母の前部が物凄い勢いで燃えている。真っ赤な炎が吹き出し、黒煙は大空を埋めていた。その炎の中で、ダダーンと爆発が起こり、手の付けようもない始末だ。おそらく艦載機搭載用の爆弾か魚雷が過熱して、爆発を起こしているのだろう。

爆発するたびに、大きな鉄の破片が飛び散っている。横付けしようにも危険で近寄ることができない。

「大鳳」の兵員たちは、後部の飛行甲板や中甲板に集まって来た。誰もが悲壮な顔つきである。

「横付けはやめる、艦尾に接続させるから繋をとって板を渡せ」

急いで繋綱と板を用意して、前甲板で待機した。「大鳳」の爆発はますます激しくなり、逃げ場を求めて兵員たちは艦尾に集まって来たが、ここにも炎が迫っている。早く助けないと危ない。「大鳳」の艦尾が近付いたが、艦尾と艦尾の接触は非常に危険である。しかし、私たちは今戦場で闘っている軍人である。やれと命令されれば、どんなことでもやらなければならないのだ。

「大鳳」も本艦も、うねりのため絶えず艦は上下している。こちらが上がれば、向こうは下がる、その差は三メートルにもなる。ちょっとでも艦が触れれば、本艦の薄い鉄板など訳なく破れてしまうだろう。

繋綱を投げてロープを渡した。「大鳳」の兵員がロープを受け取ると夢中で双係柱に止める。ジリッ、ジリッとロープを絞る。艦が徐々に近付いて来る。十メーター、五メーター、三メーター、ストップ。板を渡したが、艦が上下するたびに板が滑る。

「おい、この上を渡って来い」

艦の上下が激しくて渡る者はいない。板が水平になろうとした時、

「今だ、早く渡って来い、早く」

下士官が一人狭い板の上を走って来た。途中で重心を失いかけたが、こちらから引っ張り込んでやった。次は三人同時に渡って来た。次々と五十人ほど本艦に乗り移った。「大鳳」の艦尾に集まっていた兵員を全員救助したと思っていたところ、煙の中から一団の兵員が現れた。

「大鳳」の火災はますます激しくなり、艦尾の近くまで炎が襲ってきた。爆発も次第に広がり、本艦の甲板に破片が飛んで来るようになった。危険だ。

「繋を解け、艦を離す。「大鳳」の兵隊は海に飛び込むように伝えろ」

艦橋からの指示に従って、繋を解いて「大鳳」の艦尾から離れた。

「オーイ、「大鳳」の乗組員、全員海に飛び込め」

本艦が前進しだした。「大鳳」の中央部で一段と大きな爆発があった。艦首は既に沈みかけていた。艦尾に集まってきた兵員たちは、逃げ場を失って次々と外舷から海に飛び込み始めた。高い外舷からドボン、ドボン、と波の中へ落ちて行く。遠くから眺めると、小さな豆粒が溢れて落ちているようだ。

大勢の人たちが、炎上している「大鳳」の付近の海面に浮かんでいる。溺れた者も何人かいるだろう。怪我をして動けない人もいるだろう。

「おーい、艦から早く離れろ、沈没するぞ。早く離れろ、巻き込まれるぞ」

聞こえないのは承知だが、つい大声が出てしまう。

「大鳳」が艦首から沈み始めた。飛行甲板に波が打ち上げ、艦尾がだんだんと高くなっていく。まだ兵員が艦内に残っているようだ。海に飛び込む者が続いている。高くなるほど飛び込みにくい。炎が波間に音を立てて沈んでいく。

何をしている、早く飛び込むんだ。早く離れろ、艦が沈むぞ、早く早く。見ていて気が気でない。

海面を泳いでいた者が近づいた。

「総員、救助用意」

舷側から綱梯子や外舷索を下ろした。さらに吊床の中の毛布を取り出して、空の吊床を吊り下げて用意した。

「『大鳳』が沈むぞ」

「『大鳳』の艦橋にまだ誰か居るぞ、自分の体に綱を巻き付けている。『大鳳』の艦長です」

艦橋の見張員からの叫ぶ声が聞こえた。

航空母艦「大鳳」の巨体が艦首から沈んでいく。飛行甲板が大きく傾斜する。艦長を縛っている艦橋が海中に消えた。艦尾が垂直に立ったかと思うと、スーッと波間に沈んでいった。

「空母『大鳳』の最後に敬礼」

今まで大空を焦がしていた炎も黒煙も途切れ、跡には浮遊物が漂っているだけであった。水漬く屍と消え去った新鋭空母「大鳳」、ご苦労さまでした。大勢の将兵が艦と運命を共にしたことであろう。安らかな冥福を祈るのも心の内。

 

「急いで救助しろ」

波間に漂っている人たちの中に本艦が停止した。

綱梯子を登ってくる者、外舷索に捕まったまま登る気力のない者、吊床に体を横たえて上から引き上げられる者、なかには他人を押し分け退けて、梯子に捕まっている者の肩や頭を足蹴にして上がってくる者、誰もが必死であった。

人間、生きるか死ぬかの瀬戸際の時は、厳格な軍規も階級も身分も先輩も無い。人を掻き分け押し退けて、真っ先に自分が助かりたい一心の動作のみである。

突然、ドドド、ズッシーン、

海底からの物凄い振動と同時に、海面一体にひび割れが起きた。沈没した「大鳳」が大爆発を起こしたのであった。ボイラーに冷たい海水が侵入したのであろうか、それとも爆弾か魚雷が誘爆したのかも知れない。軍艦が沈没した時には必ずといってよいほど、この海底の大爆発を体験してきたのである。

「怪我をしている者は、後部兵員室へ連れて行け」

「救助作業を早くしろ、近くに敵潜水艦がいる、いつ襲って来るかもしれないぞ」

軍艦が爆発炎上して沈没した後には、海上に逃れた兵員が浮遊物に混じって浮かんでいるが、怪我をしている者が多い。特に顔とか手に火傷をしている者が多かった。

綱梯子や外舷索をよじ登って、上甲板の縁に手を掛けて上がろうとするのだが、疲れているから上がる力がない。私たちが上から引き上げてやろうと手首を握ると火傷でただれている手の皮膚がツルリと剥げて、握った手から離れ、

「ひいー」

悲鳴とともに落下、ドボーンと海中へ。再び浮かんでくることはない。

あちらでもこちらでも悲鳴が聞こえて、海の中へ落ちていく。そしてそのまま力尽きてしまい、二度と海面には現れてこなかった。

「おーい、火傷をしている者は吊床に入れ」

遠くの波間には、まだ浮遊物に捕まって手を振っている者が十人ほど居る。本艦まで泳ぐ気力もないのか浮遊物から離れる様子はない、なんとか救うことはできないものか。

艦が動きだした。まだ遠くの海上には三人、五人の組が浮かんでいる。艦は速力を増して進み出した。戦争とは実に無情なものだ。

三人、五人と浮かんでいる者に近づいたが、艦を止めることはできないようだ。こちらを向いて手を上げている、見るに耐えない残酷な行動だ。艦に積んであった材木や板などを投げてやったが、こちらを見ている顔が悲壮であった。

「攻撃機が帰って来たぞ」

敵艦隊を攻撃に行っていた友軍機が、二機、三機と疲れた様子で戻ってきた。しかし着艦する空母は三隻とも姿は無い。実に気の毒な光景である。

敵艦隊や航空機との激戦で多くの友軍機を失い、やっと味方軍団まで帰って来ても、戻る家は既に無いのだ。艦載機が着艦する母艦が無いということは死につながるのである。華やかな搭乗員の運命もまことに悲惨なものであった。

我が艦隊の上空を何回となく飛び回っていた友軍機は、ついに燃料が尽きたのか、覚悟を決めたように海面に突入しだした。艦載機は海上を滑走することはできない。静かに降りてきても波に激突するのであった。運良く生きていても大怪我をすることであろう。その上救助されるかどうか分からないのである。

帝国海軍の連合艦隊が運命を賭けた『あ号作戦』は、惨憺たる結果であった。

 

マリアナ海域に夕暮れが迫ってきた。海上には、敵の猛攻撃を受けて、今だに炎上して大空を焦がしている巡洋艦や駆逐艦が数隻いた。沈没した艦艇の乗組員たちが、重油の流れている海面に、浮遊物に捕まって助けを求めている。友軍の飛行機は降り場を失って、次々と波間に落ちて行く。本艦も健在とはいっても救助した兵員が上甲板までいっぱいだ。しかも怪我人が多い、見るに耐えない無残で壮絶な情景であった。

これが戦争の実態である。島影一つ見当たらない大海原の真っただ中で、海面に浮かび手を上げながら必死で叫んでいる兵隊。助けを求められても救助することもできず、ただハラハラしているだけだ。薄暗くなった大空では、友軍機が戦闘から帰還しても降りる母艦はおらず、燃料が切れても策はない。僚艦が爆発炎上していても手の施しようもない。危険な状態は士官であろうと下士官兵であろうと区別はない。戦死する者、怪我をして苦しむ者、助けを求める者、必死で戦闘を続けている者、生と死の境は紙一重である。

前線で戦っている将兵は、どんなに悪い状況であっても、他人のせいにして恨みや愚痴を言う者はいない。誰もが祖国のために、純真な気持ちで必死に働いてきたのだ。

夜の訪れとともに、艦隊は悲惨な戦場海域を後にして進みだした。兵員室は救助者で満員である。上甲板にも溢れていた。

火傷をした者たちが軍医の治療を受けて狭い通路を歩いて来た。頭と顔に包帯を巻いて、首から上が夜目にも白く浮き上がって見える。しかも、目、鼻、口の部分は包帯が切り取られて穴が目立ち、異様な姿である。その上両手にも包帯が巻かれ、火傷でむけた薄皮が三十センチほど手の先にだらりと垂れ下がっている。この姿で暗い通路をゆっくりと、両手を前に、探りながら近寄って来た。「アッ!」まさに幽霊だ。声は出さなかったが、瞬間、今日の戦闘で戦死を遂げ、海底で苦しんでいる兵士の亡霊が現れたものと思えた。

そして、戦死された方々のご冥福を祈りながら、戦場を後にした。

 

我が戦艦「大和」「武蔵」は健在であったが、帝国海軍自慢の新鋭空母三隻を失い、虎の子の飛行機と搭乗員を全滅させてしまった。水上艦艇も何隻か失い、機動部隊は無残な姿でリンガ泊地に引き揚げたのであった。

これでソロモン海域だけでなく、南太平洋全域が敵の制空権及び制海権域となってしまったのだ。危険な波がひしひしと押し寄せ、不安な気持ちを募らせるのであった。