わが青春の追憶
破局への戦い

三号艦「信濃」

昭和十九年十一月一日、ようやく私たち同年兵は下士官に任官した。海軍二等兵曹といういかめしい肩書きがついて、水兵服に水兵帽から、金ボタンの詰め襟服に庇の付いた帽子に変わったのである。

艦長から任官辞令を受けて兵員室に入ると、

「やあ、柴田兵曹、任官おめでとう」

夏目兵曹、野田兵曹、佐藤兵曹、皆本兵曹たちが笑顔で祝福してくれた。さらに日比兵曹が手にしていた艦内帽を差し出して、

「任官のお祝いに、お前の帽子に黒線を縫い付けておいたからな」

先輩たちの気持ちが身に沁みて嬉しかった。この人たちと一緒に戦場で戦う満足感を覚えたのである。

だが、今度も進級はしたものの、若い兵隊が乗組んできたわけではないので、相変わらず食卓番に甲板掃除で『回れ、回れ』をやらなければならないのだ。しかも、夜の整列に怯えることはない反面、同年兵の朝見が役割をやっている関係で、若い兵たちに注意をしなくてはならないし、たまには殴らなくてはならず、嫌なこともあったのだ。

三班にただ一人の浅井水長が気の毒だ。一生懸命に働いていても手が回らない、どうしても見ているだけでは済まないので手を出してしまう。やっぱり私は新兵だ。

 

十一月二十日、第十七駆逐隊の「磯風」「浦風」「浜風」「雪風」は、戦艦「大和」「長門」「金剛」などを護衛して台湾から内地に向かった。

警戒航行の之字運動で、東支那海を進んで行った。十一月の海上は季節風が強くうねりが大きい。艦はローリングにピッチングと、大きく揺れながらの航海であった。

内地に向かっている時は本当に嬉しいものである。特に今度は下士官になって初めて呉の街に上陸できるのだ。敬礼ばかりしていなくても歩けるだろう。もう一度休暇で家に帰りたいなあ、家族に下士官の姿を見てもらいたい、などと想いに耽っていた。

突然、ドドドーン、ドーン。

物凄い振動と爆発音だ。

「配置につけ」

それっと、中継所に駆け込んだ。

「爆雷戦用意」

「敵潜水艦だ、「金剛」と「浦風」がやられた」

対潜水艦攻撃の爆雷戦には、私たち砲術科員に用はない。見張りを兼ねて爆雷の様子を見ることができた。

戦艦「金剛」が傾斜したまま停止していた。横腹に穴を開けられたのか黒煙が出ている。「浦風」も傾いて止まっており、白い煙が風に吹かれて海面にたなびいていた。どちらも多くの負傷者を出したことであろう。

ズッシーン、ドドーン。

駆逐艦たちが爆雷を投下しだした。速力二十ノット、本艦も同じ地点に爆雷を打ち込んでは反転して攻撃を繰り返した。見えない敵の潜水艦攻撃は、その結果がはっきりしないので頼りない戦闘である。

今までも何回となく潜水艦に爆雷攻撃をやってきたが、果たして敵潜水艦は撃沈したのかどうか分からなかった。時には重油が海面に浮かんだこともあったが、姿なき忍者の末路を見ることはできなかったのである。

「『金剛』に横付けする、繋用意」

速力を緩めて近づいていった。「金剛」は傾斜がひどく、いまにも転覆しそうだ。繋をとったら本艦まで引きずり込まれそうで危険だ。準備をしている間も「金剛」はジリ、ジリッと傾いていく。

「横付けを止めて艦を離す、全員救助用意」

戦艦「金剛」の傾斜が早くなった。「総員退艦」の命令があったのか、「金剛」の乗組員たちが一斉に海へ飛び込みだしたのである。

勇壮な姿の戦艦「金剛」が、一潜水艦の魚雷攻撃を受けて、少しずつ波間に消えて行く。威容を誇る戦艦として、その最大攻撃力である三十六糎砲の威力を発揮できずに沈没するのは実に無念なことであろう。

大勢の兵員たちが浮遊物に捕まって波にゆられている。怪我をして動けなくなっている者も、溺れた者も居たであろう。それっ、救助だ。

「磯風」乗組の者は、この戦争中何回となくこのような救助作業をやってきたのだ。手早く綱梯子、外舷索、吊床などを、艦の外舷から下ろして待機した。

戦艦「金剛」が沈む、高くいかめしい艦橋が横になり、そのままスーッと波間に消えた。

ドドーン、ヅシーン。

沈没した「金剛」が海底で爆発したのだ。そして十七駆逐隊の僚艦である「浦風」の艦影も消えていた。

「『金剛』と『浦風』に敬礼」

誰が号令したのか分からないが、上甲板に居た者は全員、沈没した海に向かって挙手の敬礼をするのであった

南無阿弥陀仏。心のうちに戦死した者たちの冥福を祈る念仏を唱えて、救助作業にかかった。

怪我をしている者、火傷をして皮膚がただれた者が多く居た。居住区と上甲板はにわかに大騒ぎとなった。軍医と看護兵は必死に負傷者の手当てに当たっている。

救助作業が終わった本艦は、「金剛」の兵士たちでいっぱいになっていた。艦は速力を上げて内地に向かって進んだ。「浦風」の救助は他の駆逐艦が行ったようだ。

軍艦が沈没すると、多くの兵員は艦から脱出できず、艦と運命を共にするのであった。一部の者が海に逃れたとしても、味方の艦船が付近に居れば助けてもらえるが、いや、付近に居たとしても戦闘中であったり、敵潜水艦の危険を感じた時は救助してくれない。たとえ水泳に自信はあっても、太平洋という大海原の真っただ中では、絶対に助かりっこない。涙を飲んで死んでいった人たちが大勢あったと思う。私たち海軍軍人の戦争における末路は、このような残酷な死に方をする運命にあったのだ。

怪我をした人たちの苦しむうめき声に悩まされた一夜がやっと明けた。本日も雲の多い風の強い日である。敵潜水艦がまだ何処かで狙っているかもしれない。

「救助した者のうち、昨夜四人も死んだそうだ」

「せっかく本艦に助けられたのに、死んでしまうとは可哀想だな」

「『金剛』が沈没した直後の大爆発による水圧で、腹をやられたのだろう。これからまだ死ぬ者がでるぞ」

乾麺包だけの朝食が済むと、戦死した者を水葬することになった。

水葬するには、まず死体を軍艦旗で丁寧に包み、木工兵が作った寝棺に納め、錘り用として大砲の弾丸を二個棺の中に入れて蓋をすれば水葬準備の完了である。

海軍での水葬のやり方は、水兵員全員が艦尾上甲板に整列したところで、信号兵の吹くラッパ「君が代」に続いて「国の鎮め」の吹奏があり、艦長はじめ全員の敬礼に送られて棺を海に落とすのである。勿論航海中に行われるのだ。

僚艦であった「浦風」が沈み、十七駆逐隊は三隻になってしまった。もう補充される駆逐艦は無いだろう。日毎に少なくなる艦船、戦死してゆく兵士たち、これでも日本は戦争に勝てるのだろうか。

 

十一月二十五日、戦艦「大和」「「長門」を護衛して呉に着いたが、「大和」だけ呉に残して、第十七駆逐隊は「長門」と共に横須賀まで回航した。

横須賀軍港に無事到着して、一度だけ上陸を許されて横須賀の土を踏むことができた。懐かしい砲術学校の校門近くまで行ってみたが、校内には入れず下士官兵集会所に寄っただけで帰艦した。

 

十一月二十九日、駆逐隊は岸壁を離れて横須賀軍港を出た。今度の任務は「信濃」という横須賀海軍工廠で建造され、完成したばかりの航空母艦を呉まで回送するための護衛であった。

航空母艦「信濃」とは、一号艦「大和」、二号艦「武蔵」、三号艦「信濃」という計画で、超大型戦艦を建造していたのであるが、造艦の途中で戦艦よりも航空母艦の方が必要となったため、戦艦「信濃」は航空母艦に変更されたとのことである。しかし、まだ整備する部分があり、呉海軍工廠でなければできないらしく回航されることとなったのだ。

「信濃」の船体は戦艦「大和」と同じであったが、艦橋や大砲などは全く違っていて、上部は飛行甲板が大きく広がり、その広いのには驚いた。この大きな艦内に飛行機が何機搭載できるのかは知らないが、こんな物凄い母艦を建造していたとは、全然予期していなかっただけに、実に頼もしく思ったのである。

だが「信濃」にはまだ、飛行機が搭載してあるわけではなく、高角砲も機銃も弾丸も無く、兵員も配置されているわけではない。まだ軍艦ではなくただの船である。乗っているのは海軍工廠の工員と一部の兵員だけで、「信濃」は攻撃力ゼロの船であった。

 

十七駆逐隊は「磯風」を旗艦として、「浜風」「雪風」とともに「信濃」を中心にした隊形で警戒航行に入り、東京湾を出たところで日が暮れた。夜の十一月の太平洋は北西の風が強く、白波が大きく迫ってはぶち当たり、艦は動揺しながら暗い海上を進んでいった。

肌に当たる風は寒く、しぶきが冷たい。長期間暑い南方で暮らしてきたため、寒さが身に染みて堪える。小山のような黒潮が艦首にぶつかり、強風に吹き飛ばされた海水が艦橋を洗う。空は暗く星ひとつ見当たらない。

どの辺りまで来たのであろうか、突然、

ダダーン、ダーン。

物凄い爆発音が響いた。何が起こったのだろう。

「『信濃』が雷撃された。配置に就け。爆雷戦用意」

敵潜水艦が日本の近海にまで潜入していて、「信濃」が魚雷攻撃を受けたのであった。我々護衛駆逐艦が付いているのに、水中聴音機で探知できなかったのか。

真っ暗闇の海中に爆雷を投下しても、敵潜水艦はどうなったのか全く分からない。何回か繰り返し爆雷攻撃をしたが、戦果は不明のままあきらめて「信濃」の護衛に戻ったのである。

さすがに三号艦「信濃」であった。潜水艦ぐらいの魚雷なんか屁でもないというように、堂々と大波を蹴散らして進んでいた。暗闇だからよく見えないが、火災を起こしてはいないし、外舷の破れも見当たらない。山のような黒い艦影は白波を切って速力も衰えず、何事も無かったという様子である。

「『信濃』は強いな、魚雷が命中しても平気でいる。本艦なら完全にお陀仏だぞ」

「でもよう、どこか外舷が破れたと思うが暗くて分からん。二室か三室は浸水したんだろう」

「少しぐらい浸水しても傾斜しないのだから、大きな艦はいいなあ」

「それにしても、敵さんたちはこんなに近くまでも来ていたのか、日本内地の近辺も危なくなったものだ」

暗黒の太平洋上を、「信濃」と十七駆逐隊は黙々と航海を続けていた。「磯風」は時々各艦と発光信号を交わしながら、「信濃」の前方を大波に奮い立っては進んでいった。

真夜中頃、またもや、

ド、ドドーン。

低く鈍い爆発音が響いた。

スワッ敵襲、と中継所に飛び込んだ。

「ただ今の爆発は敵襲ではない。「信濃」の雷撃された個所が再爆発したと思われる。大丈夫だからこのまま航海を続ける」

暗闇の海上を黒い大きな影は元気よく進んでいた。よかった。だが闇に眼が慣れてからよく見ると、広い飛行甲板が少し傾いている。大丈夫だろうか。

艦橋の見張りから戻ってきた山寺一水が、

「『信濃』は雷撃された個所を防水扉で密閉したため、室内に発生したガスが爆発したらしい。だから被害が大きくなったようだ」

「それで傾斜したんか。でも呉までは行けるんだろうな」

三号艦「信濃」、最新鋭の設備を誇っていても弱点はあった。取るに足らない小さな傷でも、それが原因で、密閉した区画が爆発したのではたまらない。「信濃」の乗組員たちは応急作業で大騒ぎだろう。だが火災は起きていないのだから、これ以上浸水しないように頑張ってくれ。

間もなく夜が明けようとした時、

ドドド、ドドーン。

数回にわたって爆発音が轟いた。「信濃」の傾斜が薄闇の中にはっきりと見えた。しかし速力は落ちていないようだ。被害状況はどうなっているのだろう。そして今どの辺りまで来ているのだろう。

水平線の見分けもつかなかった暗い空が、少しずつ明るくなってきた。空母「信濃」は右に傾いたまま前進していた。大波を砕き、しぶきが飛行甲板にまで舞い上がっている。紀伊水道まではまだ遠いだろうか。

明るくなるにつれて「信濃」はますます傾いていくようだ。しかも速度が落ちていく。外見ではたいしたこともないようだが、艦内では兵員も工員も防御作業に大変であろう。なんとか持ち堪こたえて、呉まで行くことはできないか。

朝食を終え、後片付けを済まして舷門に出て見ると、既に「信濃」は停止寸前の状態で、広い飛行甲板が右舷に傾き急斜面となっていた。

「『信濃』に横付けする、繋用意」

「信濃」は完全に停止してしまった。超大型空母が波に漂い漂流しだした。しかも大きく右舷に傾いて、いまにも横転しそうだ。

山のような「信濃」に近づいたが、うねりが大きく危険で繋をとることができない。大波に乗って「信濃」が高く上がれば本艦は波の底にいる。次は「信濃」の巨体が本艦の上に伸し掛かるように襲ってくる。少しでも艦が触れれば、小さな駆逐艦などひとたまりもなく大破沈没してしまうだろう。更に「信濃」の傾斜が激しくなって、左舷に赤い船腹が見え出し、見ているうちに広がった。いまにも転覆しそうである。

「横付けを止める。全員救助用意」

「信濃」は横波を受けるたびにますます傾いてゆく。乗組員たちは左舷の上甲板に集まっていたが、「総員退艦」の命令が出たのか一斉に海に飛び込みだした。

完全に横倒しとなった「信濃」は、真っ赤な艦底を高く広く現し、水面からの高さは二十メートル以上と思われる。乗組員たちは、この高い所から艦底を滑りだした。次から次へと続いている。怒濤の波が荒れ狂っている海中へ、大勢の人たちが大きな滑り台の上を勢いよく滑り落ちていく。

遠くから見ていたが、実に悲壮な情景であった。真っ赤な広い艦底を、豆粒のような黒く小さい人間が、高い所からツツ、ツーと滑り落ちて大波に呑まれていく。泳げない者もいるだろう、渦に巻き込まれる者もいるだろう。

艦が横転しようとする時、沈む側に飛び込むのは危険だからと、反対側の艦底を滑っているのであろうが、生きるために必死で高い所から滑っているのかと思うと、見ている私たちも気が気でない。元気で頑張れよ、いま助けてやるから。

やがて「信濃」は完全に転覆して艦底が上になってしまった。もう海に飛び込む者はいない、まだ艦内に人は残っていないだろうか。

大きな赤い腹を上にしたまま、空母「信濃」が静かに沈みはじめた。三号艦「信濃」は、戦場に出撃してその威力を発揮することもなく、今ここにその姿を消そうとしている。世界最大の航空母艦であった「信濃」は、日本人にすらその勇姿を見せずして、紀伊半島の沖合いに沈んでいったのである。

 

膨大な経費と長い時間を費やし、大勢の技術者と工員たちが、連日連夜血の出るような造艦作業を続け、やっと完成の喜びも束の間、一発の潜水艦魚雷で沈没してしまい、関係者たちは残念であり悔しかったことであろう。

大波が荒れ狂っている海上に、多くの遭難者たちが浮かんでいる。波の間に間に見えたり隠れたりしている。救助用意はできている。早く来い助けてやるぞ。元気を出せ。

その時である。風の音、波の音に混じって、かすかに、呻くような歌声が聞こえてきた。海底から湧き上がるように重苦しい歌声が、だんだんと大勢の声に盛り上がり、やがて力強い合唱になって、うねりの谷間を流れてくるのであった。

歌詞も曲目も私の知らない歌であったが、それは工員たちが心血を注ぎ、徹夜で完成した「信濃」の最後を悲しむ挽歌であると思った。

この護衛作戦において、大型空母を失った損失は、今後の戦況に重大な影響があったと思われるが、もし「信濃」が無事に残っていても、搭載する飛行機があっただろうか。人間自身が爆弾と共に突入する、特攻機を搭載するつもりであったのであろうか。