わが青春の追憶

あとがき

戦いは終り、伝統ある日本の軍隊は解体を余儀なくされ、兵隊たちは復員することになった。しかし、私は志願兵だからと復員は許されず、八月十八日、山口県光市に保安隊員として転勤を命じられた。戦後の乱れた世相のなかでは暴動が起こる恐れがあると、市中の巡羅警備を勤めたのである。

そして、昭和二十年十一月二十七日、保安隊が解除されて海軍軍籍を解かれ、四年半の海軍生活を終えたのであった。

 

戦争に負けたのは、私のような下級兵士の責任というようなものではないが、敗軍の兵として故郷に帰るのは恥ずかしかった。何よりも生きて戻るのは戦死者の家族に申し訳ない思いであった。そのため、豊橋の渥美電車の駅で暗くなるのを待って、知人に見られないよう、そっと家に帰ったのである。

想えば昭和十六年四月、十七歳の若年の身で海軍に入り、以来二十一歳までの四年半、私の一生涯の中で、これほど真剣に命をかけて打ち込んだことはない。また若い情熱を力一杯出し切ったことも間違いないことである。そして、戦争には負けたが、その後、私たち年代の者が必死になって食糧増産に、復興に努力した。

日本は敗戦国となったが、旧軍隊における特権階級の者たちの行動を思うと、負けて良かったのではないかとさえ思えてしまう。少なくとも、アメリカという民主国民に負けたから、日本を復興する機会を得て平和で自由な社会となった。そして、想像以上の早期復興がなされ、生活を豊かにすることができた。勿論、敗戦の焼け跡から立ち上がった日本人の苦労と努力は言うまでもない。

日本の経済成長は目覚ましいものがある。しかし、この発展は莫大な犠牲の上に立っていることを、日本人として忘れてはならない。

 

時が流れ、戦争体験者が去り、そして世相の移り変わりが激しい昨今、先人たちが築いた礎も記録の中に風化されてゆくことだろう。

 

若い人たちにお願いしたい。


 暗く深い海の底で、

 遠い南の島のジヤングルの奥で、

 大陸の乾いた土の下で、

 さらに日本の各地で、

祖国の永遠の平和を願い犠牲となった人々のこころを、いつまでも忘れないでくれと。