わが青春の追憶
呉海兵団

バス当番

「罰当番整列!」

夕食後の休憩中、七教班長から整列の号令がかかった。

新兵はいつどんな場合であっても、整列がかかれば率先して前に出て並べ。何々係になる者はいないかと求められたら、自信はなくとも手を挙げろ。出来る者よりやる気のある奴のほうが上官から認められるのだと、先輩から聞いていた。私はそのとおり何事も率先してきたので、教班係を最初に指名されていたのである。

しかし罰当番の整列には驚いた。小学校の頃いたずらをした罰に、教室の掃除をさせられることを罰当番だと思っていたが、シャバと違う軍隊では何も悪いことをしないのに罰を受けるのかと、迷っていたのは私だけではないようだ。

「バツ当番整列」

二度目の呼び出しに、各教班から一人ずつ恐る恐る廊下に出て並んだ。

「整列が遅いぞ、バツ当番がそんなに嫌なのか、それとも俺の号令が気にいらんのか」

と、一発ずつお見舞いを受け、連れて行かれたのがなんと浴場であった。

後日知ったことだが、バツとバスの間違いで、乗合自動車の他に風呂のこともバスというのを初めて知ったのである。だから浴場の掃除をする使役がバス当番だったのだ。それにしても七教班長の言葉の訛りには全く戸惑うことが多かった。

海軍では水の貴さを身に沁みるように教えてくれる。入浴もその一環であり実に無駄がない。浴場には市中の銭湯よりも大きな浴槽がいくつかあって、階級により使用が区分されている。まず湯に入る前に体を念入りに洗い、少しの湯を上手に使って石鹸水を完全に洗い落してから、タオルに石鹸を包み頭に鉢巻きをして浴槽に入るのである。浴槽の中では体を洗わないように、両手を湯から出さなくてはいけないのだ。もしも手が湯の中に沈むと、バス係の一等水兵から長い竿でゴツンとやられる。まるで沢山の蛸入道が降参しているようで、どう見てもカッコよい姿ではない。

こうして向こう岸に着けば、浴槽から上り入浴終了となる。だから、何百人入浴しようと、少しも湯は汚れないのだ。

それから、水を節約する代表的なものとして洗濯がある。

海兵団の洗濯場には勿論水道が完備されており水は豊富にあるのだが、節水も訓練のうちだと決められた量しか使うことを許されない。大中小のオスタップ(金属製の桶)一組に入っている水で十五人の新兵が、三、四日分の洗濯をするので、自然と競争になってしまう。とにかく急いで洗い、早く濯がないと水がだんだん汚れていく。遅い者は石鹸でドロドロになった水で濯ぐことになる。

さらに干し場が大変だ。洗濯物一つ一つに細い紐をつけてロープに縛り付けるのだが、うろうろしているとロープを高く吊り上げられて干すことができなくなるのだ。仕方なく他人が既に干してある低い場所に何枚も重ねて縛るようになってしまう。

 

ついでに駆逐艦における入浴の状況を説明しておこう。私は二隻の駆逐艦に乗組員として勤務したが同じような方法であった。

駆逐艦の浴室は後部マストの下段にあって、面積はせいぜい十平方メートル程度の狭い部屋である。中には浴槽というより鉄製の桶といったものが据えつけてあり、一度に三人くらい湯に入れるかと思われる大きさである。洗い場も四、五人が座ればいっぱいになってしまう。それでも一週間に一度くらいは温かい湯に入れるだろうと思っていたところ、大変な間違いであった。

入浴するには、まず班長から将棋の駒を三個手渡され、洗面用具と洗濯石鹸を持って浴室に入り、着ている事業服を脱いで、ズボン、上着の順に床に敷く。次に袴下、襦袢と重ねて敷き、その上に裸で座るのである。

使役で出されている新兵のバス当番に、将棋の駒を一個渡すと浴槽から洗面器に八分目ほどの湯が頂ける。一滴の湯も逃がさないように、タオルを濡らし石鹸で体を念入りに洗い、下に敷いてある衣服にしみ込ませる。体を洗い終えると尻に敷いてあった襦袢や袴下に石鹸水がしみ渡り、それを床に流さないよう事業服の上で洗濯する。といったように一杯の水で体と衣類の全部を洗うのだ。 二杯目の湯で体を拭きとるように洗い、衣類を丁寧に濯ぐのだ。三杯目の湯を宝物のように受け取り、きれいに洗い上げるといったぐあいである。ここで変わっているのは、きれいな水で最初に濯ぐものは越中褌、次に帽子、襦袢といった順序であった。

なんのことはない。駆逐艦では、入浴といっても湯につかって温まるものではなく、体と衣服の洗濯をすることであった。

一升(1・8リットル)の真水を海水からつくるには、当時の金で五十銭かかると言われ、シャバでは安価な物の例えとして、「湯水のごとく」という言葉があるが、海軍では反対に「一滴の水は血の一滴」と、金銭に変えがたい貴重な存在であった。