わが青春の追憶
破局への戦い

わだつみの叫び

大東亜戦争の戦況はいよいよ悪化し、敵連合軍の猛進撃により、我が軍は各地において、孤立、全滅、玉砕などが起きていた。艦内ではこのような悪いニュースは報道されるものではないが、噂となって私たちの耳に入ってきた。

クェゼリン、タラワ、マキン、テニヤン、サイパン、キスカなどは、輸送路を断たれて孤立したうえ、敵軍の総攻撃を受けて全滅したり、自ら玉砕するという事態に陥ったのである。

一方、帝国海軍の艦艇部隊も、ソロモン海域、マリアナ海域、比島周辺の海戦において、多くの艦艇と兵員を失い、残存する戦闘艦船は少なく、「大和」「長門」の他、僅かな戦力となってしまった。

昭和十九年十二月末、第十七駆逐隊の「磯風」「浜風」「雪風」は、しばらく呉軍港の駆逐艦ブイに係留していたが、大晦日にブイを離れて軍港を出た。今回は珍しく関門海峡を通って東支那海に出た。冬の東支那海は季節風が強く、荒れ狂った海上を南に進み、冷たいしぶきに濡れながら見張りに立った。そして、二昼夜経つと急に暖かくなり台湾に到着した。

台湾で砂糖を大量に積み込んで呉に帰ったが、とうとう駆逐艦が輸送船の代わりをさせられるほど、日本の近海は危険海域となってしまったのである。当時の内地は食糧も物資も極度に不足しており、特に砂糖は皆無の状態であった。兵員の私たちにも少しずつ配給があり、久し振りに甘い物を口にすることができた。これで元気が沸いてきたのだから、今思えば安いものである。

 

その後これといった作戦も用務も無いらしく、呉軍港に係留されたまま日が過ぎていった。時々徳山沖に出て、回天や震洋(人間魚雷のこと)の標的艦になっていた。

敵連合軍は、この間に比島から台湾へ、台湾から沖縄へと進撃する様子である。我々駆逐艦隊はこのまま内地にじっとしていてよいのだろうか。

その頃のことである、呉海軍工廠の岸壁に横付けしていたところ、故郷の村の近所に住んでいる人で、私よりも二年年上の柴田藤雄君が本艦を訪ねて来られて驚いた。波瀬の村からも、私に続いて海軍に入ってきた者があったのである。藤雄君は魚雷艇に乗っていたが、物資が不足しているとのことで、酒とタバコを何回か分けてあげた記憶である。

 

昭和二十年三月十七日、呉軍港の駆逐艦ブイに係留していたところ、敵の機動部隊から発進した艦載機の襲撃を受けたのである。敵機の大編隊はまず海軍工廠を爆撃し、続いて港内に碇泊中の艦船を襲ってきたのである。大砲と機銃で必死に応戦したが、何十機という敵攻撃機の猛爆を受けて、港内にいた多くの艦艇は炎上、爆発、沈没と、まさにハワイ真珠湾の仇を討たれたのであった。

碇泊中に空襲されるのは実に恐ろしかった。航行中の対空戦闘なら十分自信を持っていたが、艦が停止しているのでは敵機は思うように爆撃できる。当然、命中率も高いと思うと本当に怖い戦いであった。

それでも大砲と機銃で猛反撃をした甲斐があって、我が「磯風」に被害は無かったが、隣に係留していた駆逐艦は沈没してしまった。湾内の各所に碇泊していた艦船の多くは沈没、座礁、大破して無残な姿となってしまったのである。

いよいよ呉軍港も危険な所となってしまった。上陸していても空襲警報のサイレンが鳴れば直ちに帰艦しなければならない。街は灯火管制で灯りが消えて暗く、海軍工廠も軍需部も爆撃を受け、復旧もされずに惨憺たる状態であった。

 

これから私が記そうとするのは、日本帝国海軍連合艦隊最後の海戦となった、「菊水作戦」またの名を「沖縄海上特攻作戦」のことである。この戦闘の模様については、四十数年過ぎた現在でもはっきりと記憶しているので、詳しく説明しておこう。

昭和二十年四月初め、「磯風」は呉軍港に碇泊していたが、逼迫した戦況を全身に感じながら、死への出番を待っていたところ、近日中に出撃するとの話がどこからともなく伝わった。案の定、翌日は燃料補給と弾薬搭載が行われた。その際、江田島の秋月にある地下弾薬庫に入り、あんなにあった在庫がなくなっているのに驚いた。

「今度の出撃は、海上特攻隊となって敵軍の大集団の中へ殴り込みをかけるのだそうだ。一人も生きては帰れないぞ」

「だから作戦の名称も、忠臣楠木正成にちなんで『菊水作戦』と言うんだそうな」

一番煙突に白色で大きな菊水のマークが描かれ、いよいよ最後の半舷上陸が許された。

この頃の呉の街は寂しかった。商店には売る品物は無く、食堂はあっても食券が無ければ飯も食えず、甘い菓子などは見ることもできなかった。入浴も燃料不足のため銭湯で十分湯を使うことができず、夜は灯火管制が厳重で大通りでも暗い。ただ一つだけ変わらないのは映画館だ、ここだけは灯火管制に関係ないので楽しむことができた。

その日は陸上で宿泊するのは止めて、帰艦しようと夜遅く桟橋に向かって歩いた。街灯の消えている暗い中通りを過ぎ、呉の駅前まで来た。もうこの駅から汽車に乗って家に帰ることもできないのだ。この鉄道線路は故郷まで続いている。お父っあん、おっ母さん、義兄さん、姉さん、何時までも元気でいてください。明日私は戦場に征きます。今度こそ生きては戻れません。さようならご機嫌よう、と東の空に向かい手を合わせて祈ったのである。

ガードの下を通って桟橋に着いた。祖国の大地を踏むのもこれが最後であろう。迎えのカッターに乗った。早く寝て懐かしい故郷の夢を見よう、とオールを持つ手に力を入れて漕いだ。

 

いよいよ最後の出撃の朝が訪れた。河原石の駆逐艦ブイを離れて早瀬の瀬戸に向かった。先日の空襲で大破した艦船があちらこちらに座礁していた。今回の出撃を見送ってくれる艦はなく、寂しい出港となった。狭い早瀬の瀬戸を無事に通過して瀬戸内海に出た。「磯風」を先頭に、「浜風」「雪風」と、十七駆逐隊の三隻は、煙突に菊水のマークを掲げ勇んで進んだ。

そして錨を入れた所が三田尻沖であった。驚いたことに、戦艦「大和」がおり、軽巡洋艦「矢矧」もいた。他に駆逐艦が数隻碇泊していたのである。

その日は訓練も作業もなく、三田尻沖で泊まることとなった。夕食後酒保が開かれ、しかも各班に酒の配給があった。

「こりゃあ、いよいよ最後の時期がきたな。それで今夜はうんと飲ましてくれるんだろう」

「どうせ死ぬんなら、もっと好きなことをやりたかったなあ」

「お前たちも今夜は飲んでいいぞ。明日のことはくよくよするな」

というわけで、各兵員室では勢いよく酒宴が始まった。時間が経つにつれて大声で怒鳴る者、軍歌や流行歌を合唱する者が出てきた。また、酔っ払って訳のわからない話をしかけてくる者もいる。

「明日の戦闘がなんだ、絶対に負けやあせんぞ。俺は生きて帰るんだ。なあおい柴田、お前もそう思っているんだろう」

これには返事のしようもない。だが、内心では、もしや俺だけは死なずに……と、誰もが祈っているのではないだろうか。しかし、現実はそんな甘い勝手な想像などできるものではない。これまでの悲惨な現場を知っているだけに。

このとき送られた慰問品の中に、「誉れ」煙草が二個入っていた。煙草を吸わない私は菓子と交換していたが、どうせこの戦争で死ぬのだからと、休憩のとき煙草盆に近づき、恐る恐る煙草に火をつけて吸ってみた。眩暈がして倒れそうになり、皆から笑われたが、休憩時に雑談をしながら吸う一服が楽しくなり、その後はいつしか喫煙中毒者になってしまった。

 

昭和二十年四月六日、晴れ時々曇り。朝食後総員集合があり前甲板に集まった。

前田実穂艦長は、おもむろに台に上り、緊張した声で、

「今回の作戦に当たって、豊田副武連合艦隊司令長官から全軍に対して訓示を戴いたから皆に伝える。『帝国海軍部隊は陸軍と協力、空海陸の全力を挙げて沖縄島周辺の敵艦船に対する総攻撃を決行せんとす。皇国の興廃は正に此の一挙にあり。ここに、特に海上特攻隊を編成し、壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力を此の一戦に結集し、光輝ある帝国海軍海上部隊の伝統を発揚すると共に、其の特攻隊たると否とを問わず、いよいよ殊死奮戦敵艦隊を随所に殱滅し、以て皇国無窮の礎を確率すべし』以上が豊田長官の訓示である。我々はこれから長官の命令通り、帝国海軍の伝統と栄光のために、死地に向かって突入するのである。各員は、あの軍艦旗が翻っている限り、また、生きている限り、この作戦遂行に邁進されんことを望む」

小柄な体の前田艦長は、いつもと違って緊張した口調で訓示を述べ終わると、静かに艦長室へ去って行った。

 

「沖縄に突入するのか、総攻撃と言っていたが他にも艦隊がいるのだろうか」

「我が軍の飛行機は本当に来るのかなあ。レイテ海戦以来、日本の飛行機を見たことがない」

「もう敵さんたち沖縄に上陸しているんじゃあないか。飛行場でも出来ていたら双発の陸上機の攻撃を受けるぞ。いずれにしても生きては帰れんな」

誰もがこの戦いで生還できないことを自分に言い含め、確認するように、あらためて決心するのであった。

昼食に、尾頭付きの魚と果物の缶詰が出た。

服装は、洗濯したばかりの事業服に、艦内帽、脚絆着用、手袋、手拭いといった戦闘服装に着替えたのである。

午後三時、前部員は錨作業にかかり、出港用意のラッパを合図に艦は静かに三田尻沖を出港した。見送ってくれる者は誰も居ない。内地の山並みと、瀬戸内海の島々が、無言で送ってくれるようにくっきりと浮かんで見える。

他にも待機していた艦艇たちと、合体して出撃するものと思っていたところ、ここに集まっていた艦だけが、海上特攻隊として沖縄に向かうのだとのことであった。

 

沖縄海上特攻隊の第一遊撃部隊の編成は、

旗艦、戦艦「大和」

第二水雷戦隊旗艦、巡洋艦「矢矧」

第十七駆逐隊、「磯風」「浜風」「雪風」

第二十一駆逐隊、「朝霜」「初雪」「霞」

第四十一駆逐隊、「冬月」「涼月」

 

戦艦一隻、軽巡一隻、駆逐艦八隻の計十隻が、海上特別攻撃隊として運命を共にすることになったのである。この十隻が今の日本海軍の艦艇中、戦闘ができる尊い軍艦となってしまったようである。

戦艦「大和」、巡洋艦「矢矧」を中心にして、駆逐艦隊が周囲を取り囲むような隊形で進んだ。

「大和」の四十六糎三連装主砲が一斉に仰角して大空の彼方を睨んだ。最後の訓練に励んでいるのであろう。駆逐艦隊は細く低い艦尾から水煙を上げて驀進している。戦場に向かって進撃する軍艦の勇姿は実に勇壮なものである。いつも感激し勇気の涌く一瞬であった。

「艦内哨戒第一配備とする」

まだ外洋に出たわけではないのに戦闘配備が敷かれ、兵員たちは張り切って各自の部所に就いた。今から襲ってくる戦闘への不安と、死地に向かう軍人として恥ずかしくない態度でいたいものと、複雑な気持ちで待機するのであった。

豊後水道まで行かないうちに日が暮れ、不気味な夜が訪れた。内海であっても敵潜水艦の行動のおそれがあり、見張員しっかりしてくれよ。水中測的員頼んだぞ、とは心の内。

砲戦指揮中継所で待機したまま時間が過ぎた。外海に出たのであろうか艦の動揺が激しくなり、速力も増したようである。艦は右に左にと之字運動をしながら進んで行った。いよいよ内地を離れて沖縄に向かったのだ。

夕食とも夜食ともいえる食事が出た、混ぜ飯のおにぎりであった。

「おい主計兵、最後の食事になるかも知れないぞ、パイン缶ぐらい出せよ。大切にとっておいても沈んだら食えなくなるぞ」

若い主計兵は返事もせずに、逃げるように去っていった。

「深夜に空襲はないだろうから、今のうちに寝ておこう」

中継所の狭い部屋の中で、小さな木の丸椅子に腰を掛けたまま眼を閉じた。

 

故郷の静かな海岸が目に浮かぶ、きれいな砂浜に三河湾のさざ波が寄せている。美しい松林が緑の帯となって遠くまで続き、光崎の磯浜まで見事な直線を描いている。磯には大きな岩が海面からいくつも出ていた。海底には天草やモズクなどがあり、大アサリ、なまこ、にし、ひじき、などが採れたり、チン鯛、のそ、キスなどが釣れるところである。子供の頃は友達とよく遊んだ磯である。友達も今頃は何処かの戦場で戦っているのだろう。

家ではもう田んぼの仕事にかかったかな。今年の麦の出来ばえはどうだろうか。角立で捕れた小魚のダシで煮た味噌汁やオジヤを腹いっぱい食べたいものだ、などと故郷の想いが頭の中を駆け巡る。

 

「オーイ、夜が明けたぞ」

トップの村山さんが、伝声管で知らせてくれて目が覚めた。

「いま何処にいるんだ、沖縄に近いのか」

「そんなこと知るもんか。俺に分かることは、本日は天気晴朗なれど波高しだ」

舷門に出て辺りを見渡した。「大和」を始め各艦は皆健在なり。ここまでは無事であった。

味方の偵察機が一機頭上を飛んで行った。敵はまだ我々の行動に気が付いていないのか、今のところ空にも海にも敵軍の姿は見えない。しかし、今日こそ二十歳の最後の日になるのでは……。

昭和二十年四月七日の朝は、平穏な航海のうちに訪れたのである。

中継所に戻り、味方の戦闘機が飛んでいることを告げる。飛行機の応援に誰もが安心したようだ。

朝になっても戦闘配備のため、総員起こしも無ければ寝具の片付けも甲板掃除も無い。朝食は乾麺包にミルクであった。

「銀メシのお茶漬けに、奈良漬けでもいいから、もう一度腹いっぱい食いたいなあ」

「俺は今までおふくろに心配ばかりかけてきた。親父にもだ。親不孝者だったよ俺は。でも死んだら悲しんでくれるかなあ」

これまで何回となく激烈な海戦を体験してきた歴戦の勇士たちだが、今日は何故かいつになく寂しい雰囲気であった。

どの辺りまで来たのであろうか、中継所に居ては全く分からない。

 

十二時半頃のことである、

「敵機来襲、対空戦闘」

緊張してはっと身構えた。

・ーーー ーー・・ーー

「電流送る、右砲戦」

ゴーッと汽缶の音が急激に高鳴り、速力計が三十ノットを示した。いよいよ戦闘開始である。

「右四十度、大編隊だぞ、各砲頑張ってくれ」

トップからの号令も、いつもと違って命令口調ではない、砲術長も苦しそうだ。

「撃ち方始め」

ビー、号令官が発射ブザーに力を入れて押した。

轟音、振動とともに初弾が発射された。機銃も一斉に撃ち始めた。

艦が左に急旋回した。

ド、ドーッ、

敵機の急降下爆撃による至近弾だ。もう恐怖心など吹っ飛んでしまった。夢中で射撃盤を見つめ、砲術長からの命令を聞き洩らすまいと、操作に全神経を傾注するのみである。

コンソリーが向かって来る、次はロッキードだグラマンだ、とトップで伝令の叫ぶ声が伝声管を伝わって聞こえる。

全速力で突っ走っている本艦は、砲撃を続けながら面舵いっぱい、取舵いっぱいと急旋回して、敵の攻撃を避けていく。その度に、ド、ドドーッと不気味な振動が身体に響く。敵はいつまでやるつもりなのか。 

「撃ち方待て」

やっと砲撃音が止まって静かになった。

「まだ敵機が残っている、『大和』と『矢矧』が襲われているぞ」

いったい敵機は何機いるだろうか。でも我々の方には向かって来ないようだ。

「撃ち方止め」

「各砲に告ぐ、いつまた襲撃されるかも分からない。今のうちに砲の尾栓を冷却しておけ」

汽缶の響きが静かになった。敵機が引き揚げて行ったのだ。

「今のところ命に別状無しか、やれやれだな」

「しかし敵に発見されてしまったんだ、奴さんたちこれからわんさと来るぞ。『大和』は大丈夫だろうな」

「我が軍の飛行機はどうなっているんだ。全滅したんか、それとも逃げたんか」

「他人を頼りにしても駄目だ。俺たちだけで精一杯やれるだけやって、後はどうなっても諦めるんだな」

舷門に出て周囲を見渡した。「大和」「矢矧」を始め、駆逐艦たちも何事も無かったように隊形を整えて進んでいた。少し風が出てきた。空は晴れてはいるが雲もある。雲間から時々太陽が現れ目が眩しい。

艦橋では信号兵の原田兵曹が、「大和」に向けて発光信号を送っている。機銃台では機銃員たちが弾薬の整理をしていた。

その時、足下の床にある丸いハッチが開いた。缶室から出てきたのは仲谷機関兵長であった。仲谷光治君は「磯風」乗組員中、ただ一人の同郷の神戸村出身の兵である。

「仲谷、戦闘が続くぞ、缶は大丈夫か」

「缶は大丈夫です、大砲をしっかりお願いします」

仲谷君は真面目な人柄でよく働く兵員だが、機関科のため日常作業が全く違っているため話をすることは少なかった。

機関の兵員は艦の底で働いているのだ。沈没すれば絶対に助かりっこない、心細い配置である。

中継所に戻ると、

「敵機の大編隊を電波探信儀が捕えたらしい。また対空戦闘。、腹を括って頑張ろうぜ」

若い主計兵を脅して取ってきたのであろう、高橋兵曹が乾麺包を二包み出したので、私も二枚貰って食べた。ゆっくり噛み締めて味わうと美味いものである。 

「敵機が近づいている、各砲用意はよいか」

「敵は百機以上の大編隊である。長時間の戦闘になると思う。しっかり頼むぞ」

艦の速力が三十ノットに上がった。戦闘直前の気持ちは嫌なものだ。何度経験しても恐怖心は隠せない。今度こそやられるかも知れない。家族の顔が目に浮かぶ。

艦橋が俄かに騒がしくなった。誰か大声で叫ぶ声が伝声管から聞こえてきた。

「右砲戦、向かって来る敵機。撃ち方始め」

機銃群が一斉に射撃を開始した。続いて発砲、取舵いっぱい、と激しい対空戦闘になった。外の様子は分からないが、敵機の攻撃は執拗なようだ。砲撃の合間にも機銃の銃声がひっきりなしに響いてくる。急降下爆撃による至近弾の振動も時々感じる。

艦は全速力で爆弾を避けながら、必死になって敵機と交戦しているのだ。戦闘中の兵士の気持ちは、怖いとか恐ろしいという感じはなく、ただ夢中で自分の役目に全力を尽くすのみであった。だが、砲撃が中断すると、外の様子が分からないだけに怖かった。

時間では何十分か、いや何時間かのように思えた長い戦いが続いた。敵機は交代して連続襲撃を繰り返しているのか、戦闘の終結は無さそうだ。

「撃ち方待て、『矢矧』がやられた、『大和』も炎上している。今から『矢矧』に近づく、警戒を厳重にしろ」

敵機がようやく去ったのであろう。砲撃も銃撃も止まり静かになった。艦は「矢矧」に近づくため速力を落としたのである。

その時、

ダダーン、

物凄い衝撃と爆発音に、私は鉄板の壁に叩きつけられた。

室内がぐらぐらっと大きく揺れ、続いて上下に強い振動だ。天井の電灯が二、三回点滅したと思ったらスーッと消えてしまった。

中継所内は真っ暗である。そして、艦全体がぐんぐん下がっているような気がした、しかも床が右舷に傾斜していく。瞬間、艦が沈没するのでは……と思うと恐怖が全身を襲った。

ここに居れば死んでしまう。早くこの場を逃げ出したい。誰も思いは同じである。入口に居た者が扉を開けた。通路も真っ暗であった。しかし、心配した海水は押し寄せて来ない。沈没したのではなかった。だが艦は少しずつ右舷に傾いていく。先に出た者に続いて手探りで通路に出た。艦橋への階段を三段ほど駆け上がったが、はっと気が付き、

「距離時計を忘れた」

「俺も弾着時計を持ってこなくちゃあ」

戦闘配置を去ったうえ、応急器具まで忘れたとあっては後で恥をかく。高橋兵曹と二人で暗い中継所に再び入り、距離時計の入っている重い木箱を抱えて、羅針艦橋に駆け上がった。 

傾斜がきつくなり艦橋の床が滑って歩きにくい。柱や器具に掴まって立った。

「何処をやられたんですか」

「後部機械室だ、浸水が激しい」

巡洋艦「矢矧」の救助に近づくため、速力を落としたところを攻撃され、被爆してしまったとのことである。

「応急復旧かかれ。急いで防水蓆を張れ。浸水箇所の海水を汲み出せ」

応急員と手の空いている者は、防水蓆を準備したり手押しポンプを据え付けている。発電機をやられたので電動機は使えない。敵機はまだ残っていて攻撃して来る。

「砲術長、電源が止まったので中継所員は艦橋に上りました。指示願います」

「よし、それでは砲側との伝令をやってくれ。いいか、各砲に電源が止まったから砲側照準とする。射撃はできるか」

早速、天蓋に出て一番砲塔に向かって大声で伝えた。砲側の伝令が小窓を開けて答えた。

「傾斜がきついので、手動で砲塔を旋回することができません」

砲術長に報告すると、

「そうか、では機銃に伝えろ。大砲が使えなくなった。機銃だけで応戦しろ。故障した銃はないだろうな」

機銃は全部使用できるとの返事であったが、戦死者と負傷者が多数出たようである。そのため機銃員の応援に砲員が就いたとの連絡があった。

海上に眼を向けると、目前で「矢矧」が黒煙を吹き上げて停止していた。艦橋も大砲も艦全体が燃え、誘爆を起こして火災はますます大きくなっていく。

左舷水平線上に戦艦「大和」が炎上していた。真っ赤な炎と黒煙が大空高く広がって、付近の海面を暗くしていた。しかも敵機の攻撃がいまだに続いている。

さらに、十七駆逐隊の「浜風」も被爆したらしい。傾斜したまま漂流していた。

どちらを見ても、戦闘の物凄さを物語っており、壮絶な地獄の光景であった。それでもまだ敵機と闘っているのだ。まさに生命のあるかぎり。 

我が「磯風」も右舷に傾斜して、いまにも沈みそうである。汽缶も止まってしまった。だが艦はまだ停止していない。僅かではあるが惰力で動いていた。その時、

「雷跡だ、左百二十度、本艦に向かって来る」

艦橋の見張員が大声で叫んだ。

「面舵いっぱい、急げ」

艦長のカン高い命令。

電源が止まっている。人力操舵だ、間に合うのか。早く、早く。

艦橋、機銃台、上甲板に居た者たちは一斉に左舷海面に目を向けた。

青白い直線が真っ直ぐにこちらに向かって来る、猛スピードで本艦を目掛けて突き進んで来る。確かに雷跡だ。魚雷の速度は時速六十ノット、青白い雷跡の三百メートル前方を恐ろしい魚雷は進んでいるのだ。

操舵員早く舵をとれ、魚雷が襲ってくる。六百、五百、四百メートル。

少しずつ、じりっ、じりっ、と艦尾が向きを変えだした。早く動け、早く。しかし、このままでは魚雷を避けることはできない。

命中するぞ。二百、百メートル、当たる、爆発するぞ、どうしょう、ああ。

上甲板に居た者たちは、海に飛び込もうと体を外舷に乗り出した。

もう駄目だ、轟沈だ、南無阿弥陀仏。

魚雷が後部三番砲塔の下を目掛けて突っ込んだ。アッ、と息を飲んだ瞬間、サッと艦底を通り抜けて右舷前方に走り去って行った。艦尾の吃水の浅いところを抜けたのだ。まさに危機一髪のところであった。 

ホッと一息ついたところ、

「左九十度、敵機来襲」

グラマン戦闘機が二機、海面すれすれに本艦目掛けて突っ込んで来た。

ダダダ・・・機銃掃射だ、海面に弾痕の水しぶきが迫ってくる。しかも私の居るこの場所に向かって真直ぐに。逃げようと思っても右か左か、とっさの判断がつかないまま、本能的に近くのマストの支柱に身をよせた。チュン、チュン、チュン、機銃弾が私の頭上をかすめて抜けた。

また戦死者と負傷者が出たようだ。

艦は完全に停止して大海原を漂流しだした。今度魚雷攻撃を受けたら、間違いなくお陀仏陀であろう。

 

「『大和』が爆発したぞ」

左舷遠方海上で、被爆炎上しながらも敵機と闘っていた戦艦「大和」が、突然大爆発を起こして黒煙と水柱に包まれていた。爆発した時の黒煙が、入道雲のように大空高く昇っていく。雷撃機の集中攻撃を受けて、魚雷が命中したのであろう。それとも「大和」の弾薬庫が誘爆したのか。

いかめしい艦橋が崩れ落ち、四十六糎三連装主砲が無残に破壊され、艦首が空高く上がった。戦艦「大和」の断末魔の姿であった。

黒煙が途切れ、水柱の収まった後に、「大和」の姿は消えていた。

栄光の不沈艦「大和」、帝国海軍の誇り、戦艦「大和」が遂に海底に沈んでいった。

戦艦「大和」の勇壮な姿を見ている限り、大日本帝国は大盤石なり、と我々海軍軍人の心の支えとなっていたものが、目前で轟沈する姿を見て、悔し涙を飲んだのは私一人ではなかった。あの勇壮な浮かべる城、頼もしい『くろがね』、戦艦「大和」の姿を再び見ることはできないのだ。日本は今後どうなるのだろう。

巡洋艦「矢矧」も艦尾から沈み始めた。誘爆を続けながら艦首が高く上り、垂直になったかと思うと、そのままスーッと海面から消えていった。

駆逐艦「浜風」の姿は既に無かった。

他の駆逐艦のうち、「霞」も大きな被害を受けたのか、傾斜したまま停止していた。「涼月」「冬月」「雪風」「初霜」の四隻だけが敵機と闘っていた。気が付かなかったが、「朝霜」の姿が見えないのは、既に沈没したのであろう。

「戦艦『大和』を初め、巡洋艦『矢矧』のほか撃沈された駆逐艦たちの、護国の華と散って逝った人たちに敬礼」

凄い戦闘であった。敵機が何百機来襲してきたのかは分からないが、一日中闘っていたような気がした。午後三時か四時頃やっと敵機は引き揚げて行ったのである。

 

「磯風」は東支那海の真っただ中を漂流しだした。機械室に浸水したため自力で動くことはできず、傾斜がだんだんときつくなっていく。大砲は役に立たない。発電機が止まり動力はすべて止まってしまったのだ。

敵機が去ったので艦橋に居ても用事は無く、後部へ行き防水蓆を張る作業に加わった。外舷が破れたと思われるところに防水蓆を張り終わると、機械室に浸水した海水を手押しポンプで汲み出した。しかし、一向に水位は下がらない。

「これゃあ、外舷の破損位置を間違えて防水蓆を当てたのではないか」

「もう一度、防水蓆を張り変るか」

そうこうしているうちに、私と、同年兵の広田兵曹と後部機銃の合野兵曹が掌砲長のもとに呼ばれた。

「お前たち三人は漁師の息子だったな。どうだ外舷の様子を潜って見てきてくれんか」

こりゃあ大変なことになったと思ったが、命令である。しかも戦闘中だ。

「はい、潜って見てきます」

三人は早速裸になり、越中褌ひとつで海中に飛び込んだ。

海面には重油が浮かんでいた。水中眼鏡などあるわけではないので、目を開けたまま外舷に添って潜っていく。重油と海水が目に沁みて痛い。四月始めの海はまだ冷たい。深く潜ると潮の流れが早くて艦底へ引きずり込まれそうになる。全身全力で潮流に負けまいともがく。呼吸が苦しい。じきに海面に飛び出し、重油の中から顔を出して大きく息を吸い込む。

「どうだ、被害箇所は分かったか」

上からの声に答える余裕はない。大きく息を吸い込むと再び外舷の鉄板に添って潜っていく。恐ろしい海蛇や鮫はいないだろうか。三回目にやっと被害個所を探し当てたることができた。

後部機械室の後よりで、水深二メートルのところの鉄板が破れていた。破れたというよりも、鉄板と鉄板をつなぎ合わせてある鋲がちぎれて、鉄板が大きな口を開けていたのである。しかも裂け目は二メートルほどにも達していた。

「掌砲長、ここの下が破れています」

「水深二メートル、裂け目の長さ二メートル、幅三十センチです」

広田と合野と私は口を揃えて報告した。

「よし、そのまま待て。おいみんな急いで吊床を持ってこい」

そのまま待てといっても、つかまって休むものは何も無い。外舷の鉄板に打ちつける波としぶきだけだ。

「おい、綱で括った毛布を落とすから、そいつを破れた穴に押し込むんだ。いいか、やってみろ」

毛布を円筒形に括ったものが落とされた。それを両手で抱え込むようにして潜ろうとするのだが、浮力が強くて潜れない。海水が毛布に浸み込むのを待って潜った。毛布を片手に持ち替えて、海流に負けないよう全身の力を出して破損箇所に近づき、裂け目に毛布を押し込むのであるが、水中のことで力が入らず、この作業が実に苦しいものであった。

大きく息を吸い込んでから、片手と足で水を蹴り、鉄板に添って潜る。裂け目に毛布を当てて、力いっぱい押し込もうとするのだが、なにしろ水の中のことで体の踏ん張りようがない。足で水を蹴っては押し込むのだが思うようにはいかないのだ。もう少しというところで呼吸が苦しくなり、無我夢中で水面まで飛び上がるのであった。

次に潜ってみると、先程の毛布は海水が浸みたため重くなって海底深く沈んで行く。再び新しい毛布を抱えて渾身の力を振り絞って潜って行く。

「おいまだか、早く押し込めないか」

大勢の者が上甲板から顔を出して催促するのだが、そう簡単に出来るものではない。なにしろ呼吸を止めて全身を動かす作業であり実に苦しい。そして、重油と海水が目に入ったためであろう、目が焼けるように痛い。さらに鉄板に擦り付けた右肩の皮膚が破れてひりひりする。それでも私たち三人は、この困難な作業を全力で続けていたのである。 

しばらくすると、上甲板に居た人たちが居なくなったのに気がついた。どうなったのだろうと思っていると、

「柴田、広田、合野、もういいから上がれ」

綱梯子を降ろしてくれた。

上甲板には掌砲長が一人で待っていた。

「どうなったんですか」

「残念だが本艦を見捨てることになった。いま『雪風』が左舷に横付けしている。皆乗り移ったからお前たちも早く乗れ」

気が付かなかったが、左舷に僚艦の「雪風」が接艦していた。乗り遅れたら大変だと、脱いであった事業服を抱えて左舷に走った。

私たち三人が道板を渡り、「雪風」に乗り移るのを待って「磯風」との繋を離した。「雪風」は直ちに前進を始め速力を上げた。まさに間一髪で助かったのだ。

「雪風」の上甲板に腰を下ろし、ホッと一息ついたところで気が付いた。皆それぞれ自分の衣類や私物などを持って来ていた。私たち三人は裸のままだ。しかも重油でベトベトに汚れている。事業服を着ようにも体を洗う水をくれという状況ではない。

同年兵の三浦安っさんにタオルを借りて体を拭ったが、肌に付いた重油は取れるものではない。鉄板に擦り付けた肩や膝の傷がヒリヒリと痛みだしたが、戦争中である我慢することにした。

それでも見かねたのか、掌砲長が近づいて来て、

「お前たちはご苦労だったな。港に着いたら真っ先に入浴させるから我慢してくれ」

恐ろしい戦闘が終わり、味方の艦艇は見るも無残な敗北の様相である。撃沈された艦や大破した艦では、大勢の戦死者と怪我人が出たことを思うと、生き残って惨めな姿で内地に帰るのは、恥ずかしくもあり、申し訳ないという複雑な気持ちであった。

軍艦が轟沈すれば、多くの兵員が艦と運命を共にするのである。元気で健全な人間が生から死に至る時、阿鼻叫喚に喘ぎ、断末魔の叫び声を上げながら死んでいったことであろう。深く暗い海の底から、生き残った私の胸に響いてくる。

今度もまた、私は生き残ってしまった。

 

駆逐艦「雪風」に乗り移って間もなく夕暮れとなった。我が「磯風」はまだ浮上している。軍の機密を保持するために「磯風」を沈めなければならず、艦の底にある非常用のバルブを開けて海水が侵入するように操作してきたと聞いた。

そのため「磯風」が沈むのを見届けるために、「雪風」は周囲を回っていたのだが、海上が暗くなっても沈む様子はない。

「『磯風』が沈むまで待てないので砲撃するのだそうだ」

機密上やむを得ないこととはいえ残念に思った。私と一緒に長い間戦場で活躍してきた歴史ある駆逐艦「磯風」だ。味方の砲撃によって撃沈させるとは実に残念であった。

闇の海上に探照灯が照射された。我が駆逐艦「磯風」が光の中に鮮やかに浮き上がった。

「雪風」の砲塔が旋回して、「磯風」に照準が定められた。

ダダーン、初弾発射。

弾着は、「磯風」の手前で水柱が上がった。

二弾目発砲。

今度は目標を越えて遠方で水柱が見えた。何をしているんだ、見ていてもどかしく思った。

三斉射目発砲。

艦橋に一発命中、鉄板が飛び散った。まだ沈まない。

その時である。

「アッ、誰か居るぞ、『磯風』に人が居る」

探照灯の光りに照らされて、白い事業服の人影が上甲板を走り回っていた。

「磯風」には多くの戦死者を残してきたが、そのうち気絶していた者が砲撃によって気が付いたのであろうか。誰だか分からない。助けに行ってやりたいが、戦場ではどうすることもできないのだ。

「オーイ、海に飛び込め」

誰かが大声で叫んだ。

非情にも砲撃が続けられた。しかしなかなか命中しない。十斉射ほど撃ったが命中しないので中止してしまった。

「今から魚雷を発射する」

今度は魚形水雷で沈めることになった。一番発射連管が旋回して、「右魚雷戦」が発令された。

「発射用意、テー」

暗い海面に青白い直線が走り、「磯風」の黒い影に向かって行った。今度こそ魚雷命中、轟沈、との思いを裏切って、魚雷は「磯風」の艦底を通り抜けて消えたのである。

 

「今から名前を呼ぶ者は集まれ。朝見、中本、三浦、柴田、広田、山寺、大山、和手」

掌砲長から集合の指示である。急いで右舷中央に集まった。

「皆よく聞いてほしい。お前たちにはご苦労であるが、今から決死隊となってカッターに乗ってもらう。そして『磯風』一番砲の弾薬庫を爆破してくるのだ。指揮は俺がとる、直ちにカッターに乗ってくれ」

大変なことになったが、命令とあれば従わなければならない。おそらく大砲の装薬に導火線をつないで点火してくるのであろう。

「掌砲長、導火線はありますか」

「うん、俺が持っている」

掌砲長は肩に掛けていたズック鞄を開けて、中から取り出したのを見て驚いた。たった三十センチほどの導火線である。これではマッチを擦っただけで伝火薬に引火、その場で弾薬庫は爆発してしまい、生きて帰れることは絶対にないだろう。だからといって軍人である以上、そんな危ない役目は嫌だとも言えない。どうせ私はこの戦争で死ぬのだ、いっそ「磯風」と共に死んでやれと、ダビットに吊ってあるカッターに乗って待機していたのである。ところが、

「オーイ、そのカッターを降ろすのはちょっと待て。もう一度砲撃してみる」

と、艦橋から叫ぶ声があった。

俺たちに砲撃を任せれば、一発で命中するのだが、とは心のうち。

再び辺りの暗闇を破って閃光が走り、砲撃が開始された。

最初は後部マストが吹っ飛んだ。

二発目は「磯風」の直前に弾着、水柱が高く上がった。

三発目が発砲した。

ドッカーン、ズシーン。

「磯風」の搭載している魚雷に命中したのか、物凄い爆発が起こり、炎と閃光と鉄塊が夜空に飛び散った。そして艦は二つに折れて静かに沈んでいった。

アッという間に沈んだのである。探照灯に照らされた海面には、泡沫と僅かな浮遊物が残っただけであった。

 

思えば駆逐艦「磯風」は、私が昭和十七年十二月に佐世保軍港で乗り組み、二年四か月の間、各方面の最前線を駆け巡り、激戦に激戦を続け、私はこの艦と運命を共にするのだと、覚悟を決めてきた艦である。それなのに私は救われてしまった。

想い出の多い「磯風」が、目の前で轟沈する姿は見るに忍びないものがある。たまらない気持ちは私一人ではなかった。

「駆逐艦『磯風』に敬礼」

誰かが大声で叫んだ。

一斉に直立した。そして、何時までも何時までも、姿の無い「磯風」に向かって挙手の敬礼をするのであった。涙を流しながら、いつまでも。駆逐艦「磯風」さようなら。

 

こうして菊水作戦、つまり沖縄海上特攻作戦は終わり、内地に引き揚げたのであるが、その戦果 は惨憺たるものであった。

戦後、この作戦の記録によると、次のような悲惨なもので、事実上日本海軍の終焉であった。

戦艦「大和」沈没、生存者二百七十六名、うち負傷者百十七名。戦死者二千七百四十名。

巡洋艦「矢矧」沈没、戦死者四百四十六名、負傷者百三十三名。

駆逐艦「磯風」沈没、戦死者二十名、負傷者五十四名。

駆逐艦「浜風」沈没、戦死者百名、負傷者四十五名。

駆逐艦「朝霜」沈没、戦死者三百二十六名(全員戦死)。

駆逐艦「霞」沈没、戦死者十七名、負傷者四十七名。

駆逐艦「涼月」大破、戦死者五十七名、負傷者三十四名

駆逐艦「冬月」、戦死者十二名、負傷者十二名。

駆逐艦「雪風」、戦死者三名、負傷者十五名。

駆逐艦「初霜」、負傷者二名。

 

私は、この沖縄海戦を最後として、再び艦船勤務に就くことは出来なかった。艦船勤務の希望を申し出たが、既に乗り組む艦船は無かったのである。だからその後に海戦は無く、事実上この菊水作戦が帝国海軍最後の連合艦隊であり、最終の海戦となったのである。

私が、駆逐艦乗りの兵員だから特に感じたのであろうが、駆逐艦乗組員の戦死者が余りにも多いのに気が付いた。

三か年半余の太平洋戦争が終結を告げた時、あらゆる激戦に参加してきた日本海軍の駆逐艦は、海戦時三十一隊、百三十五隻を数えたものが、僅かに二十九隻を残すのみとなり、そのことごとくが海底の藻屑と消える末路を辿ったのであった。

さらに海戦による沈没で、全員戦死となった駆逐艦が二十五隻以上もあった。そして潜水艦に沈められたもの二十隻と、生存者皆無と認められたもの二十五隻を加えると、沈没した駆逐艦の約半数の七十隻は、全員壮烈な戦死を遂げたのである。

駆逐艦の平均乗組員は二百三十名であるから、この戦死者だけで一万六千名にもなっている。残りの約六十隻も、戦死者は最少三十名ぐらいから、多い艦は二百名に達しているので、平均約百名としても六千名となり、駆逐艦乗組員の戦死者は二万二千名を突破しているのである。

日本海軍軍人全部の戦死者は約十五万六千名であり、そのうち飛行機搭乗員の戦死者一万七千名(十一%)、潜水艦の沈没百二十七隻、駆逐艦乗員の戦死者二万二千名(十四%)は実に大きな犠牲であるといえる。

 

これら多くの犠牲者のうち、私と一緒に新兵教育を受けた同年兵が何人いたかは知らないが、おそらく十六年志願兵が最も多く戦死したのではないだろうか。

昭和十六年五月一日に海兵団に入団し、新兵として厳しく鍛えられ、同年八月十五日から艦船勤務に就いて、寝ても起きても新兵の辛い勤めに一日も心安らかな日を過ごす事もできず、毎日まいにち地獄の責めに遭いながら、十二月八日の大東亜戦争に突入したのである。以来、昭和二十年四月七日、沖縄海上特攻作戦まで、新兵同様の厳しい勤めと、激しい戦闘に苦労し続けて来たものである。

私たち十六年志願兵の者は、この戦争のために海軍に入ったようなもので、暗く、苦しく、辛い時代を選んで生まれてきたのだ。一刻たりとも安堵の気持ちを持ったことはなかった。勲章を貰えるからとか、お金が欲しいとか、名誉や地位など考えたこともない下級兵士たちである。ただ祖国のため、天皇陛下のため、同胞のためにと、死ぬことを覚悟の上で戦場に向かって行ったのである。

そして私はまだ生き残っているのだ。生きていることが幸せなのか、名誉の戦死を遂げて忠孝を全うすることが人の道なのか、分からない時代であった。

戦後四十有余年過ぎた現在、生きていた幸せをつくづく振り返り、生き残った者の責任と責務の重大さを痛感する時、私は大声で叫びたい。

永遠の平和を願う心は、戦争で悲惨な体験を得た者ほど強い、さらに新兵は。

 

この沖縄海上特攻隊に対して、連合艦隊司令長官から感状が布告されたのであったが、それを私が知ったのは戦後三十一年過ぎた、昭和五十一年四月十日であった。それは「磯風」生存者たちが、戦没者の冥福を祈り、また旧交を暖めるため「磯風会」を設けて、集まることになったからであった。

昭和五十一年、呉市で初めて行われた「磯風会」で、旧海兵団に祀られていた海兵神社の「磯風」戦没者に、前田実穂艦長がこの感状を報告されて知ったのである。

    海上特攻隊感状

機密GF告示第一一四号

    布   告

   第一遊撃部隊の大部

昭和二十年四月初旬、海上特攻隊トシテ沖縄島周辺ノ敵艦隊ニ対シ壮烈無比ノ突入作戦ヲ決行シ、帝国海軍ノ伝統ト我水上部隊ノ精華ヲ遺憾ナク発揚シ、艦隊司令長官ヲ先頭ニ幾多忠勇ノ士皇国護持ノ大義ニ殉ズ。

報国ノ至誠心肝ヲ貫キ忠烈万世ニ燦タリ、因テ滋ニ其殊勲ヲ認メ全軍ニ布告ス。

  昭和二十年七月三十日

    連合艦隊司令長官  小 沢 治 三 郎