わが青春の追憶
破局への戦い

善行章はついたれど

この『あ号作戦』中に、私たち同年兵は待望の善行章が右腕に一本付いた。つまり、海軍生活が満三年に達し、一人前の水兵として認められるのだ。しかし、これがまた大変な儀式を受けなければならないのである。

明日は善行章が付くという日の夜、果たして役割から整列がかかった。

「今晩集まってもらったのは他でもない。貴様たちはこの頃たるんどる。しばらく新兵が乗って来ないから兵隊が少なくなった。だからといって貴様たちが横着をしてよいというものではない。古参面をしていると承知しないからそのつもりでおれ。明日は善行章の付く者がいる。これからはその者たちに気合いを入れてもらうことになる」

「明日善行章の付く者は別に整列」

私たち十六志前期の者だけ別に整列させられ、他の兵たちはビンタを叩かれて解散した。次は私たちだ。

「お前らは明日善行章が付いて一人前になるのだ。明日からはもう殴れない。今から殴り納めをやるから有難く思え」

既に覚悟はできていた。海軍に入って三年間、毎日まいにち戦々恐々として怯えてきたが、これが最後の制裁だと、どんなに痛くとも、また苦しくとも耐える気であった。

「一人ずつ前に出ろ」

ストッパーが用意されていた。

「いつもとは違うぞ。気合いを入れて歯を食いしばれ。よいか、それっ」

バシッ、バシッ、と太い麻綱が唸りをたてて尻にぶち当たった。体が前にのめりそうになるのをぐっと堪えている。

「うーん」

三、四、五、凄い響きと、ストッパーの唸る音は続く。

十一、十二、殴る者も殴られる者もふらふらしだした。何回やられたのか分からなかったが、気絶するまで徹底的に殴られたようだ。

「よし、次だ」

次は私が前に出た。両手を高く上げ、足を開いて踏ん張り、腹に力を入れてかまえた。

殴る者が交代した。

「いくぞ」

バシッ、

海水に漬けてあった麻綱は、鋼鉄のように固くなっていた。この固い綱が音をたてて尻にぶち当たり、綱の先端がぐるっと曲がって右腰に食い込んだ。ウーン、声を出さないようにグッと堪える。痛い、苦しい、腰全体が痺れだした。

八、九、十、意識が朦朧としてきた。立っているのか座っているのか、腰から下の感覚は全く無い。でも嬉しかった。これが最後だ、これで新兵を卒業できるのだ、頑張ろう。ああ、

「よし、次来い」

かすかに聞こえた。終わったのだ。ついに卒業したぞ、頑張ったぞ。

歩けたのか這ったのか覚えはないが、とにかく嬉しい。進級したときよりも比較にならないほど嬉しい。これで私も一人前の兵隊になれたのだ。

「皆終わったな、お前たちは三年間よく辛抱し頑張った。明日からは一人前の水兵だ。若い兵隊たちの面倒を見てやってくれ、ご苦労であった。別れ」

やっと終わった。苦しかった三年間が終わったのだ。長く辛く苦しかった三年であった。

歩こうとしたが体が痺れて動けない。腰は火がついたように熱い。足を動かそうと思っても自由にはならない。立っているだけで痛く苦しい。

「おい、よかったな」

十六志同年兵の、朝見、三浦、中本、広田など集まって、痛いのをこらえて喜び合ったのである。

帝国海軍軍人として、男らしいスマートな水兵に憧れてきたこの世界は、軍規という名のもとに、団結力と不屈の精神を養う方法として、厳しい残酷な制裁が繰り返されてきたのだ。多くの先輩たちも、この道を通って一人前に育ち、どんな苦難にも負けない立派な海軍軍人になっているのだ。そのためには止むを得ないものと、恨む気持ちを押し殺すのであった。

翌朝、夏目兵曹、野田兵曹、日比兵曹、佐藤兵曹、高橋さん、小野田さんたちから、

「柴田、善行章が付いたんか、よかったな」

先輩たちも喜んでくれたのである。特に電路長の野田兵曹は、以前に探照灯係だった頃の班長であり、また名古屋出身であったため、暖かく目にかけて下さっていただけに喜んでくれた。

今まで叱ったり殴ったりしてきた人達も、本当は心の優しい善い方達であった。軍隊という男の社会では、厳しい教育の必要性がよく分かった。特に若い私たちには。

 

では、善行章が付いたから日常生活が変わったかというと、特別大きな変化はないのである。

砲術科幹部の四班には兵が四人いるだけで、後は下士官たちだ。四人の兵のうち善行章の無い兵は浅井水兵長ただ一人のみ、真面目でよく働く人だけに気の毒だ。だから私は今まで通りの、食卓番、掃除、下士官たちの身辺の世話と、新兵と同様のことをやってやろうと思ったのである。

でも、多少は良くなってきたこともある。食事の支度は、今までのように烹炊所の入口に並んで待たなくても真っ先に烹炊所に入って食缶を持って来られるし、吊床を下ろす時も納める時も、他の班の若い兵が手伝ってくれるようになったのである。

朝の甲板掃除も、浅井水長と二人で『回れ、回れ』をやっていると、日比兵曹が他の居住区から新兵を連れて来て、

「貴様らよく見ろ、四班では善行章を付けている古参の者が甲板掃除をしているのだぞ、何とも思わんのか」

といった具合に、他の班から兵の応援を受けることもあった。

とにかく気分的に余裕ができて、楽になったことは確かである。下士官たちの談話の仲間にも入れるし、冗談を言っても殴られることは無くなった。何よりも、夜の整列がかかっても、ビクビクしながら二内火艇ダビットの下に行き罰直を受けなくてもよく、カッターに乗ってもオールの奪い合いで争う必要もない。さらに、朝の起床も「総員起こし五分前」の号令まで、吊床に入って居られるようになったのである。

 

では、何もかも楽になったかと言うと、困った面も新たに湧いてきたのである。それは、一等水兵や上等水兵がヘマをやったり、下士官たちの世話に手落ちがあったり、気が利かなかったりした時、その場に私が居たら叱らなくてはならないのだ。つまり殴らなければ善行章一本の価値が認められなくなるので、いかに厳しい態度を見せるかが、私にとっては辛いのだ。

若い兵隊たちは献身的によく働いている。これまで私がやってきたように、神経をすり減らして、あれもこれもと全力で動いている。忙し過ぎて手の回らないのも無理はないと思う。だが見過ごすことはできない。心を鬼にして拳を振り上げることもあった。

「お前たちも三年間しっかりやられたのだから、その分を取り戻せ」

と言う先輩もいたが、私はそのような気になれなかった。

待望の善行章は付いたが、私はいつまで経っても新兵である。